鬼の被害者達(編集)
のろのろとバスは進む。
やはり軽微な衝突事故があったらしく、警察官が交通整理をしていた。
フロントガラス越しにそれを眺めながら一歳が、
「ところで、探偵さんは殺人事件について警察の捜査資料を見たとか言ってたじゃない。あなたは見てないの?」
「現物は見てないけど、先生からコピーを見せられて手帳に要点はまとめてある」
「へえ。捜査資料ってなんかそそる響きよね。今手帳あるんでしょ? ちょっと見せて」
「いや、極秘の資料だから関係者以外には見せちゃいけないって言われてて」
「なに言ってるの? 奴から被害を受けたんだから、私だって立派な関係者でしょ。何があったか把握しておくべきじゃない」
「そういう解釈ができなくもないけど。関わってはいるか」
彼女得意の口車に乗せられた気がするが、ある意味発端の人物でもあるものな。
俺が手帳を取り出して広げると、頭をくっつけるように一歳が覗き込んでくる。
鳩首で臨時の捜査会議だ。
「……字、汚いわね」
「いいんだよ、自分が読めればいいように書いたんだから」
「それにしたって一瞬、何語で書かれてるのかと思った。まさかあなたがアラビア語かコスタリカ語でもできるのかと」
「日本語だよ。ひらがなと漢字とカタカナでだよ。汚いったって、読めないほどじゃないだろうに」
あんまり馬鹿にするなよなと思いながら目を通す。
──自分でも解読がギリギリだった。
急いで殴り書き同然にまとめたのが影響している。
これは、資料の写しを目で追っている一歳をフォローしてやらねば。
「1人目は暴力団員、鬼頭正次34歳。歓楽街の路地裏で、心臓やいくつかの内臓を抉り取られた状態で発見。闇金や特殊詐欺、他にも手広くやってたようだけど、何年か前によその組とのトラブルか何かで姿をくらませてて、少し前に街に戻ってきたばかりだったとか」
「ふーん、鬼頭で、金貸しの債鬼……鬼が本物の鬼に喰われたってとこね」
「皮肉なもんだ、人を食い物にしてたやつが最期はあんなふうに食われて死ぬんだから」
「因果応報でしょ。ざまみろバーカって感想しかないわね」
一歳が吐き捨てた。
「ほぼ同感ではあるけど、なかなか痛烈だね」
「ヤクザなんて作り話で美化されてるけど、弱い者を脅して奪い取るだけの連中なんだから。同情なんて、これっぽっちも湧かない」
万に一つも認めない、完全否定。
彼女はこの手の連中に特別良くない覚えでもあるのだろうか?
たとえば被害者側、今の言葉を借りれば奪い取られる弱者になったこととか。
俺の知る限り、術師の名家というものは各界に、ときに裏社会にさえ影響力を浸透させている。
一歳家もその力をもってすれば、反社会勢力の1つや2つ、恐るるに足らないはずだが。
ああ、彼女の家はその宗家から縁切りされているんだったか。
2人目は、と一歳が指で次の被害者の名をなぞる。
「女子大学生、なんだ、すぐそこの計都大学ね」
「うん、3年生の水島安奈。家がそこそこの名士で、親は有名企業の重役。良いとこのお嬢さんらしい。殺され方は最初の男と同じ、やられたのも夜だ」
「発見現場は駅南口の第3駐車場付近……。ああ、あの路地がゴチャゴチャしてるとこ」
「そう、そこの路地を奥に入ったところ」
こちらも居酒屋が並ぶ、一見賑やかなところではあるが、1本路地を入るだけで街灯が極端に減り、驚くほどの暗がりが広がっている。
犯人は繁華街で男1人を惨殺して逃げ果せている奴だ。
こんな環境では、とてもじゃないが目撃者は望めない。
「ねえ、3人目は?」
急かされて、俺はページをめくった。
「安田武夫、28歳。キャバクラの副店長。ただしバックにヤクザがついた店のね」
「こいつもソッチ系なの」
「うん、さっきの鬼頭の弟分で昔から色々悪さしてたらしい。この男も一緒に姿をくらましてたみたいだ。鬼頭に輪をかけて粗暴な奴で、殺される何日か前にも、若い男の胸ぐらをつかんで口論する姿を目撃されてる」
「ようはチンピラね。まあ反社なんて2人死のうが2億人死のうが、構わないけど。で、こいつも兄貴分と同じく、お腹を食べられてたってわけね」
「ああ、現場も1件目とそれほど遠くない」
みんな、心臓を中心として内臓の大部分を食い荒らされるという同じ手口でやられている。
それがこの3人を、連続性のある事件の被害者としてまとめる共通点だ。
3人やられたのだから、いつ4人目の被害者が出るとも限らない。
少なくとも、最悪でも、一歳の名をその中に入れさせないのが俺の役目だ。
「ねえ、この参考人って、例の目撃者の?」
未だに手帳の字を追っていた一歳が指差した。
「ああ、暗がりに座ってたっていう男性。彼を見つけた人は遺体がショッキング過ぎて、男の顔は全然印象に残らなかったそうなんだ」
「ああ、まあ……かなりスプラッターな状況でしょうし」
「うん。ただ」
「?」
「これはどこにも報道されてないんだけど。男の顔が、ひどくにやけているように見えたのだけは強く記憶してるって」
見る見るうちに一歳の目が険しくなっていく。
理解しがたいものへの不快感と嫌悪だ。
「なにそれ、気持ち悪いっ」
同意だ。死体を前にして笑う男に、愉快な感情が湧くわけがない。
だが人は不安や恐怖が極限に達すると、笑っているような表情を作ることもあるという。
単にそんな心理状況に置かれた男をにやけていると誤認したのか、それとも笑みには何か理由が──。
「この人がさっさと出てきて犯人の特徴を話せば、全部解決するのに」
「なぜか、出てこないんだよなあ」
「出て来られない理由でもあるのかしら?」
妖怪の共犯、なんてことはないだろう。
ではなぜ?
記憶操作、あるいは口外できない術をかけられた可能性もなくはない。
呪詛の件から見て、今回の鬼一口は術に長けているようだ。
「被害者や目撃者は分かったから、肝心の黒フードは? 事件当日の姿は確認されてるんでしょ」
「うん、防犯カメラの映像をこっちに保存してある」
俺はスマホを取り出す。
「捜査資料もそっちにまとめれば、手帳いらないんじゃない?」
「手帳に書き込むほうが、なんかこう、探偵の捜査って感じでカッコいいだろ」
「まだ助手の分際でそんなこだわりを持つなんて生意気ね」
「こだわりってのは生きる上で大切なものなんだよ」
フリックして静止画を表示させる。
よく撮れているものをトリミングした数点。
「フード付きの黒いパーカーにカーゴパンツで、顔も体型も分かりづらい。横と後ろ姿しか映ってないから余計にね。身長は165から170くらいだって」
「量販店のマネキンが着てるようなコーディネートね。こんなの、どこにでもいるじゃない」
一歳が飽きれ気味にぼやいた。
同感だ。特徴らしい特徴はまるでない。
「あと、唯一の遺留品があるんだけど。ちょっと血がついてるから気を付けてね」
俺は別の画像を画面に出した。
「なにこれ? 紙くず?」
誰の目にもそう見えるだろう。
にじんだ文字がうっすらと浮かんだ紙くずに。
「レシートだよ。最初の遺体の、裂かれた腹の中に落ちてたらしい」
「じゃあ犯人が落としたものに間違いないのね」
「でも残念ながら、服ごと何度も洗われたのか指紋も出ないし、店名も電話番号も読めないんだ。買った物の名前の後半がなんとか読めるくらいで」
唯一読める2つの文字は、
「この、メン? モリ? ってなに?」
「なんだろうなあ。たとえば、ラーメン屋に行ったとか」
「ラーメン屋?」
「そう、欲深い妖怪だけに大食いで、ラーメンを大モリ特モリで注文した、なんて」
「それならチャーシューとコーンと背脂は絶対追加するでしょ。あとモヤシにメンマに煮玉子と、ああ、ライスと焼きたての餃子も外せないわね」
「……一歳さん、お腹空いてる? お弁当半分も食べてなかったから」
「全然平気よ、美少女は少食なの。それより、そんなしょうもない冗談しか出てこないってことは、そういうことね」
「うん……まあ、つまり、警察もまだ何も分からないって」
一歳は大きくため息を吐くと、
「分からない尽くしね。ガラクタみたいな手掛かりばかり並んでて、これが妖怪や怪異を相手にするってことなの?」
「そういうものなんだよ、この仕事は。だから犯人に繋がる手掛かりは誰からでもどこからでも、手間を惜しまずにつかんでいかないと」
その時、次の停留所を知らせるアナウンスが流れた。
「次は市立病院前」
競技カルタなら全国を狙える速度で、一歳が降車ボタンを押した。
「それじゃあ行きましょ。手掛かりをもたらしてくれるかもしれない、御子柴さんのお見舞いに」