御子柴三色
市立病院はこの辺りで1番大きな総合病院だ。
鬼一口の被害者はみんなここに入院している。
「3階だよ」
ベンチが並ぶ待合所を横目に、リノリウムの廊下を進む。
白衣とパジャマが行き交う中で制服姿が少々浮いてるようだが、奇異の目を向けられるほどじゃない。
「そういえば御子柴さん、塾の帰りに襲われたって聞いたけど」
エレベーターを待ちながら一歳が聞いてきた。
「ああ。迎えに来た家族の目の前で倒れて、運び込まれたんだ。ひどくうなされてたそうだけど、魔術医師と駆けつけた先生の的確な処置で落ち着いた。表向きは疲労で倒れたってことにされてる」
他の被害者も襲われた状況は違えど、同様の対処でごく軽症にとどまっている。
「そう。こんな普通の病院にも、魔術師と関係ある人がいるなんてね」
通り過ぎる医者や看護師を見て、一歳が感想を漏らした。
「なんでも、医療界と魔術師の代表格との間で古くから取り決めがあるらしいんだ。医者が手に負えない範疇の奇病は、原因解明を頼むっていうね。警察とも似たようなものがあるって」
ずっと昔からそういう関係にあるらしい。
医療、治安、そして犯罪──
社会とは切っても切れないそれらに、魔術師が関わってきたということだ。
エレベーターに乗ると、
「で、話を戻すけど。その翌日、先生が病室を訪れて、
「あなたが倒れる直前、例の事件に関わる者があの付近にいたかもしれない。黒いフード、あるいは少しでも怪しいと感じる人物を見なかったか?」
って尋ねたんだけど。彼女はそのときはまだ、記憶が混濁状態で動揺もあったらしくて、また日を改めてということになった」
「それが今日ってこと?」
「うん。どんな些細なことでも構わないから気兼ねなく話してほしいって伝えてあるよ」
「そう。なら私はリラックスして話せる雰囲気作りのために少しおしゃべりでもしましょうか」
御子柴とは初対面だ。
面識のある人間が加わるほうが何かとスムーズだろう。
バスで見せてくれたコミュニケーション能力が円滑に働くと信じよう。
3階について、ナースステーションの前を通りすぎると彼女の病室だ。
「俺がまず先に入って事情を説明するよ。一歳さんは後から適当なタイミングで来てもらえれば」
了解を得てから、スライド式のドアをノックすると、
「はい」
と間もなく返事が返ってきた。
少しだけ開けて中を覗き込み、
「はじめまして。先日、お話を伺う約束をさせてもらった鵜堂探偵事務所のものなんですが」
「?」
ベッドで上体を起こした女の子が、こちらを見てくる。
御子柴三色だ。
普段はリボンで結ばれているという肩に掛かるくらいの髪、黒目がちな円らな瞳。
華奢、小柄、可愛らしい。
そういう形容詞が瞬時に出てくる容姿をしている。
つまりは美少女だ。
こんな子に、先輩せんぱーいと慕われたら、さぞ気分よく先輩風をビュービュー吹かせられるだろう。
「……探偵事務所の人、ですか?」
どこか困惑の色が見える表情。
俺は、はいそうです、と愛想よく答えると部屋に入った。
こういうときは笑顔、そして勢いも肝心だ。
椅子が2つに、簡単なクローゼットとテレビだけのシンプルな個室だった。
「あの、てっきり、前の探偵さんみたいな人が来ると思っていたので。そしたら、うちの学校の制服だったから」
「ああ、事前に言っておけば良かったですね。俺は助手の井神平太郎といいます。見ての通り、御子柴さんと同じ十高の2年生」
十高とは母校──母校と呼ぶほど愛着なんざないが──市立十束高校の略称だ。
学年で言えば俺が上だが、こちらから話を聞くからには低姿勢でいく。
やはり探偵業は客商売に違いないのだ。
御子柴はちょこんと頭を下げた。
「あ、御子柴三色です。あの探偵さんの助手さんなんですか。同じ学校に、そういう仕事をしてる人がいるなんて初めて知りました」
「仕事の内容が内容だけに、おおっぴらに宣伝もできないもんで。学校の関係者には、俺のことは内密にお願いします」
やんわりと念を押す。
探偵助手が無用心に素性を明かすことはデメリットにしかならない。
些細な情報の漏洩が思わぬトラブルを呼び込む、なんてのはここ、すなわち魔術師と化け物が跋扈する裏の界隈ではよくあることだ。
そのため、うちの事務所は積極的なPR活動は行っていない。
「言いふらしたりしません。約束します。あの、そういえば授業は? まだ学校終わってないですよね」
面会は午後に、と約束していたのだが、本来はもう少し遅く、放課後を過ぎた夕方近くを想定していた。
「事前の連絡を欠かしてすみません。その、授業より優先しなきゃならない、急な依頼がありまして。それから捜査の都合で、予定より早めにこちらに伺うことに」
「急な依頼? 事件について、進展でもあったのですか?」
「えーと、進展はないんですが……ええ、まあ、関連した別件がありまして」
一歳の件を本人の許可なしに教えるわけにもいかず、俺は適当にごまかした。
彼女も特に追及するつもりはないらしく、そですか、の一言で納得した。
「事件のことは先生から聞いてますよね?」
「はい、救急車で運ばれた次の日に……」
俺はどうぞと勧められた椅子に腰掛け、
「先生がお尋ねしたと思いますが、事件に関与する黒フードの人物の足取りを調べています。当時、挙動の怪しい人を見たり、逆に誰かに見られていたようなことはありませんでしたか?」
「そのことなんですが、その」
口ごもった後、彼女は、
「ありました」
「え、あったんですか!? どんな」
「あの、でも」
「?」
「話したら、事件に巻き込まれたりしませんか?」
「え?」
「だってあんな残酷な殺人事件と通り魔を好き放題に繰り返してる犯人ですよ? もし手掛かりになる話をしたのが相手に知られでもしたら次の標的にされるんじゃないかって」
彼女は殺人と通り魔が同一犯だと思っているようだが、いちいち訂正しない。
そこは重要ではないからだ。
「いや、守秘義務がありますから情報提供者が誰かなんて漏れる心配はないですし。それとも、間近で顔を見られたりしたんですか?」
「そうではないんですが……。でも私を介抱していた家族がそれらしい人を見て、相手も、じっとこちらのほうを見ているようだったと」
「!? そのときの情報が欲しいんです」
「ですけど……」
御子柴は不安がる。
だが何か手掛かりを持っているなら、何としても話してもらわなければ。
「犯人がずっと御子柴さんや御家族を監視しているとは考えづらいです。住所なども知られるはずはありませんし」
「でも神出鬼没で、事件を起こしてるのに顔も分かっていない相手ですよ。もし狙われたらと考えたら、心配で」
「ですから、そいつを捕まえるために少しでも手掛かりが必要なんです」
御子柴は俯いた。
パジャマ姿で下を向いていると、まるで長い入院にうみ疲れた重病人のようだ。
彼女はまだ確定ではないが何かしらの手掛かりを持っている。
だが話したら身辺に危険が及ぶのではないかと不安がっている。
話さなければ、捜査はうまくいかない。
捜査が進まなければ犯人は捕まらない。
しかし、犯人が野放しのままでは怖くて話ができないという。
ああ。互いの意見が空回り、堂々巡りになっている。
たった一言二言で済む話であろうが、どうしても最初の一歩が出ないことは往々にしてよくあるもの。
かといって、いつまでものんびりと待っているわけにもいかない。
何か彼女のためらいを払拭し、気持ちを奮い立たせるものでもないだろうか。
そう考えていると、
コンコン
とドアがノックされた。