スモウレスラーはかくありき
にわか知識なので、間違いがあると思います
間違いがあれば、指摘してもらえると幸いです
世界に四つ存在する大陸の中でも最大級の“ステーキメ・チャウマイ大陸”には、数千年も脈々と続く軍事超大国《アルセウラス大帝国》が存在する。
大陸の実に八割を領土とし、世界に覇を唱えて他の大陸にまで征服の手を伸ばしている《アルセウラス大帝国》の強さの源は、大陸各地に太古の昔から存在する、【神】のような【超越者的存在】かあるいは【超古代先史文明】により建造されたと言われる【迷宮】の恩恵に他ならない。
外界よりも出現するモンスターが強く、一箇所に密集している為、効率よく討伐する事が可能になる【迷宮】を多く保有するという事は即ち国防の要である屈強な軍隊を獲得する事に繋がっている。
濃密な実戦経験だけでなく、この世界に根付く【レベル】という経験値を蓄積する事で上昇していく【概念強化】によって、強者と弱者が区分される事も大きいだろう。
一応、レベル格差は勝敗を決する絶対的なモノではない。
性別や個人の才能などによって、レベル格差を埋める事は可能だ。
脈々と受け継がれてきた優秀な【血統】が備えた器の深さや、他者には真似できないような【特殊体質】の有無で覆す事もできる。
あるいは高性能な装備を揃えてもいいし、人数を揃えて物量で潰す事もできる。
それ以外にも事前に猛毒などを仕込むのもいいし、人質などで脅迫したり、精神的に追い詰める事も有用である。
そもそもの基本性能からして違う上位種ならば、多少のレベル差は誤差として処理できるだろう。
だが同種であり、技能や装備などに大きな差違が無く、策もなく真正面から戦う場合に相手が十や二十などレベルが大幅に離れていれば、よっぽど油断していない限り低レベルの者が勝つ事はまず不可能だ。
膂力で勝り、頑強さで勝り、反射速度で勝り、感知能力などあらゆる面で勝る存在に勝てる筈もないのは必然だろう。
そんな努力すれば努力相応の強さを得られるレベルを効率よく上昇できる迷宮が数多い《アルセウラス大帝国》が強いのも、やはり必然と言えた。
それに個としての能力だけではなく、迷宮のモンスターを討伐した際、低確率ではあるがドロップするアイテムは外界では滅多に手に入らないか、もしくは存在しないモノが多数存在する為、それ等を大量に獲得する事により様々な技術革新が起こり、文明がより大きく発展する助けとなっている事も挙げられる。
その一例として、巨大な竜の骨は空飛ぶ飛行船の竜骨などに使用され、竜の翼膜は風を掴む帆として、爪や牙は敵を切り殺す武器となり、頑丈な鱗や殻は味方を守る防具となる。
その他にも様々なドロップアイテムは命を永らえさせる薬品や闇を払う照明灯、様々な日用雑貨、山のように巨大な構造物の建材として、《アルセウラス大帝国》の社会や経済になくてはならない存在となっていた。
世界でも有数の技術先進国としての面を持つ《アルセウラス大帝国》は、他大陸に侵略して戦火を広げながらも、本土の国民はより良い生活と平和を享受していた。
そんな《アルセウラス大帝国》にも、もちろん権力争いなどがある。
別大陸にある《インバルドラ聖堂国》や《アリウラスカム連邦》など一種族が支配種となっている国々と異なり、個々人の実力を尊ぶ国民性のある《アルセウラス大帝国》は肉体は脆弱だがそれを補う力を秘めた【人間】から始まり、様々な血統氏族に枝分かれしている【獣人】や【蟲人】、個体毎に異なる特徴的な形状の生体殻に包まれた【魔人】、自然を愛し共存する【精霊人】など、多種族が共存しながら暮らしている。
一種族による統治でも立場や生まれなどによって争いは絶えないのだから、様々な信仰や生態の異なる多種族が共存する《アルセウラス大帝国》に争いが無い、なんて事は有り得ない。
それに他国の密偵などが潜入し、内部工作を行っていると思われる事案も多数確認されている。
だが他の国々と異なり、長年の種火が大火となって内乱に発展し、この巨大な《アルセウラス大帝国》が分裂する、という事はこれまでの長い歴史を遡ってみてもありはしなかった。
いや、正確に言うのならば、内乱は何度か起きている。
だがその尽くを《アルセウラス大帝国》最強の存在である【皇帝】が単身で鎮圧してしまう為、成功した事例が無いだけだ。
故に《アルセウラス大帝国》は長い年月を経ても存在し続けている。
【皇帝】は《アルセウラス大帝国》に置いて絶対の存在だ。
大地を割る剛脚、山を粉砕する剛拳、竜の息吹をほぼ無傷で受け止める防御力、数百年から数千年を生きる桁外れの寿命、長き生に摩耗せずヒトの情を残し続ける気高き精神。
その他にも虚偽を見抜く眼力に、助けを聞く聴力を備えた【皇帝】はまさに【現人神】と言えるだろう。
そんな【皇帝】がどうして生まれるのか。
それは《アルセウラス大帝国》らしく、とある【迷宮】の存在に他ならない。
無数に存在する迷宮の中に、《選定皇の迷宮》というものがある。
この迷宮を踏破した者だけが次の【皇帝】となり、《アルセウラス大帝国》を担う資格を得るのである。
《選定皇の迷宮》は長大な回廊で繋がれた部屋、あるいは様々な自然空間で構成される他の迷宮とは異なり、出現するダンジョンモンスターは百体の【ボス】だけと決まっている、塔型の迷宮である。
最上階に君臨する【迷宮主】に挑むには順番に各階の【ボス】を討伐する必要があり、またたった独りの【皇帝】を選定するという迷宮の存在理由から、他の迷宮のように仲間と共に攻略する事はできず、己一人だけで挑戦し続けなければならないという制約がある。
それでいて最初に挑む一階の【ボス】すら他の迷宮の【ダンジョンボス】クラスの強さを誇る、まさに最難関の【迷宮】である。
その難易度からクリア出来る者はまだ六名しか居らず、現【六代目・皇帝】に世代交代してからは既に八百年以上の月日が経過していた。
その間に挑戦する者は数え切れない程居たが、その尽くが力及ばす果てている。
古代から在り続け、数え切れないほどの命を未来永劫際限なく啜り続けるだろう《選定皇の迷宮》。
この物語は、そこに独りの益荒男がやって来た事から始まった。
■ 第一話 スモウレスラー挑戦す
大陸で最も豊かで先進的な《帝都・アルセウラス》の中で、唯一【皇帝】が住まう稀少な各種魔導合金で造られた【栄華の皇城】よりも高く伸びる白亜の巨塔。
その唯一の出入り口である黄金と白銀で装飾された豪奢な門は、身の丈数メートルを越す巨人すら容易に入れるだろう大きさを誇っていた。
まさに名高き《選定皇の迷宮》に相応しい堂々たる門構えを前にして、精悍な顔付きをした独りの益荒男が感慨と共に独り言つ。
「何と見事な門構えか。それでいて外まで漂う戦いの匂い。かか、たまらんのう。血が騒ぐわい」
三十代前半に見える益荒男の身の丈は二メートルを優に超えている。
全体的にあまりにも巨大で、腕は成人男性の胴体よりも太く、両脚など成人男性二人分を束ねたように逞しい。
それでいて一見すれば服の上からでも分かるほど贅肉を蓄え、弛んでいるように見える胴体をしているが、しかしその脂肪の下には筋繊維一本に至るまで鍛え抜かれた筋肉の鎧を備えている。
筋肉や脂肪などによって体重は数百キロに達しているが、それを感じさせないほど身軽に動く益荒男は自身の黒い長髪を大銀杏に結び、背に赤い鬼がヒトを握り潰す瞬間が描かれた最上級の紋付羽織袴を羽織り、博多織の帯で太い腹部のところでギュッと締め、汚れの無い足袋に雪駄を履いている。
中々に様になった佇まいながら、そのどれもが防具の類には見えなかった。せいぜい、何処かの異国の礼服にしか見えない。
そして何より、巨躯に見合う大剣や戦斧など武器らしい武器は持たず、無手のまま佇んでいる。
益荒男の言動から、《選定皇の迷宮》に挑戦しようとしている事は窺い知れる。
だが周囲にいる、同じく挑戦しようとしている者達が神聖な、あるいは不吉な光を宿した魔導重金属鎧や魔導外套などそれぞれの戦闘スタイルに適合した防具を装着し、魔導銃剣や魔導書、魔導短槍や魔導戦斧などで武装している事を考えると、武具らしい品を一つも持っていない益荒男の姿はあまりにも貧相に、あるいは無防備に見えた。
現に益荒男の横を抜けて入口に向かう魔導短槍と魔導革鎧などで武装した、歴戦の強者特有の雰囲気を纏う狼耳尻尾を生やした【獣人】の少年は馬鹿にしたように鼻で嗤った。
迷宮内の熾烈さを知るからこそ、無知な者を嗤わずにはいられないのだろうか。
それを然りと聞きつつ、だが何とも思う事はなく、益荒男は栄光へ続く地獄の門を見上げて、血に飢えた修羅のように獰猛な笑みを浮かべた。
「予定外な事に一年ばかし寄り道してしもうたが……さて、まずはどんなもんかいっちょ、試させてもらうとしようかのぉ」
周囲からすれば余りにも無謀な装備で挑む益荒男の四股名は【鬼堂山雷重郎】という。
己が鍛え上げた肉体で万物を打倒していく格闘術【スモウ】を駆使する超戦士――【スモウレスラー】の中でも最強の者を指す【ヨコヅナ】が一人であった。
「この飢えを満たしてくれる強者の存在こそあれ儂の願いよ。かか、かかかッ」
鬼堂山の生まれはここ《アルセウラス大帝国》ではなく、遠く離れたとある群島連合国である。
【テンノウ】という群島連合国の象徴として君臨すれど統治しないとある特殊な血を受け継ぐ一族の下、集った無数の島主――領主などに相当する、島を治める権力者の事――達が自らの権力を高める為、あるいは領土を拡大せんと果て無き戦争を繰り広げる乱世の中、鬼堂山は【人間】である母の胎内にて二十四カ月も留まり、腹部を突き破って生まれたという逸話を持つ。
幸いとある島主の血統に連なっていた為、腹部を中から破かれた母は高度な治療を施されて命こそ助かったが、生まれた頃から既に三、四歳ほどの体躯をした鬼堂山に対して愛情といったモノが抱けなかった。
むしろ恐怖した、といった方が的確だろう。
何年も腹に留まり、産まれたかと思えば自身を殺しかけた存在だ。
どれ程深い愛情があっても、それを上回る恐怖が熟成されてしまうのは仕方がないのかもしれない。
だが母が憎悪しようと、鬼堂山は初めて産まれた跡取り息子。血の繋がる父からすれば、長男は大切な後継者だ。
しかしこのままでは近いうちに恐怖で狂うだろう愛しき妻――無論鬼堂山の母である――の事や、愛していてもどうしても内心で日々膨れ上がる自分の種から産まれたとはとても思えぬ程の暴力に対する畏怖。何より不吉極まる赤黒い双眸から、昔は忌み嫌われていた【鬼子】である事は間違いない我が子に対してどう接すればいいのか、という問題の数々。
それが父を深く悩ませた。
赤黒い瞳を持つ【鬼子】は争いを引き込む運命にある、と古来から伝えられている。
現在は過剰な恐怖心から捏造された虚偽だと思われているが、未だに信じている者も残っている。
身を守るのも相応の力が必要となる乱世だったが、しかし立地的に恵まれていた事で一定の平和を保つ領土。
それがもし戦火で焼かれれば、領民達は直接的な原因でなくとも【鬼子】である鬼堂山に怒りを向け、その血族にまで波及させる事も十分あり得る。
そうなれば統治がままならず、領土は荒廃し、やがて滅びるだろう。
そうならなくとも、他領の島主が攻め込む隙を与える事に繋がる。
まだほんの可能性でしかないが、否定はできない未来の一つである。
だから父は親としてではなく、島主として領土全体の事を優先せねばならない状況に追い込まれた。
そしてどうするか対応を悩んでいる間に妾の胎内にて新たな子が既に宿っており、それも数ヵ月後には産まれるだろう事が判明した時、島主たる父は父ではなく島主として、一つの決断をした。
信頼の置ける家臣に命じ、島主の跡取り息子でありまだ生まれたばかりの鬼堂山を独り、人間を捕食する【亜人種】の【鬼】達が住まう《鬼隠れの里》のすぐ傍に放置させたのである。
産まれたばかりの赤子としては桁外れの大きさだが、【鬼】からすれば食べ頃だ。
放置すれば、ほぼ確実に食べられてしまうだろう。
だがこのまま育てて肉親か、肉親の命によって家臣に討たれるよりかはまだマシではないだろうか、という島主としてではなく一人の父としての思いもあった。血縁を探れる手がかりこそ残せないが、鬼堂山が僅かにでも生きる可能性のある選択をしたのである。
【鬼子】ならば普通の子とは違い、種は違えど育てられる可能性が高い、との計算もあっただろう。
そして予想通りに、最初に鬼堂山を見つけたとある【鬼】はヒョイと摘みあげ、食べようとした。
だが鬼堂山は食べようとしたとある【鬼】の指を掴み、あろう事か砕いてしまったのである。
それも片手の指を全て、遊ぶようにあっさりと。
それによって食べられる事なく、種が違うのに同族同然として育てられたというのだから強者を重んじる【鬼】の性質が窺えるのではないだろうか。
さて、そんな鬼堂山は、人間でありながら《鬼隠れの里》にてすくすくと育っていった。
幼少の頃は鬼の子達とスモウし、【人間】でありながら連戦連勝。ただ一度の負けもなく、負けたとしてもそれは一部の大人達だけという戦績を誇った。
少年の頃は既に里で相手になる者が限られた為、近くに広がる大樹海にて多種多様な【モンスター】を相手に戦い続けた。
時には煮え湯を飲まされる事もあったが、それを糧に成長し、やがてその成果は大人すら超え、数多の山の幸を里にもたらした。
大樹海の奥地に存在し、未踏破だった迷宮の一つを単独で制覇したのもこの時が初めての事である。
青年になる頃には大樹海の東西南北をそれぞれ統べる四体の主を単独で叩き潰して配下とし、それを切っ掛けに各国代表の【スモウレスラー】が集う由緒正しき大会に出場。
高名な諸国一番の【オンミョウジ】である【安倍青冥】が駆使する高度な【制約系魔導】により、レベル格差による勝敗を緩和する、一時的に対戦者同士が同レベルになるよう調節する多重積層結界で覆われた土俵の中でも鬼堂山は猛威を振るった。
レベルではなく、日々の鍛錬にて培われた圧倒的な身体能力と技術によって連戦連勝。
それでいて、同種族で行われた階級戦だけでは満足しなかった為、レベル格差や種族の垣根すら越えて行われた無差別級にも出場した鬼堂山は、当時の【ヨコヅナ】である【鬼王】の【松嵐武満】と歴史に残る激戦を繰り広げ、何と勝利してみせた。
その後も自身の身の丈の倍はある【巨人】を真正面から押し出し、熊の【獣人】を軽やかに投げ飛ばし、蟻系の力自慢な【蟲人】を鯖折し、と数多の勝利を重ねた。
圧倒的とも言える戦績は他者と隔絶したものであり、初出場から数年間も負け無しのまま、歴代最強の【ヨコヅナ】となったのだ。
しかし強くなり過ぎた事で誰も相手にならず、故にまだ見ぬ強者を求めて故郷を飛び出した戦を求める生まれながらの修羅である。
故郷を飛び出して早数年。
年齢は三十を過ぎても尚強さを増し続け、数多の迷宮を踏破し、最終的に帝都にある《選定皇の迷宮》にたどり着いた鬼堂山は、その有り余る飢えを満たすため挑むのだ。
《選定皇の迷宮》に挑戦するには帝国国籍を取得する必要があり、帰化するには戦場で一定期間働く事を強制される。
その間は挑む事の出来なかったストレスもあって、普段以上にやる気に満ちていた。
今の鬼堂山を止められる者は誰も居ない。
この時、鬼堂山が挑む姿を見た者の大半は、田舎者が自分の実力を勘違いして無謀に挑もうとしていると思った。二度と帰らぬ敗残者がまた増えたとも。
世界は広い。鬼堂山のように鍛えられた体躯の持ち主も、探せば居ない事はない。
【妖人】であるオークやオーガなどのように、そもそも成長すれば鬼堂山と似たような体型になっていく種族も帝国には多い。人口が最も多い帝都ならば尚更である。
それでいて武器らしい武器も無く、防具らしい防具も無いその姿で挑むのは、あまりにも愚かに映ったのである。
しかしそれこそ平凡な観察眼しか持たぬ者達に他ならない。
【スモウレスラー】は、歴代最強の【ヨコヅナ】は、不可能に思える事でも粉砕してしまう超常的存在なのである。
たった一年の従軍期間の間、常に前線で暴威を振るい、【血染めの戦鬼】【戦車潰しのスモウレスラー】【肉塊製造鬼】【攻城兵鬼】などと数多の異名と共に、敵だけで無く味方にまで畏れられた鬼堂山は《選定皇の迷宮》に足を踏み入れた。
■
門を潜り、まずあったのはだだっ広いエントランスだった。数百人を容易に収容できそうなその空間を、鬼堂山は物珍しそうに見まわした。
まず目につくのは、入り口正面にある黒と白で構成されたもう一つの門の存在だ。
そこには数人の老若男女が並んでいる。どうやら順番待ちをしているようだ。
並んでいる者達が纏う大気が軋むような緊張と集中で張り詰めた雰囲気から、黒と白の門は、十中八九一階の《ボス部屋》に続く門だ。
他の迷宮でも、似たような光景が見られるので間違いない。
ここでの挑戦は独りが原則である。
故にこうして独り独りが各階層のボスを討伐する為、先の攻略者達の戦いが終わるのを待っているに違いない。
他と比べれば圧倒的に挑戦する数は少ないが、ここは最初の最初である。恐らくこの数人でさえ、他の階と比べれば多いのだろう。
しかしその順番待ちをしている者達を見て、鬼堂山は小首を傾げた。
「はて? 先程の童が居らぬな……」
入る前に、自身より先に入った【獣人】の少年の姿が見当たらないのである。
鼻で嗤われた事に対しては全く何も思っていない鬼堂山だが、流石に少し前に見た事を忘れる程アホではない。
そして僅か数十秒程度の差で居ないとなれば、何かしら理由があるはず、と思う程度には頭も回る。
「まあ、良いか。恐らく、アチラが原因だろうよ」
順番待ちの並ぶ《ボス部屋》の門とは別に、エントランスには消耗品などを売っているらしい商店や、用途不明のオブジェクトが点在している。
その中の一つに、赤と青で構成された門があった。
門の横には何やらボタンのようなモノが存在しているようだ。
鬼堂山は今まで見た事は無い代物だったが、他に理由らしい理由もないので、あれが関係しているのだろう、そう結論づけた。
元々そこまで興味をそそられる事でも無い為、深く考えなかった事は否めないが。
「さて、では順番まで少々腹拵えでもして待っとるとしようか。腹が減っては戦は出来ぬと言うしの」
そう言うと、鬼堂山は懐から【アルマドラの宝物袋】という【収納系魔導迷具】を取り出した。
これはとある高難度【迷宮】に君臨した異形型の迷宮主を討伐した時に得た報酬品の一つであり、鬼堂山が最も使っている品だ。
小袋のような小さな外見とは裏腹に、十三ある階級の中でも上から二番目である天帝級の【空間系魔導】によって大小様々な品々を数十万点以上収納可能で、同じ天帝級の【魔導】――収納品が全く劣化しない【時間系魔導】、収納品の総重量が数百トン以上だとしても重さが変化しない【重力系魔導】、龍王の息吹ですら破壊できない不滅不壊の【状態系魔導】、巨人王や龍王すら殺す瘴気の中でも汚染されない【浄化系魔導】――が四つも込められている。
「おい……あれって」
「ああ、間違いない。以前オークションで見たモノだ」
「初めて見たけど……あれが【アルマドラの宝物袋】、か」
鬼堂山が取り出した【アルマドラの宝物袋】を見て、周囲にいた者達が俄かに動き出した。
現在一般的に出回っている【収納系魔導具】の中で、最も性能が良い【アルマの収納袋】に込められている【空間系魔導】は最大でも上から六番目となる王級止まり。収納可能数はせいぜい数百程度しかない。
それに加えて【空間系魔導】一つにリソースを取られて【時間系魔導】や【重力系魔導】などは込められていない。
だから時間が過ぎれば当然腐り、入れれば入れるほど重くなる。壊そうと思えば壊せるし、泥水が染み込めば洗濯しなければ汚れは落ちない。
大量に入れても嵩張りはしないので便利な品には変わりないが、【アルマドラの宝物袋】と【アルマの収納袋】、どちらが優れているかは一目瞭然だ。
しかしそれはある意味当然だった。
ある一定以上の高難度【迷宮】で極稀にしか産出しない【魔導迷具】は現在再現不可能な超魔導技術の結晶であるのに対し、【魔導具】は現在の魔導技術で再現可能な、【魔導迷具】を模倣して造られた劣化版だからである。
だから自分達で使ってもいいし、超高額で売る事もできる鬼堂山の【アルマドラの宝物袋】に、目端の利く者は目敏く反応したのはある意味仕方ない。
【魔導迷具】自体が強敵である迷宮主を倒したからといって易々と手に入る物では無く、その中でも様々な場面で活躍できる【収納系】の類は帝都で開かれる大陸一のオークション会場でも滅多に出回らない超稀少品だ。
ここに挑むような猛者でも大半は【アルマの収納袋】などしか持っていない為、羨ましそうにしている者も入れば、どうやって盗んでやろうかと思案している者がいる。
そんな思惑を無視し、手を突っ込んで中から鬼堂山が取り出したのは、巨大な蓋付の鍋だった。
それも底に加熱装置が付属している魔導具である。
既に調理済みの状態で入れていたのだろう、蓋を開けられた鍋からは美味しそうな匂いが漂っていた。
「うわ……美味そうだな」
「何かしら、あれ。帝国では見た事ないけど、凄く良い匂いね」
「ありゃ、もしかすると、ちゃんこ鍋か?」
鍋には様々な野菜や肉が放り込まれ、食べ頃の状態だった。
軽く数人分はある量だが、追加で器と箸を取り出した鬼堂山は手を合わせ「頂きます」と言うと、猛烈な勢いで食べ始めた。
荒々しくもあるが、僅かな切れ端も残さず綺麗に食べていく。
食べる速度は非常に速く、見る間に鍋の中身が減っていく。
あたかも鬼堂山に吸い込まれるようになくなっていく中身に、周囲の者は絶句した。
「ごっつぁんです」
そして僅か数分で数人分はあったちゃんこ鍋を完食した鬼堂山は手早く片付け――と言っても洗わずそのまま収納するだけだ――小さな爪楊枝で食べかすを取り除く。
そうこうしていると順番待ちの列も短くなっていく。
最初のボス戦と言うこともあり、まだ挑むボスの強さは常識外れと言うわけではなさそうだ。
ここに挑戦するのだから、攻略者の実力の高さもあるのだろう。
あるいは、調子に乗って挑み、実力不足で殺されたのかもしれないが、鬼堂山が気にする事では無い。
ともあれ、迫る戦いに備え、鬼堂山はゆっくりと柔軟を開始した。
下半身の柔軟なバネを養うように伸脚運動を繰り返し、その次は地面に座って見事な開脚をしてみせた。隙間なく真っ直ぐ地面に伸びる両足は鬼堂山の巨躯からは想像できないほどの柔軟さを物語り、それを見ていた者は思わず驚愕の表情を浮かべる。
その後も全身をゆっくりとほぐすような動きをする事しばし。
ようやく自分の番がきたので、帯を解いて紋付羽織袴を脱ぎ捨てた。すると鬼堂山がこれまで繰り広げてきた数々の死闘の痕跡が大小無数に刻まれた肉体と、股間を隠す炎のように赤い褌が姿を表した。
陰部などは綺麗に隠されているものの、鬼堂山の凄まじく大きい臀部に食い込んでいる。
鬼堂山の後ろに並ぶ者達は突然の脱衣と傷跡から想像できた凄まじい死闘の過去、そして見慣れぬ特徴的な下着に驚愕しているが、鬼堂山はそんな物気にせず、残る足袋と雪駄を脱いだ。
「戦仕度をせい」
そして褌一つの姿になった鬼堂山は、パシリと褌の横紐を叩いて小気味よい音を発した。
すると褌――【生体繊維】製の魔導具の一種である――はその大きさを見る間に変え、数秒と経過せずに赤い立派な廻しとなった。
普段は自動的に清潔な状態を保ち、必要があれば即座に廻しとなるこれは鬼堂山が長年愛用する相棒だ。
【スモウレスラー】として戦いに赴く正装となった鬼堂山の気配がより一層濃密なものとなる。
巨躯から僅かに漏れ出た闘気が蠢き、まるで鬼顔のような幻影を背後に生じさせた。
その急激な変化に周囲の者達は思わず自身の得物に手が伸び、流れるような動作で魔導を発動させる源――魔導力を込め、それぞれの魔導をいつでも行使可能な状態にした。
各々の魔導具から赤青緑黄白黒など様々な色合いの魔導光が発せられる。
そこで自分達が何をしているのかを理解し、驚いたり焦ったりとそれぞれ異なる反応を見せるが、それでも誰も構えた状態から動けない。
今の鬼堂山を前にすれば、《選定皇の迷宮》に挑めるだけの実力者達ですら一瞬でも気を抜けば殺される、と思ってしまう程の重圧があったのだ。
無論ここで彼・彼女等と戦う気は微塵もない鬼堂山はその行為を無視している。似たような経験は多いからだ。
そして惜しげも無く裸体を曝しつつ、脱いだ衣服一式を【アルマドラの宝物袋】に収納し、ついでに一握の塩を取り出した。
「かか、かか。さて、いっちょ楽しもうかのぉ」
獰猛な笑みを浮かべ、鬼堂山はボス部屋へと足を踏み入れた。
数メートル程歩けば、背後で門が自動的に閉まる音が響いた。
「ほ、ほう。中々よい戦場ではないか」
最初のボス部屋は荒野だった。
百メートル四方と有限だが、青空のような配色の天井と、砂が舞い上がる枯れた大地が広がっている。まるで血を吸ったような赤黒い地面は、ここで数々の命が失われた事の証明のようだ。
迷宮ではこうした地形は珍しくはなく、ゆえに鬼堂山は中央に集約した幻素がボスを形成していくのを待った。
待ったのはたった数秒程度のことだ。
だがそれだけでボスは然りとこの地に具現化する。
緑皮の悪鬼【ゴブリンキング】
具現化したのは無数のゴブリンを従える、醜悪な面のゴブリンの【王種】である。
迷宮の内外で鬼堂山が幾度となく戦ってきた存在だからこそ、目の前のゴブリンキングはこれまで戦ったどのゴブリンキングよりも強いと一目で分かった。
手にするはゴブリンキングの体色に似た緑色の光を発する魔導大剣と、身体の大半を隠す巨大な魔導塔盾。
二メートル五十センチはあるだろう筋骨隆々な肉体が赤マントを備えた魔導重積層甲冑を装備したその立ち姿からはどこか気品すら感じられる。
まさに王だ。これまでのゴブリンキングなどただの偽者でしかない。
そう理解しながら、鬼堂山は握り締めていた清めの塩を戦場にまいた。
「せっかくの初戦だというのに、露払いも太刀持ちもおらぬ状態でのヨコヅナ土俵入りは、少々寂しくあるのぉ。それだけでなく力水と力紙を使う時間も無いのは些か不満じゃが……かか、かか。いい殺意、いい眼力よ。まさか最初からこれほどの相手とはな、ここは期待以上の場所じゃわいのぉ」
通常ならば恐怖を感じるほど濃密な鬼気を纏うゴブリンキングを前に、心の底から笑ってみせた鬼堂山は見事な柏手を打ち、洗練された四股を一度だけ踏む。
柏手の時には台風のような強風が吹き、四股の時にはまるで地震のような揺れが起きた。構えていたゴブリンキングは鬼堂山によって生じた強風と揺れに驚愕の表情を浮かべる。
それを見ながら雲龍型でも不知火型でもない、実戦時に編み出された略式型のヨコヅナ土俵入りを済ませた鬼堂山は、腰を落として蹲踞し、右手を地にそっと触れさせた。
立っていた時より小さくなったにも関わらず、鬼堂山は何倍にも膨れ上がったかのように威圧感を増大させる。
「儂の名は鬼堂山雷重郎、天下無敵の【ヨコヅナ】よ。決死の覚悟で向かってこい」
完全な戦闘態勢となった鬼堂山に反応して、ゴブリンキングの眼光も鋭くなる。先の四股の影響も大きいだろう、微塵の隙も無い。
手にする魔導大剣の柄を握り直し、魔導塔盾を確りと構える。
鬼堂山の脅威度を上方修正したのだ。
「グルルルルルウウウウ……」
まるで獣のような唸り声を上げながら、ゴブリンキングはジリジリとゆっくり間合いをつめ、攻め入る時を見計らった。そして鬼堂山が瞬きした瞬間を見逃す事なく、全力で突進する。
ゴブリンキングが選択したのは魔導塔盾を前に構えて攻撃を防ぎ、その直後に繰り出す魔導大剣で仕留めるという、基本的だが効果的でもある攻撃方法だった。
驚異的な脚力による走行速度はゴブリンキングの重量を全く感じさせず、まるで風のような速さで距離を詰める。
対して鬼堂山は動かない。
何かしらの秘策でもあるのか、と頭の片隅で考えながらも行動は一切遅滞させず、間合いに入り、魔導大剣を上段から全力で振り下ろしたゴブリンキングは勝利を確信したような笑みを浮かべた。
ゴブリンキングが振るう魔導大剣は【緑風の王剣】という魔導具があり、内包する魔導の一つに【斬撃疾風】というモノがある。
使用者の意思によって剣身自体が一瞬で急加速する【斬撃疾風】は、敵対者に対して攻撃の間を外させるだけでなく、斬撃速度上昇による純粋な攻撃力の底上げもする有能な【武技系魔導】として幅広く使われている。
それをゴブリンキングは発動させた。
剣身から深緑色の魔導光が噴出し、一瞬で本来の速度の約三倍近くまで加速した【緑風の王剣】は鬼堂山に対して右袈裟懸けに切り込んだ。
既に回避不可能な間合いである。今更何をしてももう手遅れだ。
左右はもちろん、上下に動いてもゴブリンキングの斬撃は鬼堂山を捉える、筈だった。
だが次の瞬間にはまるで爆発したような轟音と、金属が発する致命的な異音が周囲に響き、ゴブリンキングの巨躯が後方に吹き飛んでいく。
荒野を高速で転がる事で魔導重積層甲冑の破片が飛散し、頑丈極まる魔導塔盾を持っていた腕は複雑骨折して骨が体外にまで飛び出し、魔導塔盾自体もあらぬ方向に勢いよく転がっていく。
そして魔導塔盾は大きく陥没した中心部から全体に走る無数の罅によって脆くなっていた為、転がる度にパーツが一つまた一つと分離し、最終的には無数の破片と化した。
紛れた細かい破片は荒野に混ざり、最早完全な回収は不可能である。
「中々頑丈らしいの。まさか全力ではないとはいえ、儂のぶちかましを受けて尚生きとるとはな。盾と甲冑が内包する【守護系魔導】だけでなく、そもそもの肉体自体が予想以上に頑強か」
鬼堂山は全身から流血したボロボロの状態となり、ふらつきながらも何とか起き上がろうとしているゴブリンキングに向け、心底感心したように声を洩らした。
先の接近の際、鬼堂山が行ったのは単純な体当たりである。
前頭部でゴブリンキングの胸部辺りに突っ込んだが、それは構えられた魔導塔盾によって防がれている。
だがその太く隆々とした強靭極まる足腰によって一瞬で最高速度に達した鬼堂山のぶちかましは、城壁のように頑丈なはずの魔導塔盾を陥没させる、どころか構えた腕も纏めて粉砕し、ゴブリンキングの数百キロはあるだろう巨躯を吹き飛ばすほどの破壊力があった。
もし魔導塔盾を構えていなければ、もし魔導重積層甲冑を装備していなければ、もしゴブリンキングが本能的に衝撃を逃がすよう僅かでも後方に跳躍していなければ、何も理解できないまま全身を潰されながら吹き飛ばされていただろう。
「ガアッ! ガァアアアアアアアアアアッ!」
魔導塔盾を構えていた左腕は明らかに折れ、全身を傷だらけにしながら、王の意地か生存本能か、手放さなかった【緑風の王剣】を地面に突き刺して支えとし、裂帛の気合いが籠もる咆吼をあげながら立ち上がり胸を張るゴブリンキング。
だがその歯が数本折れた血塗れの口からゴバッ、と紫色の体液が漏れ出した。その量は多く、あっという間にゴブリンキングの前面を染め上げた。
しかし強力な再生能力を有するゴブリンキングの肉体は損傷部位から煙立つほど急速に癒えていく。
傷は癒え、折れた腕は蠢きながら治ろうとしている。
だが体内に浸透したダメージは簡単には抜けず、明らかに弱っていた。再生能力を行使する代償として膨大な体力も消費しているのだろう、その顔色は非常に悪い。
だがそんな状態でも、【緑風の王剣】を片腕で構えて戦いの姿勢を示した。
――このまま無様には死なぬ。
――敗れるにしても、その身に我が一撃を叩き込んでくれるッ。
重傷を負い、普通ならそのまま動けなくなってもおかしくは無いダメージに耐えて構えるゴブリンキングの双眸は充血し、ギラギラと輝いている。
半端な攻撃では命に届く事は無く、油断すれば逆に命を絶たれてしまいかねない。そう思わせるほどの凄まじい気迫だ。
ビリビリと心地良くすらある殺意を全身に浴び、鬼堂山は精悍な顔を歪め、血に飢えた修羅のような笑みを浮かべた。
ゴブリンキングが吹き飛んだ事で、両者の距離は約三十メートルほど離れている。
鬼堂山は敢えて動かない事で待ちの姿勢を崩さず、対してゴブリンキングは短時間で回復した力を振り絞り、上段に構えた【緑風の王剣】を全力で振り下ろした。
ゴブリンキングの【緑風の王剣】には【斬撃疾風】以外にも、もう一つ【武技系魔導】が込められている。
それが【飛翔斬風】という、不可視の飛ぶ斬撃を繰り出す【魔導】だ。
この土壇場で繰り出した【飛翔斬風】はゴブリンキングの僅かな命を蝕みながら発動し、荒野の砂などを消し飛ばしながら鬼堂山に迫る。
「ふぅ……ぬんッ!」
それに対して、鬼堂山はその場で突っ張りを繰り出した。
幾万幾千の【鋼鉄千樹】製の鉄砲柱を鍛錬で折り砕いた鬼堂山の突っ張りは大気の壁を破壊し、音速すら容易く越えて、空間を圧す指向性の破壊を伴う暴風となってゴブリンキングが放った【飛翔斬風】と真っ向から衝突した。
吹き飛んでしまいそうなほどの凄まじい衝撃波が周囲を駆け抜けた直後、【飛翔斬風】を粉砕した鬼堂山の突っ張りがゴブリンキングの胴体に炸裂する。
身体を突き抜けるような衝撃波は損傷の激しい魔導重積層甲冑を掌状に破砕し、ゴブリンキングの内臓をグチャグチャに掻き混ぜながら突き抜けた。
魔導重積層甲冑の背面は膨れ上がった衝撃波によって全て吹き飛びはしたが、その下にあった胴体は一見だけでは無傷なように映るだろう。
だが内面は既に再生不可能な状態であり、流石のゴブリンキングも内臓のほぼ全てを潰されれば絶命するしかなかった。
緑色の光を発しなくなった【緑風の王剣】がカランと甲高い金属音を発しながら床に転がり、ボロボロのゴブリンキングの巨躯は前のめりに倒れる。
そして迷宮内で死した者の必然として、死体からは蒸気が登り、それが晴れればそこには煌びやかな報酬品が小山となって出現した。
「鍛え抜いた儂の突っ張りは同郷の者から【鬼殺し】と呼ばれとってな、大概はこれ一発で吹き飛ばせるんじゃが――」
鬼堂山は満面の笑みを浮かべながら、自身の頬に指を触れさせた。
頬は僅かに切れていた。赤い血がツツツと頬を伝い、指に流れる。
ゴブリンキングが繰り出した決死の覚悟で繰り出した【飛翔斬風】は鬼堂山の【鬼殺し】によってほぼ霧散したが、それでも僅かに残った斬風が鬼堂山の頬に傷を負わせたのだ。
「――かか、かか。最初でこれ程となると、これからが一層楽しみで仕方ないのう。確かにお主は強かったぞ、ゴブリンキング。お主の勇姿はこの鬼堂山、死ぬまで忘れん」
出現した報酬品の山は一つ残らず回収し、戦いの記念品として【緑風の王剣】と魔導塔盾も回収した鬼堂山は、ゴブリンキングに勝利した事で出現した出口だろう黒い扉を押し開く。
すると門の先は上階に続く階段ではなく、先の見えない黒い空間が広がっていた。
何処に続くかも分からない不気味さがあるが、黒い空間は特定の空間に【転移】する為のモノだと一目で見抜いた鬼堂山は、そこに躊躇いなく飛び込んだ。
独特な浮遊感。
まるで世界が湾曲したような不可思議な感覚。
たった数秒程度だがあまり気持ちのよくない時間を味わった後、鬼堂山の姿は二階のエントランスに存在する門の前にあった。
二階は一階とほぼ同じ構造をしているようで、一階との明確な差異は発見できない。ボス部屋に挑む順番待ちの列、消耗品などを売る店、用途不明なオブジェクトの数々、廻し姿の鬼堂山を見て驚愕する攻略者達の姿。
「ふぅ……。【転移】というのは、やはり気持ちのええもんではないな」
最低限の周辺確認を済ませた鬼堂山は廻しを叩いて褌に戻し、【アルマドラの宝物袋】から紋付羽織袴と足袋と雪駄を取り出して着直した。
「まずは一階を制覇した。ついでに二階も制覇していくか」
そして身嗜みを整えた後は、順番待ちの列に並んだ。
先ほどの廻しだけの姿を見ていたからか、並んでいる者や、商品を買っていた者達からチラホラと視線が向けられる。
それを意に介さず、鬼堂山は先ほどの一戦を反芻していた。
(よい動き、よい気迫だった。最初からあれなのだ、次は更に良き戦ができるだろうて)
戦を求める修羅が笑う。
武器を使わず、鍛えた己がスモウを駆使して戦うスモウレスラー。
鬼堂山の迷宮攻略は、波乱と共に続いていく。