一話 老人
それは、まだ春になったころ。
その日、俺は妙な老人を見つけた。
その老人の印象は『魔法使い』。そうとしか表せない格好をしていた。
RPGの魔法使いみたいな茶色のくたびれたローブを纏っていて、本格的な杖を握っている。
さて、その恰好も問題なのだが、別の問題もある。
その老人は道に倒れていた。
「おい爺さん、大丈夫か?」
反応がない。ただの……いや、縁起でもないことを考えるのはよそう。
その時だった。
グギュ~~~~~~…………
大きな音を立てて爺さんの腹が鳴った。
「もしかして、空腹で倒れただけ?」
よもやそんな人物をこの目で見るとは思わなかった。
「まあ、とりあえずは……」
気を失っている老人を背負う。
見つけた以上放っては置けない。見なかったことにして置いて行って何かあったら寝覚めが悪いからだ。
そのまま俺は自分の家へと足を向けて進んでいった。
「いやー、美味い!」
目の前の爺さんは口に食べ物を入れながらそう言う。
中身が飛ぶからやめろ。
「おかわり」
「爺さん。遠慮って言葉知ってるか?」
「なんじゃ、もう終わりか? 若いくせにケチじゃのぉ」
「ボケてんのか爺さん。それでもう五杯目だぞ? ケチって言う前にちゃんと数覚えとけ」
「年寄りをいじめるとは最近の若者はなっとらんのぉ」
もう言葉には応じない。茶碗を突き出している爺さんをジト目で睨む。
「まあ、これくらいで勘弁してやるわい」
偉そうな老人の態度を無視して茶碗を受け取りご飯を寄そう。
「五杯だけではなかったのか?」
「これで最後。炊飯器の中身もないから、もうねだっても無駄だぞ」
「ほほっ。そうかそうか、それで最後か」
爺さんは意味ありげに笑ってからもう一度箸を持ち、ご飯を口の中に掻き込む。
「馳走になったのう小僧」
ご飯粒ひとつ残されていない茶碗を片付けている途中、不意に爺さんがそんなことを言ってきた。
「食い過ぎだ爺さん。俺の晩飯がなくなっただろうが」
「そりゃあすまんことをしたの」
悪びれもなく言う老人に俺は助けたことを後悔していた。
「ったく、なんであんなところに倒れてたんだよ爺さん」
「見ればわかったじゃろう? 腹が減っておっただけじゃ」
「はあ……」
なんでこのジジイはこうも堂々としているのだろう。
深いため息が出る。
「小僧、ため息を吐くと幸せがにげるぞ?」
「ああ、全く持って不幸だよ。なんせ今夜の晩飯がなくなったんだからな」
「食い意地の張った小僧じゃのぉ」
それは爺さんだけには言われたくない。
「まあ、腹も膨れたし。小僧、付き合え」
「は? 付き合えって何に?」
「この家のすぐ横に道場があるじゃろ。そこにじゃ」
「なんで爺さんがそんなこと知ってんだよ」
「いいから付いて来い。何、安心せい。小僧にとっても良いことじゃぞ」
何がなんだかわからないまま席を立った老人に付いて行く。
というか、なんで俺ん家の間取りを知っているんだよ。
老人とともにたどり着いたのは家の道場。
俺ん家は昔、剣道の道場を開いていた。
数年前に親父が死ぬ前からつぶれていた道場だが、今は俺が一人で使っている。
「ほう。手入れが行き届いているの、一人では大変だろうに」
「別に。俺しか使う奴がいないから掃除なんてさっさと終わるんだよ」
「ふむ、そうか。どちらにしろ良いことには変わりない」
さっきからなんなんだろうこの老人は。
「剣を取れ小僧」
「は……?」
「剣を取れと言ったんじゃ。聞こえぬのか?」
「いきなりなんなんだよ」
「小僧に面白いものを見せてやろうと思った老いぼれの親切を無駄にする気か?」
そこまで言われてはもう取るしかないだろう。
俺は道場の隅に立て掛けてあった竹刀を握り、老人のもとへと戻る。
「それでいい。それじゃ、一本付けるとしようかの」
「爺さん。本気で言ってるのか?」
やっぱりこの爺さんはボケているのかもしれない。
「何、手加減などせんでいいぞ。小僧の相手なぞすぐに終わる」
にやりと挑発的な笑みを浮かべる爺さんに俺は竹刀を構える。
「どうなっても知らねえ、ぞっ!」
そう口にした瞬間に強く踏み込む。
それは、竹刀の先が霞むほど速く。老人へと当たるはず……だった。
「は……?」
思わず呆けた声が出る。
老人は目にも止まらぬ速さの一撃をいとも簡単に杖で払ってしまった。
「ほれ。どうした。まさかその程度ではなかろう?」
爺さんの声に俺はまた竹刀を構えなおす。
どうして今まで気付かなかったんだ。
この老人。只者ではない。
それはさっきのやり取りで見た通りだが、それ以上のものをこの老人から今は感じることができる。
これは本気で行かなければ勝てない。
いや、本気で行っても勝てるか分からないぐらいに老人は強い。
なのにその気配を今まで感じることができなかった。今も感じられていないのかもしれない。
「爺さん……何者だ?」
「ほほっ。それは儂に一本でも当てられれば答えてやるぞ」
完全に余裕の爺さんに俺はジリジリと少しずつ距離を詰める。