心のすきま
「心のすきま?」
「ええ。悩み、心配事、コンプレックス、トラウマ──負の要素は心を歪にし、仄暗い隙間を作る。そういった精神的な弱点や暗部は大なり小なり誰にでもあるものですが、呪詛はそこに入り込みやすく、1度深く食い込むと侵蝕の速度も早い」
呪詛は黒カビのように薄暗く湿った部分と相性がいいのだ。
一歳も、先生の言葉からなんとなくニュアンスは理解できているだろう。
「一部の妖怪は、人の心の弱い部分や不安感から生み出された存在です。そのため、わずかにでもできた心の隙間を嗅ぎ取り、術をかけることに長けている。弱った心が隙を見せる瞬間を虎視眈々と狙い、取り入る──それが人に仇なす妖怪の常套手段なんです」
「弱った心の隙を」
「そうです。この呪詛にはその傾向が強く見られる。なにか悩みや精神的な負担など、覚えはありませんか? 日常のストレスなど、自分では気付かないほど些細なことに起因していることもある。それを特定して根本から解決できれば、呪詛の弱体化や、さらに反撃の糸口を見つけることも可能となるでしょう」
「……根本から解決」
一歳はそう呟いてから、
「解決なんて、そんなの無理ですよ」
どこか諦念を帯びた口調で答えた。
「無理とは? 何か思い当たることでも?」
「それは──」
一歳は言葉を選んでいるのか、少し沈黙を作ってから、
「いえ、逆に山ほど思い当たるからです」
「山ほど」
「ええ。昔から怪現象の障り、ですか? に悩まされて周りから理解も得られず、魔術師を訪ねてみればワケありの娘だと心ない言葉を浴びせられて。芸能界では、幼心にも嫌な人間関係を目にしました。そんな過去に加えて私は今、思春期なんですもの。多感で敏感な時期です。悩みを抱えていない少年少女なんていません。ねえ?」
一歳は、それこそカビの生えそうな薄暗い青春に日々懊悩している俺に同意を求めた。
完璧を体現するような彼女にも悩みがあるのか、と思いつつ、
「ま、まあそうだね。誰にでも何かしらあるものだろうし」
「ほら、色々抱え込むのが思春期ですから。悩みなんて数え切れないほどあります。だから、それを特定して、いちいち解決していくのは無理だと、そういう意味で言ったんです」
澄まして言うが、彼女はどこか意固地で、取り繕っているようにも見えた。
そうですか、と先生は宙を数秒見つめてから、
「しつこいようですが念のため1つ。それらの悩みの中に、透明、透ける、消えるといったキーワードが関わってくるものは、ありませんか?」
「透明?」
「呪詛の中には希にですが、悩みやトラウマなどを肉体に具現化させるものがあるのです。つまり透明をイメージさせる言葉に何らかの嫌な記憶があると、それが症状として表れるケースもある」
「…………いえ、特には思い当たりません。私、透明感のある色やシースルーのファッションは好みなくらいなんです」
少々の皮肉を匂わせつつも、一歳は答えた。
「……分かりました。では、呪詛を抑えるプロに早急に話をつけましょう」
「お願いします。ところで事件解決と私の足の回復がイコールで結ばれたようですけど、殺人事件の調査は進んでいるんですか? さっきの話だと、黒いフードの人物だけが手掛かりのようですが」
「警察を含め、各方面で調査を進めています。今日もこれから、彼が鬼一口に襲われた少女に話を聞きに行く予定で。君と同じ学校の生徒だったね?」
ええそうです、と俺は探偵助手の顔になる。
「実はうちの高校で一歳さん以外に襲われた人がいるんだ。1年の女子で、御子柴っていう」
「みこしば? ああ、あの子」
「知ってるの?」
「同じ委員会で、私のファンというか、何というか。それより、御子柴さんは大丈夫なの?」
「4日前に塾の帰りに襲われて、今は市立病院に入院してる。症状はごく軽めで、明日にはもう退院予定だよ」
「そう。襲われたのは気の毒だけど、それなら一安心ね」
「彼女も何か見ているかもしれません。わずかな目撃証言でも、辿っていくと思わぬ接点や手掛かりを見つけることがあります」
「捜査とは積み重ねだとよく聞きますけど」
「ええ。1つ1つは小さな点に過ぎませんが、点と点を結べば線になり、線と線とを繋いでいけば、やがては真犯人を追うための道しるべとなる」
「なるほど。本物を前にしてなんですけど、なんだか推理小説の探偵の台詞みたいですね」
「小説の名探偵のごとく鮮やかに、とは言えませんが、解決に向けて尽力しましょう」
先生は謙虚にそう答えた。
事実は小説よりも奇なり。
ただし、うちで扱う奇はレベルが違う。
「……そっか、明日には退院なのね」
一歳は背もたれで少し考える素振りをしてから、
「帰りは彼に送ってもらえるんですよね?」
「お望み通りにしましょう」
「そうですか。それならまず、後輩のお見舞いの付き添いをお願いします」