06 オモカゲ
異常な熱気に出現する蜃気楼。なんてことはなく、それは俺の頭に流れる記憶のリフレイン。
そう気付いたころには教室には誰にもいなかった。
「うあ~」
俺は頭を抱えて自分の机に転がる。うだる暑さに……ではなく。俺の頭をよぎった蜃気楼に。
「なにしてんの?」
頭を抱えた腕の隙間から見上げる。そいつは俺の隣に立っていた。見下す視線は高圧的、でもどこか面影がある。
いつのまに、なんて思わない。風を教室に通すために開け放たれたドアは人間などスルーだ。誰が入ってきてもおかしくない。それ以前に俺はクラスメイト全員が出て行ったのにすら気付かなかったのだから。
「落ち込み中」
素直に告白。そして自滅。二つ以上の意味で。
「馬鹿らし」
少女は俺の隣の机に腰をかけると足を組んで、わざとらしく顔と身を反らした。夏の日差しはまだ高い位置にあって、少女の影を短く落とす。
「誰のせいだと思ってやがる」
責任転嫁……というより八つ当たり、けれど、
「私の姉のせい」
「正解」
少女は見事当ててみせた。
俺は落ち込んだふりをして、どさっ、と、また机に突っ伏す。頭に上った熱に机の冷たい感触が気持ちいい。というか机ってこんなにすべすべだったんだな、俺の身を支えるその包容力、女性的なすべすべの質感。シンプルかつ木目調というアクセントの効いたステレオではあるが堅実なデザイン。うお、すべすべ、やべー、このまま机に惚れそうだ(もちろん恋愛感情的な意味で)。……はあ、このまま傷心も癒してくれないものかね。
「……」
しかし、どうも、居づらい――というと語弊があるが、前門のエンジェルに後門のデビルというか(はい、笑うとこだよ君)右頬はこんなにも気持ちいいのに天井に晒した左側等部がやけに辛い、……いや重い?
怪訝に思って、がばっ、と顔をあげて見ると、
「なんだよ」
どうりで重いわけだ。やつの視線が突き刺さっていたということか。
「別に」
しかも、目を合わせると、ぷいっ、そっぽを向かれた。
まあ、今の俺にはどうでもいい。
そう思って、また、どさっ、と俺は机にダイブする。
「……」
「……」
がばっ。
ぷいっ。
どさっ。
「……」
「……」
がばっ。
ぷいっ。
どさっ。
「……」
「……」
がばっ。
ぷいっ。
「あのね」
このままだと俺、頭上げたり机に打ちつけたりしてる変な人でしょうが。
「なに?」
その言葉は突き飛ばすように鋭い。
「さっきも言ったけど俺落ち込んでんの、だから一人にしてほしいわけ」
「だったらさっさと家にでも帰れば?」
少女はそっぽを向いたまま言う。
はあ、と俺の口から自然とため息が出た。
「お前な……」
少女の白い頬を見つめる。
はあ、何を言っても無駄そうだ。
どさっ。俺は再び夢の中へ傷心旅行へ
「……」
確認しなくても刺さってます視線。どうでもいいけど。
停滞した風は教室中の温度を上げて、空気中を漂う、多すぎる水分たちは汗の蒸発を妨げる、茹であがるような暑さも今は何故か心地いい。
ふと、頭が軽くなった感じがする。
それから、少女が重々しく唇を開く息使いが、静謐を張り詰める教室で、いやというほど分かった。
「やっぱり……私と居ると気まずい? 姉貴にそっくりだから意識する?」
先ほどのような鋭さのない声は弱々しく、意識はしてないんだろうが、トーンやイントネーションまでそっくりで俺の胸を打ちつける。
「……姉妹だからな」
どうとでも解釈できるように濁す。そして、突っ伏した机に強くしがみつく。正直顔なんか見てられなかった。
うん、そうだ、やっぱり俺はお前しかいないぜ、ああ、机LOVE!! T・S・U・K・U・E、つ! く! え!
と、俺が無心に机に頬ずりしていると、
「ってぇ!」
思いっきり頬をつねられた。そのまま上に引っ張られて、つられて立ち上がってしまう。
心の奥で嘆息しつつ、少女を冷めた目で見つめる。
というかまだいたんですか、俺と机のランデブーを邪魔しないでくださいよ。
俺は頬をつかんだまま離れない手を外そうと上から手を被せる。
少女は何故かそれに過剰に反応して体をよじった。そしてその反動で反対方向から手が飛んできた。
「いってぇ!」
頬をはたいたのは平手かと思ったらグーだった。俺は不意打ちによろけて尻もちをつく。(尻が)けっこう痛い。
俺は抗議を込めて少女を睨みつける。
少しはひるむかと思ったが少女は逆に鬼の形相でにらみ返してきた。
「馬鹿らし、みっともない! たかだかふられたくらいで!」
少女のどなり声は廊下にまで響く。やけに長い反響かと思ったが、俺の脳が勝手にリフレインしてただけだった。
「なっ!」
我に返り、あわてて少女と間合いを詰める。とっさに反応した少女の腕を使い口を塞ぐ。そして睨む。さっきの百倍は怖い顔してると思う。
「お、大声で言うんじゃねー」
無声音で警告を発する。しかし、まったく効果はなかったようで、少女はもがいて、口にあてがわれている俺の手からのがれると、ぷはっ、と息をつき、また大声で怒鳴った。
「ど、どうせ、最後の夏休みに、え、えエロいことでもしようと思ったんでしょ!」
「お前な」
今度は、引かねーぞ。
俺は再び間合いを詰め、少女の手をねじり、口を塞ぎにかか――
「ぐほぉ」
俺のみぞおちに少女の華麗なローブローが決まった。
一瞬で肺から空気が抜けて、息が吸えなくなる。酸素が供給できなくなると分かった心臓はより一層、早鐘を打ち鳴らして、俺は地面にひれ伏すしかなかった。
腹を押さえうずくまる俺を見下ろすこと三秒、少女は、ぷいっ、と顔を背ける。
「あ、のな、けっこう、げほ、シャレになんないぞこれ」
呼吸はできないが、ひねり出すように真っ白な左頬に向かって一言。
「あたりまえでしょ? 私は空手部主将」
「そうでした……」
俺はがっくりと地面に頭を打ち付ける。
ずいぶん呼吸が楽になってきた。
そして、俺は少女を見上げる。なんか俺たちの構図が女王様とその下僕って感じがする。
改めて見る少女の横顔はやっぱり似ていた。でも似ているだけで本人じゃってわけじゃないことを今のローブローで思い知った。それでも俺は情けないことだが少女の横顔に幽霊を見てしまう。そいつは俺の顔をしていて笑いかけてくる、そして俺の肩を叩いて教えてくれる。青春の甘酸っぱさとか人生の厳しさとか恋の偉大さとか。
「ん?」
そういえば、なんか、違う気がする。
少女の横顔を記憶と照合――、あ。
「そういえばお前、髪、切ったよな?」
少女の首が勢いよく回って俺に向き直る。表情の変化も勢いよく、そして変だ。口元はにやけているのを必死で隠すみたいに歪んで、目と眉は鬼と見まごうほどにつりあがっている。
「は? なに、今頃気づいたの?」
怒っているのか笑っているのかいまいち判断しかねたが、声が今までにないほど優しかったのでたぶん怒っているということだろう。ここはこれ以上は触れぬが吉だ。
しかし、ちゃんと見れば少女は結構な長さの髪を切ったことが分かる。活発な少女にはボーイッシュな髪形も似合ってるが……個人的には前のほうがよかったかな。
「あんたは前のほうがよかったでしょ、姉貴に似てて」
髪の毛を梳きながら、少女はぞんざいに言う。
「お前はエスパーか」
「やっぱり……」
言って、少女は俯き、
「だから嫌だったの」
消え入りそうな声で、たぶん、そう言った。
「何が?」
「なんでもない!」
「ぐはっ」
またローブローか!
あれ? でも今度は痛くないぞ?
腹から視線を上げると少女の姿はもういなかった。
「こっち!」
声がかかったのは扉のほうから、視線を追いつかせると少女がドアに手を掛け、仁王立ちしていた。
その目はかつてないほど真摯に輝き俺を見つめる。
その瞳の中に一瞬先の未来を想像して、鼓動を高鳴らせてしまう。
少女はめいいっぱいに息を飲む。そして、二回瞬き、そして口を開く。
「べー!」
舌先をめいいっぱい出して、器用に効果音を発しながら。そして自慢げな微笑みを浮かべると、走りさっていった。
「なんだかな」
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、その微笑みの裏の幽霊が消えて見えた。
面影のないその笑みは、たしかに俺の知らない表情だった。
告白します! 今回の話、構図が『01 ウタタネ』に似てますね、
そんなこんなで自分の引き出しの狭さに落胆しつつ『06 オモカゲ』です。
テーマは『失恋』と直球で内角を攻めてゆく姿勢は崩しません。
構図のことは書いてる途中で気付きましたが、「男女逆だしいっか」とニート根性丸出しでお送りしました。
『06 オモカゲ』ちょっと(いや、だいぶ?)分かりづらい話だと思いますが、二回くらい読んでやってくださいm(_ _)m
机が大好きというお話ではありませんよ(笑)