03 カケアシ
木の葉を揺らす秋風は火照った身体に冷たく気持ちいい。
一般生徒の下校時刻を終えた学校の外周にはほとんど人はいなくて、降り積もった紅葉に足をとられないように気をつけていれば最適とは言わずとも快適なランニングコースだ。
だが、三周目ともなると、さすがに景色に見飽きてきたし、そろそろわき腹が痛い。だいたい毎日走ってるはずなのにここのところ毎回一周目で紅葉を見ると『わあ、きれー』とか思ってしまうわたし自身が少し悲しい。
そのせいで浮かれたわたしは一周目二週目をはりきり過ぎて、周回遅れのトップランナー爆走(?)状態だ。
これはだまされやすい、ということなのか? 世界に。
だとしたら……なんだこのやろうやんのかケンカ売ってんのか世界このやろう。と、わたしの地面(世界)を蹴る力が増してタイムが上がってレギュラー入り間違いなしなのだが。そうもいかないのが現実らしい。
正門前の通りを抜け、学校と郵便局の間の角を曲がる。するとすぐ目に入るのは大楓。
太く、滑らかな幹は、まっすぐ空に向かうことなくまるでこの木の紆余曲折な人生ならぬ木生を示すかのごとく曲がりくねっていて、そこから伸びたあまたの枝はその想いを表すがごとく、ただ一点、敷地の外に向かって伸びている。燃えるような紅い葉とまだ青い葉の濃淡は精彩とか風情とかいう難しい言葉がしっくりくる。
そういうわたしには難しい美しさ――違う。完全に理解の範疇を超えた美しさについていけず、わたしは、いつも、ただただ圧倒される。
さっきわたしは嘘をついた。やっぱり何回見てもこの木は綺麗だ。それは絶対だ。
秋はそんなに好きじゃなかったのに、でもこの学校にきてから、この楓のおかげで好きになったかもしれない。
その校舎裏に住まう敷地から大きくはみ出していていいご近所迷――じゃなかった。みんなの心のよりどころになっている楓を見上げつつ真下を走り去る。下への注意をおこたったから危うく積もった落ち葉に足をとられそうになった。
次の角を曲がると、さっきひっかっかたのだろう片にかかった紅葉の葉をつまむ。なんとなく元気を貰った気がしてさっきより足に力が入る。
葉を手の中でもてあそびつつまた次の角を曲がる。校門の前を通り過ぎればあと一周だ。わたしはスパートと呼べるかどうかあやしいものの一応速度を上げた。
顎を引き、意識を前に集中させる。
呼吸に一定のリズムを持たせ、肺に多くの酸素を取り込む。
瞬間――息が、止まりそうになった。
彼が、いた。
校門の横、塀に背をあずけてわたしと同じように紅葉の葉を手でもてあそんでいる。
友達でも待っているのだろうか、でもこんな時間に? こっちにはまだ気づいていないみたいだけど。どうしよう。話しかけたい。でも、無理。こっちにも心の準備というものが……。
わたしの心臓が秒を追うごとにその勢いと速さを増す。呼吸がつらい。走ってるからだ。いや、これは違う。これは――
短く、強く何回も息を吐く。
これはふりだ。
わたしはもう前しか見ない。
彼のことは視界に入らない。
そうだ、絶対に入らない。
更に速度を上げる。できるだけ彼のことを考えないようにして。
わたしは彼の前を横切る。
横切――なぜそれが分かった?
今、完全に意識の外に出すように心がけていたはずだ。
なぜ?
わたしの目が勝手に彼を追っていた?
というか、いま一瞬、目が合ってなかったか?
ということはわたし無視……した? 無視された?
それ以前に気づかないふりして走り去ること自体がまずかったんじゃないか? 無理だったんじゃないか?
嫌われた?!
向こうはわたしのことなんか眼中にない……か。
涙がこぼれそうになるとかはないけど代わりに大きな溜息をこぼす。
スピードを緩めて角を曲がる。
そこには一周前と変わらぬ姿の大楓。
いや、そんなことはないのだろう。散りゆく紅葉は刻一刻と姿を変える紅葉の証明だ。
それにしても、なぜこの楓は敷地の外へ外へと出るように枝を伸ばしているのだろう。
外へ外へと腕を、その人の手に似た葉を伸ばして、けれど決して届かず今年も紅く染まった想いを散らす。
そんな一生なのだろうか……わたしも。
そんなの、いやだ。な。
この楓みたいに美しくないけど、けど、わたしだってこの手に掴みたいものがある。
この楓のように幾多の手は持っていないけど、わたしにはこの両手がある。自分で歩ける足がある。想いを伝える口がある。
それを使わないなんて大楓に怒られてしまう。
それとも抜け駆けしたら嫉妬を買うだろうか。
どちらにせよわたしに止まっていることなど許されない。
走り続けることだけがわたしに唯一できることだから。
楓を背にして角を曲がる。
五周目としてはいままでにない速度で残り二つの角も曲がる。
――いた!
クラスの男友達と合流して帰るところのようだ。
また、一段と鼓動が強くなる。
機会は一瞬。すれ違うとき。
胸が痛い。呼吸を整える時間がほしい。足が勝手に前に進む。
なにか、なにか言わなくては。
だけど、頭が働かない。肺から空気がなくなったみたいに喉を震わすことができない。
目が合う。彼も完全にわたしのことを認識した。
もう逃げられない。
でも……声がでない。
せっかく決意したのに、わたしはやっぱりだめだめだ。
行動を先に起こしたのは彼のほうだった。
彼は手を挙げると、
「じゃあな」
すこしはにかんでそんなことを言う。
「うん」
うつむいてまま、そう返すのがやっと。
走る速度を上げて大紅葉の待つ曲がり角へと逃げ込む。
木の葉を揺らす秋風は火照った身体に冷たく気持ちいい。そしていまはすごくむずがゆい。
「ぐぎゃ」
大楓からの嫉妬だろうか、積もった紅葉に足を滑らせた。
そして、我ながらなんとかわいくない悲鳴。
幸せなことに今日のランニングは一周多く走ることになってしまった。
やっちまった……か?
どうも、消炭灰介です。
今回のテーマは『スポーツ』だったんですが、何だこの植物小説。つ、つまらねー
でも、一回くらいはこういうモノローグ調のを書いてみたかったので満足です。そしていろいろと(自分の実力を思い知らされたという点で)勉強になりました。
個人的に楓にはすごく女性的なものを感じます。なんか色っぽいんですよね。
というわけで『03 カケアシ』一人で走っているとなんだか色々考えちゃいますよね? ってお話です。
P.S.
01、02の誤字脱字と若干の本文(結構前に)修正しました。読みにくくてすいません。これで修正前よりはストレスなく読める小説になったと思います。