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カナデの物語 ~見えない夜の少女~

作者: いずもん

 暗い空から深々と降り続ける白が、色の付いていた街を一色に塗り替える。

 それはまるで、白の世界。

 夜が更けて、街には家の明かりなど殆ど消え、残っているのは街灯の弱い輝きだけだ。

 その輝きの中に、ふと赤い光が灯る。

 小さく、それでいて揺らめく赤は、周囲の白、雪がある中で自然と生まれるものではなく。

 その赤と共に歩く、人影の手元から放出されたものだ。

 街灯の光を受け、僅かに光る銀色のzippoライターが灯す赤の火を、持ち主はそっと顔へと近付ける。

 それによって照らされた持ち主は、男。

 目は細く、無精髭を生やし、黒髪に白のメッシュが入っているのが特徴的な彼の口元には、一本の煙草が咥えられている。

 火はその煙草の先端を炙り。

 やがて煙草に火が灯った。

 それを頃合いとして、火を消すためにzippoの蓋を閉じて金属音を響かせ、煙草越しに息を吸う。

 まるで深呼吸でもするかのように、肺まで目一杯煙を吸い込み、次の瞬間には全て吐き出していた。

 煙と、寒さからくる白い吐息が混じり合ったそれは、一瞬にして空気中に溶けていく。

 それを最後まで見つめた男は、ふと、視線の先に他の街灯よりも強い光を浴びている空間を見つけた。

 彼が今、歩いているのは住宅に囲まれた坂道だ。

 そして、彼が見つけたその空間は、坂道の終着点。

 しかし、それより先は一切の暗闇に包まれている。

 目視での距離は、二百メートル程。


「……遠いな」


 彼はそう、独り言で悪態をつきながらも、その空間へと向かう。

 彼が一歩、また一歩踏み出す度に、積もった雪には深い足跡をつけ。

 それを隠すようにと、雪は変わらぬ速度で降り続けていた。






 ゆっくりとした歩み故に、ようやく辿り着いたその空間は、二メートルはあるだろうコンクリート製の防潮壁が建てられていた。

 その高さにより、向こうにある景色が見えなくなってはいるが、親切にもコンクリートで階段が設けてあり、男は迷うことなく上って行く。

 しかし、上り切った防潮壁の向こうには、何も見えなかった。

 日の光が当たらない今は暗闇しか無く、聞こえるのは波の音だけ。

 彼はその音を聞きながら、防潮壁の上に胡坐をかき、羽織っている黒いダウンジャケットの帽子を深くまで被り、暖を取るように背中を丸めた。

 と、その時だ。


「おや? 先客さんかな?」


 どこか柔らかい女声が、男に問い掛けの言葉を放った。

 それは防潮壁の下から放たれたもので、街灯によってボアのついたモッズコートとマフラーを纏った少女の姿が照らされている。

 また、被っているピンク色のニット帽からはみ出るほどの長い黒髪は、コートの背までつくほどだ。

 彼女は大きな二重の瞳を、驚き故に丸くしながら、男を眺める。

 だが、いつまで経っても問い掛けに反応がないため、痺れを切らしたのか階段を上り始めた。


「ちょっとちょっと、無視は良くないよ! えと……おじさん?」

「そういう時は、お兄さんって言うもんだ」


 おじさんという単語に即座に反応した男は、その沈黙を破って言葉を発した。

 次いで、上ってきた少女を視認するため、後ろへと振り向いた。

 少女が立っていたために下から見上げる形になりつつ、笑顔になっている彼女を見つめる。

 そうして出てくる言葉は、

「……タイツって、寒く無いのか?」

「やっぱり、おじさんだね。しかもえっちぃ方の」

「なんでそうなる!」


 男の怒声に、きゃははっと笑う少女は、嬉しそうに跳ねながら彼の隣に寄って、座り込んだ。

 二つの背が、防波堤に並ぶ。


「でも、こんな時間にここに居るなんて、エロくなくても変なおじさんだよ?」

「この街の事情なんて知らん。俺は今し方、着いたばかりだ」


 思わぬ返答に、ほえ?、と惚けた声の出た少女は、キョロキョロと周囲を見渡した。

 海岸沿いを行く左右の道路、背後に伸びる坂道、正面に広がる地平線。

 その全てを確認した上で、小首を傾げる少女は、恐る恐る問い掛ける。


「み、密入国の方ですか……?」

「なんでそんな、極端な問いになるんだよ」

「だってだって、この時間にバスなんて通ってないよ!? 道路は雪が積もり過ぎて通れないらしいし……。そしたらもう、海しかないじゃん!」

「あぁ……坂の上から来たんだ。山の中を通る、トンネルを歩いてな」


 どこか面倒そうに答えた男は、吸い終えた煙草をコンクリートに押し付けて消し、ダウンジャケットのポケットから出した携帯灰皿に吸い殻を捨てる。

 口が寂しくなったことに、眉間に皺を寄せるが、それよりも。

 驚きの表情を見せる少女の方が気になった。


「……なんで、そんなに驚いてるいるんだ?」

「ううん、坂の上にトンネルあったんだなぁって思って。私、夜しか外に出ないから、ね?」

「確かに、坂の上は街灯なんてなかったしな……。まさか、この街の住人じゃないのかと思いそうになったぞ」

「失礼な! 私は生まれも育ちも、この街ですよーだ。……で、おじさんは何しに来たの?」


 再度、小首を傾げた少女は、そのまま男の顔を覗き込む。

 対し、男は、お兄さんだ、と訂正し、溜息混じりに答えた。


「俺は……そうだな、旅をしてるんだ。宛てもなく、ただひたすらにな」

「ほぇ〜……旅人さんかぁ。え、それじゃあ、この街にはあまり滞在しないの?」

「いや、なにせこの雪だ。天気の様子を見て……二日後くらいに立つかな」


 言いながら、男が見上げる夜空からは、未だに大粒の雪が無数に降ってきている。

 ……本当に、暫くは動けそうにないな。

 内心でそう呟き、また溜息をつく。

 今度は深めに、身体中から空気を抜くように。

 それからは、暫し沈黙。

 ただ、息を吐く音だけが、唯一の音だった。

 その沈黙を破ったのは、少女の声で。


「さってと、私はそろそろ帰るね! おじさん、明日もこの時間に、ここに来たりする?」


 明るい声でそう言いながら、少女は立ち上がって服に積もった雪を払う。

 それによって舞う粉雪が男に降りかかるが、互いに気にはしていないようだ。

 少女の問い掛けから少しの間を置いて、男はゆっくりと少女の方へと向く。


「そんなこと聞いて、どうしたんだ?」

「だって、こんな時間に人が外に居るのって、珍しいもん」


 あれ、さっきも言ったっけ?

 そう口に出して自問し、あはは、と笑って誤魔化しつつ、言葉を続ける。


「だから、明日は旅のこととか、色々お話を聞きたいなって、ね。10時以降なら、いつも外に居るから!」


 それじゃ、と一方的に会話を断ち切り、軽快に階段を下りていく。

 まるで嵐のように去って行こうとする彼女に、呆気にとられていた男は、ハッとなって少女を呼び止めた。


「おい! 昼間じゃ、駄目なのか?」


 防潮壁の上と下。

 見てわかるほどに離れているわけではないが、夜だからかやけに声が通る。

 対し、問われた少女は、一瞬表情に影を落とすが。

 次の瞬間には満面の笑顔となり。


「そういえば、自己紹介忘れてた! 私は、丹端 鈴(たんばた りん)っていうんだ! よろしくね、おじさんっ」

「いや、だから昼間に――行っちまった…」


 呼び止める言葉も虚しく、鈴と名乗った少女は急ぎ足で坂の方へと駆けて行った。

 1人、防潮壁に残された男は、苦笑を漏らしつつ、ジャケットのポケットに手を突っ込む。

 中から取り出したのは、緑色に染まった煙草のパッケージ。

 そこから一本の煙草を取り出し、口に咥えようとして。


「……香坂。香坂 奏(こうさか かなで)だ」


 もう聞こえるはずのない自己紹介を虚空に告げ、煙草を咥える。






「……おい、鈴。約束通りに来たぞ」

「わっ!? ……こ、来ないかと思ったよ。どこ行ってたの?」

「どこ行ってたのって……宿で泊まってたんだよ。でなきゃ、この寒さの中で凍死しちまう」


 昨夜と同じく、雪の降る夜。

 奏は煙草を吸いながら、防潮壁の上で膝を立てて座る鈴に、真横から声を掛けた。

 対し、突然近距離から声を掛けられたことに驚いた鈴は両手の平を大きく振り。

 これだけ驚いたんだよ、と伝えるかのように、過剰な反応をしてみせる。

 だが、驚愕の表情は次第に笑顔へと変わり、腰を浮かせて右へと座る位置をズラした。

 満面の笑みを浮かべて、今まで自分が座っていた位置を平手で叩きながら。


「ささ、おじさん。ここは私が温めておいたから、遠慮無く座って!」

「お兄さんだ。……本当に温かいな、逆に気味が悪い」

「な、なな! 女の子にそんな態度とってたら、モテないよ? その上、煙草も吸って――およ?」


 人差し指で奏をさし、大声で喚いていた鈴はしかし、ふと、あることに気付いた。

 彼女はそれを確かめるかのように奏に近付き、鼻をすんすんと鳴らす。

 今もなお、煙草を吸っている彼の周りの匂いを確認するかのように。

 だが、嗅げば嗅ぐほど、眉を潜めて疑問の表情を見せる鈴は、小首を傾げて問う。


「……おじさんの煙草、なんで臭くないの? むしろ、いい香り…?」

「ん? あぁ、紅茶の匂いがするんだよ、こいつは」


 煙草なことには変わりないがな、そう口の端を釣り上げ、笑みを浮かべながら呟く。

 次いで、煙草を咥えて一吸いしながら、横目で鈴の方を見る。

 彼女は手袋をしていない両手の平を口元に当て、吐息で温めているところだった。

 手にかかる吐息が、まるで煙のように白くなり、すぐに消える。

 その光景を暫く見つめた後、煙草の先端に出来上がった灰を防波堤の下に落としながら、口を開いた。


「それで、なんで呼んだんだ?」


 どんな目的で再会を求めたのか。

 そのことを奏は、当然覚えている。

 だが、敢えて彼は、鈴の口からお願いを聞くように、問い掛けた。

 対し、不意の質問に、両手を口に当てながら目を丸くした鈴は。

 思い出したように、口から両手を離し、片方の平手をもう片方の拳で打った。


「そう! そうだった、お話を聞きたかったんだよ! おじさんの、旅の話っ」


 例えば、

「雪国以外の場所でのこととか、印象強い出来事とか! あと、あと……とんでも話とか、えとー……」

「落ち着け、慌てなくても話してやるから。ただ、期待はするなよ?」


 宥める言葉で鈴の言葉を遮った奏は、吸っていた煙草をコンクリートに押し付けて一度消し、携帯灰皿へと捨てる。

 そして、新たな煙草を一本取り出して、zippoを構えた。

 鈴は、そんな姿を見つめながら、目と口をまん丸に開けて。

 刹那、先程よりも深い笑みを浮かべて、歓喜の声を上げる。


「ほ、ほほほ、本当!? 約束だよ、約束だよ!」

「わかった、わかったから。とりあえず、煙草を吸わせろ」

「う、うん! おじさん、煙草吸い過ぎだけど、この際気にしないよ!」


 喫煙者にとっての深呼吸くらいさせろ、と悪態をつきながら、火を灯す。

 煙草の先端には赤の火が燃え移り。

 zippoは金属の快音を響かせ。

 息を吸い、吐く音が静寂となった空間で発せられる。

 そして、暫しの沈黙の後。


「じゃあ最初は、山脈にあった小さな村の話から――」


 旅人の語りが、始まった。






 住宅街からは、次々と明かりが消え。

 夜も更け。

 されど、未だに活気のある空間があった。

 それは、他よりも明るい街灯に照らされた防潮壁。

 遠くからでもその全貌を把握出来るほど、明るい空間で。

 言葉を発しているのは、二人の人影。

 片や、男の方は淡々と記憶を語り。

 片や、少女の方は喜びや怒り、時には哀しみ、また時には安堵し。

 あらん限りの喜怒哀楽を周囲に響かせながら、男の、奏から語られることに聞き入っていた。


「――じゃあじゃあ、透き通るような青い海がずっと続いてたの!?」

「あぁ、道のりが道のりだったのもあってか、感動は大きかったな」

「青い海かぁ……!」


 海があるだろう、波音の聞こえる方向を見つめ、目を輝かせる少女、鈴は。

 いいなぁ、と愛おしそうに呟き、目を瞑る。

 どこか、儚さのある鈴の横顔を眺める奏は、吸い殻が八本ほど入った携帯灰皿を一瞥してから、問いを放つ。


「どうした? この街の海は、綺麗じゃないのか?」

「……うーん、知らないんだ」

「知らない?」


 予想外の返答に戸惑う奏は、思わずおうむ返しに質問していた。

 対し、鈴はそのことなど気にせずに、立てた膝に頬を載せて、傾げた頭を奏へと向ける。


「そっ、知らないの。この街の海も、空も、ううん、何もかも」


 言ってる意味がわからない。

 内心、数多の思考を張り巡らせながらも、奏は平然を装って次の言葉を待つ。

 すると、鈴は突然立ち上がり、防潮壁から砂浜の方へと飛び降りた。

 街灯の光は雪を被っている砂浜に僅かに届いており、その高さがニメートルほどだというのが把握出来るが、着地してからも平然と歩いている鈴の様子では、特に脚への負担はなさそうだった。

 彼女は円を描くように歩き回った後、防潮堤の上にいる奏を見上げる。

 相変わらずの笑みで。

 けれどどこか、寂しそうに。


「砂浜も、この先に広がる海も、明るい時の姿は知らないんだ。写真でしか、見たことない……」


 えへへ、とどこか強がりにも見える笑みを零しながら。

 鈴は、両手を広げてゆっくり回り、空を見上げる。


「青い空も、子供達が遊ぶ砂浜も、人や車がたくさん通るこの街も。写真でしか……写真でしか、知らないんだ……」


 言い終え、回るのを止め。

 広げていた両手を胸元に当てて、瞳を瞑る。

 どうして知らないのか。

 誰もが聞くであろうことを、しかし奏は問い掛けない。

 昨夜。

 何故、昼間では駄目なのかという問いをはぐらかした彼女が、自ら胸の内を明かしているのだ。

 だからこそ、奏は無言で聞き続ける。


「私は、生まれつき特異体質でね……。身体に日光を浴びちゃうと、肌の細胞が死んじゃうんだ……。治ることすら、時間がかかっちゃう」


 ただただ、少女の悲痛な言葉を、聞き続ける。


「だから、物心がついた頃から、ずっと家の中。太陽の光も、街の人達の活気も、何も知らない」


 生まれた時からの、孤独。

 世界が、一軒家の中だけで終わるのだ。

 そして、写真やテレビの向こうに広がるのは、手の届かない夢の世界。

 誰もが行ける明るい場所に、自分だけが行けない、残酷な現実。

 その苦しみを、悲しみを、今にも崩れてしまいそうな弱い笑みで、奏に告げる。


「でも、去年くらいに夜なら出ても大丈夫だって知って。それからは、用心のために肌を出来るだけ出さないようにして、こうやって外出してるんだ」


 この街の中だけ、だけどね。

 苦笑を漏らしながらそう言い、奏の下に近づいて行く。


「ごめんね、急に暗いこと言い出して。なんだか、おじさんには話したくなっ――」

「明るい世界に、出たいか?」


 突如、無言を貫いていた奏が、鈴の言葉を遮って問い掛けた。

 無表情で、真っ直ぐに彼女の目を見ながら。

 対し、突然来た質問に驚き、無責任な言葉に思えて慌てる鈴は、両手を勢いよく、後ろへと振り下ろす。


「へ、変な冗談は止めてよおじさん! 私の話、聞いてた? 私は、出れないんだよ!?」

「出れるか出れないかとかじゃない。鈴、お前は出たいのかと、聞いてるんだ」

「……そりゃ、出たいよ……」


 次の瞬間。

 彼女を止めていた何かが。

 吹っ切れた。


「そりゃあ出たいよ! そして知りたい! 他の人達が遊んでる姿や笑い声、泣き声や楽しんでる声、何もかもを間近に感じたいもん!!」


 必死に、ひたすら必死にぶちまける。


「近所のお婆ちゃんとすれ違って、こんにちは良い天気ですねとか! 元気に雪の上ではしゃぐ子供達と雪合戦したりかまくら作ったり雪だるま作ったりとか!」


 叫ぶ。

 近所迷惑とか知ったものか。

 そんな煩わしいものは捨てて、生まれてからずっと溜め込んできたものを吐き出す。


「お母さんと一緒に毎日散歩して、仲の良い親子だねって言われたりとか! ううん、散歩だけじゃない、お母さんやお父さんともっともっともっと色んなところに行きたい!」


 街灯の光が。

 鈴の瞳に生まれた雫を光らせる。

 もう、笑顔もなく。

 くしゃくしゃになった顔で。


「特別なことなんて望まない、お金持ちになりたいとか社長になりたいとか有名人になりたいとかなんかじゃない! 普通の、当たり前の、誰もが出来ることがしたい…!!」


 嗚咽混じりに叫ぶ。

 もう、瞳から出た涙は流れ続け。

 鼻水は彼女の呼吸を辛くさせる。

 けれど、荒い呼吸に肩を揺らしながらも。

 奏を真っ直ぐに見る目は、一度も逸れることはなかった。

 それをずっと見ていた奏は、咥えていた煙草の火を消し、頷きを一つ。


「……願い事を一つ、叶えてやろう。お前が心から望むことを、一つだけだ」


 人差し指を立て、目を潜めて。

 ただし、と前置きし、次の言葉を放つ。


「代わりに、同等のモノを一つ失う。それが何なのかは、話せない。それを踏まえた上で――願い事を一つ、叶えてやろう」


 何を願う?

 そう問い掛けるように、奏は小さく首を傾げる。

 先ほどの鈴と同じ、真っ直ぐな瞳。

 そして、その瞳を見る鈴は、不思議な魅力を感じていた。

 普通では、あり得ないようなことを口走っていても。

 興奮して息を荒げていても。

 彼の言葉はしっかりと聞こえ、頭に入ってくるのだ。

 故に。


「………たい……」


 故に、彼女は望みを発する。

 例え叶わぬことであっても。


「……外に、出たい! 明るい世界の、人達の温かさをたくさん知りたい!!」


 涙を袖で拭い、強い意志を持った瞳で奏を見る。

 そこから新たに流れ出る涙は無く。

 鈴の強い願いが、そこにあった。


「……良い目だ。鈴、こっちにおいで」


 今までとは違う、優しい言葉。

 鈴は、その言葉に誘われるがままに、奏の真下まで歩く。

 すると、近くに階段が無いからか、奏は彼女に手を差し出した。


「さ、引き上げるよ」


 一瞬、その手を掴むことに戸惑うが、深呼吸一つし、気合を入れる。

 そして、鈴が手を掴むと、勢いよく、しかし優しく彼女を引き上げた。

 次いで、奏の傍に座らされると、彼は片手を鈴の額にそっと添えた。


「目を覚ました時、鈴には大きな変化がある。それは、願いと引き換えに失うモノだ」


 そして、

「そして、それを実感出来る時、願いは叶っているだろう」


 手を添えられ、語りかけられている間、鈴は額に温かみを感じていた。

 それは、彼女を眠りへと誘い、次第に目蓋が重くなっていく。

 薄れていく意識の中、ふと奏を見れば。

 彼は、微笑んでいた。






 意識が徐々に覚醒する。

 身体の感覚がはっきりし出し、自分が今、布団に包まれているのがわかった。

 手は動く。

 足も動く。

 首も、腰も、肩も動く。

 呼吸もしている。

 でも、足りないモノがあった。

 世界が、暗闇のままなのだ。

 そのことに不安を感じ、しかし同時におじさんの言葉を思い出す。

 ……願いを叶える代わりに、失うモノ。

 それが、多分、この、目が見えないことと関係があるということなのだろうか。

 でも、それならば、もしかすると。

 思い立ったが吉日だ。

 布団を剥ぎ飛ばし、ベッドを飛び出す。

 何も見えないのは怖い。

 けれど、家の中は私にとっての世界。

 記憶にしっかりと刻まれてるから、大丈夫。

 自分に言い聞かせながら、部屋の扉があったであろう場所に駆けて、

「わっ! ど、どうしたの鈴?」

「へ!? あ、お、お母さん! ごめんね、ちょっと急いでるんだ!」


 何度も、ごめんね、と言いながら、お母さんの身体を伝って部屋を出て、手摺を頼りに階段を駆け下りる。

 後ろからは、どこ行くの、という声が聞こえるが、今は無視だ。

 一歩一歩、見えない先に足を踏み出すことに全神経が集中しているのがわかる。

 当然、足もとは覚束ないが、今はそれよりも。

 何も見えない怖さよりも、確かめたいことがある。

 この高鳴る胸の鼓動は、きっと強い好奇心から来るものだ。

 だから、行く。

 記憶を辿り、玄関の扉に手を掛ける。

 靴を履いている暇はない。

 勢いのままに、扉を開ける。

 瞬間、身体を震わす冷気が入り込み、そして。

 音が、そこにあった。

 車が走る音、お隣さんが玄関先で会話をしてる声。

 聞いたことのない音達が、当然のようにそこにあった。

 その音達に耳を傾けつつ、家の前の、歩道であろう場所まで歩く。


「……暖かい」


 もちろん、まだ時期は冬だから寒い。

 思えばパジャマのままだったし、その上裸足で出てきているのだから、尚更だ。

 けれど、優しい暖かさが、身体に当たっているのをしっかりと感じる。

 それは、きっと。

 ……これが、太陽なんだ。

 今のところ、身体に変化は無い。

 昔、自分の病気を教えられた時、太陽に当たると激しい痛みを感じると、お医者さんから聞いた。

 でも、今はなんともない。

 足は冷たいけれど、太陽のある世界に出ている。

 そう実感した時、ふと、冷たいものが頬を流れた。

 無意識に泣いてるのかな、そう思い、袖で涙を拭う。

 まだ、感動するのは早い。

 もっと、もっと感じたい。

 玄関の扉が開く音がしたけれど、気にしない。

 見えない一歩は、思ったより簡単に出た。

 この街は、何度も何度も歩いて、道は頭の中に残っている。

 時間が違うからこそ、夜にはないものがあるかもしれない不安はあるけれど。

 雪に足を取られつつ、坂を駆け下りる。

 もうすぐ、もうすぐ海だ。

 きっと砂浜には、雪で遊ぶ子供達がいるはず。

 高まる期待に反し、足は疲れ、呼吸は乱れ、肺に入ってくる冷気が痛い。

 でも、この先には、きっと。

 と、その時、

「うひゃあ!」


 突然、雪の塊に足を掬われ、盛大に転ぶ。

 顔から雪に突っ込んだため、痛冷たい。

 ……つ、疲れた……!

 勢いが止まり、倒れたことで一気に疲れが来た。

 そして何より、寒い。


「……はぁ……はぁ……ふぃ〜……――ん、ふふ……ははは……」


 急に笑って、変な奴だなってのは、自分でもわかるけど。

 落ち着いたら、自然と笑い声が出てきた。

 側から見たら、きっと雪を見てはしゃいでいる子だと思うだろう。

 多分、顔を見たことがない子だから、余計に。


「お姉ちゃん、大丈夫?」

「死んじゃった? 死んじゃった?」


 不意に、横から二人分の声が掛けられた。

 声の幼さから、男の子と女の子だろう。

 私を心配するように掛けられた声に、倒れ続けているのが申し訳なくなった。

 ……何か、棒みたいな物で突つかれてるし。

 そろそろ、身体も起こそうかな。

 地面に着けた手に力を入れて、

「じゃーん!!」

「わっ! びっくりした!」

「生きてたー」


 二人の驚いた声に満足しつつ、声のしていた方へと向き。

 恐るおそる、手を伸ばす。


「どうしたの、お姉ちゃん?」


 男の子の声がした。

 そのおかげでわかった場所に、確信を持って手を伸ばす。

 すると、温かみを持った丸い何かに、手の平が載った。

 それは、きっと頭だ。

 だから、添えた手で男の子の頭を撫でる。


「もう大丈夫! 心配してくれてありがとねっ」


 君もだよ、と言いながら、女の子が居るであろう場所に笑顔を向ける。

 すると、えっへん、と可愛らしい声が返ってきた。

 どうやら、方向は間違ってなかったようだ。

 その時、ふとあることを思いつく。


「あっ、そうだ! 二人とも、お姉ちゃんと一緒に海の方で遊ばない?」

「うん! もちろんいいぜ!」

「遊ぶー!」


 可愛い子達だなぁ。

 思わず、頬が緩む。

 きっと今の私はニヤニヤしてるんだろうな、と考えながら、撫でていた手で頭をポンポンと優しく叩く。


「ありがとっ! でもね、お姉ちゃん目が見えないから、お手てを繋いで一緒に行ってくれる?」


 問いに、少しの間があって。


「お姉ちゃん、ビョーキなのか?」

「……うん、そうなんだ。だから、お願いしてもいい?」

「もちろんだぜ! な、あやか!」

「にいにとお姉ちゃんと、三人でてー繋ぐー」


 あやかと呼ばれた女の子に、言葉を言い終える前に空いてる手を掴まれ、ギュッと握ってくれた。

 すると男の子も、俺も俺も、と言って頭に添えていた手を握る。


「じゃ、行こ!」

「行こ行こー!」


 二人の掛け声と共に両手が引かれ、慌てて立ち上がる。

 けれど、目が見えないことに気を遣ってか、歩みはゆっくりだ。

 その優しさに感謝し、言葉にしようとした時。

 ふと、紅茶の香りがした。

 それは、記憶に新しい匂いで。

 勢い良く匂いのした方へ向くが、当然何も見えない。

 声も掛けてこないということは、きっと気のせいだろう。

 そう思うことにし、頷く。


「ありがとう、お兄さんっ」


 どこにでもなく、そう呟いて。

 子供達に導かれるままに、砂浜へとむかった。

 足は冷たいけれど、これも体験だと、そう思うことにしよう。

 初めて読んだ方ははじめまして、稀の更新に気付き見て頂いた方はお久しぶりです。

 どうも、Izumoです。

 まず、数ある作品の中で私の作品を読んで頂き、ありがとうございます。

 ……そして、とてつもなく久しぶりの執筆です。

 連載物の休載が2年以上過ぎ、そろそろ危機感が最骨頂に達しそうなこの頃ですが、ふと、昔から書きたいと思っていた物を1つ、短編として書きました。

 この作品は、一応短編とはなっていますが、香坂 奏をキーキャラとして、短編のシリーズ化をしてみたいと思います。

 何故連載にしないのかは、まぁ1つひとつが完結であることと、次の更新がいつなのかわからないので←

 ともあれ。

 久々の執筆を終え、どこか感覚を取り戻せたような気はします。

 ちなみに、クロスオーバー大好きな作者ですが、今回ももちろんさせて頂いております。

 今までより、作品本編に支障はない程度なので、お気になさらず……。


 それでは、どちらが本編なのかわからないくらい長文になってしまった気がするので、ここら辺で。

 失礼しましたー。

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