02 エガオ
含んだ瞬間、バニラの香りが広がる。ひやりとした感触は一瞬、至福をもたらすと溶けて消えた。その満たされない感覚が手に持った木べらを何度も机の上の杯と口とを往復させ断続的な幸福を与え続ける。
昼下がり、換気のためにクーラーの電源を落とし、開かれた窓からがんがんに熱気が流れ込む教室は人もまばら。うるさいといえば余生の最後を華々しく散らそうと奮い立つセミくらいで、それ以外では比較的静かな昼休みの時間が流れていた。
俺は午後の授業に備えて、購買で缶コーヒーとアイスを買い、ひたすらストレス値の減耗にいそしむという至福の時を過ごしていた。
うだる暑さに辟易しつつ、アイスを食べる。そのこの上ない喜びを唐突に聞きなれた声が打ち破った。
「聞いてください、私好きな人ができました」
あいさつ代わりに片を叩かれる。声の主はそのまま回り込んで前の空いてる椅子へと腰掛ける。机をはさんで向き合う形となった。
「またですか先輩」
という言葉はこないだも口にした気がする。無遠慮なあいさつに対する返事も兼ねて、
「今度は誰です?」
と外交修辞的な、質問になっていない質問を投げかけておく。
「こないだも話したB組の――」
その話は聞いている。が、なんとなく、名前まで出されるのが不愉快だったので、
「あーあのこないだの人……」
と先輩の言葉を遮る。
「そうなんです、やっぱり運命なんですかね」
会話が成立していない。しかも唐突に運命とか言い出した。しかし、たぶん、言葉を発するまでに、この人の頭の中では運命に繋がる経験が回顧されたのだろうと解る。だからといってその運命性がこちらに伝わるわけもないのだが。
俺は意識的にわざとらしくない小さな溜息をついてみせる。
「じゃ、今回も『負け』に缶ジュース5本で」
言いながらアイスを一口運ぶ。幸せは口いっぱいに広がってまた消える。
「増えてる?」
このないだは3本だった。
「ああ、そうですねこれじゃ賭けになりませんよね」
いちいちリアクションするのもめんどくさいので話の先を予想して答える。先に会話をすっ飛ばしたのは先輩だ。
「たしかに6戦6敗ですけど……」
先輩は言いよどんで、思案するように斜め上へと視線を滑らす。
「こんどこそいけるはずです」
その自信の根拠はなんだ? と正面きって否定するのは可能だが、あまりにも酷なので事前に手に入れていた情報で牽制を試みる。
「あの人、巨乳好きらしいです」
「なっ」
どうやら俺の言葉は見えないボディーブローになったらしく先輩は身体をくの字に折る。
一撃で相当グロッキーな先輩はふらふらと体勢を起こす。両手の平を脇に当てると体の中央へぐいぐいと押し寄せ始めた。
「いや、よせてあげても先輩ではその域に達するのは不可能です」
もう一発入ったらしい。こんどはジャブといったところか。
「じゃ、じゃあ」
何となく言わんとしていることはわかる。だから、
「偽装しても最終段階でばれるんじゃ意味無いんじゃないですか?」
と調子づく前に出鼻をくじく。
「じょ、徐々に減らしていけば……」
「なんだそのエセ禁煙法みたいな考え」
「彼の邪念を取り払うのは私です」
意味がわからん。
「払う側に邪念たっぷりすぎますね」
「うるさいです。私の魅力をもってすれば執行猶予があればなんとかできます」
「どこに魅力が詰まってるんだか」
いけね、つい胸を見ながら言ってしまった。
「名誉毀損で訴えます」
「とりあえずこれで示談にしてください」
俺は先ほどアイスと一緒に買ったまだ空けていない缶コーヒーを差し出す。
「よろしい」
受け取った先輩はさっそくプルタブに指をかける。
構わずにアイスとストレスを減らす作業に取り掛かると、かちかち、という数回の金属音の後、缶コーヒーは俺の許へもどってきた。
「あかない」
「はいはい」
飲み口を開けて再び缶を渡す。
先輩は何故か立ち上がり、それをぐびぐびと勢いよく飲み干す。最後に、ぷはと息をつき再び席についた。そして、ごつん、と机に額をつけ力なく、
「なんで、いつもだめなんでしょうね」
とさっきのは自棄飲みのつもりだったらしい先輩がコンパクトに落ち込む。
俺には原因が解っている。でも、俺の心のどこかがそれを認めるのを拒否する。それを認めることは俺の想いが許さなかった。口に出してしまうと認めてしまいそうで言えない。だから思慕と嫉妬と同情が綯い交ぜとなった心は毒となって口を出た。
「どうせ本人を前にしたらなにも言えないくせに……」
それがなかったら。そう思うのは俺の欲目ではないはずだ。
「それに……」
口がすべった。正確にはわざとすべらしたのかもしれない。
先輩の問い質す視線から逃げるため、アイスを口に入れた後も役目を果たした木べらかじかじ、と噛む。
噛みながらも頭のなかでは、直接真実を知るよりも俺という緩衝材を挟んだほうが先輩にとっても損傷が少ないはずだ。など、あくまで打算的なことが廻る。
なんて最低なんだ俺。
「実は……」
頭を起こした先輩の視線からはもう逃げられない。そのまま言葉を続ける。
「彼女いるらしいですよ」
ごつん、と盛大な音を鳴らして先輩は机に額をつける。あまりにも音が大きかったので教室の後ろのほうに残っていた人々が一瞬こちらをむいたが、音の原因を察すると満足したようで、すぐに談笑に戻る。
視線を先輩を戻すと両耳に手が添えられていた。
聞かなかったことにする。という腹づもりだろう。
俺もここまできたら引き返せない、彼女に決意を促さなければ。
「……もう一回言いましょうか?」
ふるふると首が振られる。机との設置面の効果音はごりごり、だ。
「こうなったら彼をコロして私も死にます」
なかなか物騒なことを呟かれる。
「なに、言ってんですか」
「あ、そうか彼女をコロして私がくっつけばいいんですね」
ばっ、と身体を勢いよく起こす先輩はとてもにこやかなしたり顔。
「何その『あ、いま私すごくいいこと言った』みたいな笑顔! 俺には人としてどうかと考えさせられる言葉が聞こえましたけど!」
道を誤らせないため一応つっこむと、ごつん、と今までで一番大きな音を鳴らせて、
「ふーん、そっかー」
あきらかにふてくされた。
額と机にはさまれた髪をじゃりじゃりと鳴らしながら首を回しこちらを向く。
もの思わしげな表情。伏した目にかかるけぶるような睫、机上に散乱した髪。そのどれに俺の心臓が反応したかはわからない。頭に血が上る。気づいたときには言葉を吐いていた。
「ま、絶対無理って決まったわけじゃないですよ」
「励ましてくれてます?」
空の木べらを口に運んだことが照れ隠しでなかったと心から祈る。
「やさしいんだ」
「べつに、可能性で言えば限りなくゼロだと思いますけどね」
「ふふー」
意味不明な笑い。意地悪な笑み。なんにせよ少しは元気がでたようだ。
「そういうこと言う悪い子にはこれです」
その次の動きはなんとなく予測できた。やにわに体をおこすと口を大きく開き迫ってくる。狙いは俺の手に持つ木べら――もといその上のアイス。しかし俺がとっさに手を引くと「あ」といううめき声と共に開かれた口は空気だけを封入して閉じられる。引き結ばれた口はそのままへの字に曲がる。
「けち」
缶コーヒーを奢ったはずだが。
「あーん」
くわせろ、ということだろう。先輩は大きく口を開ける。今度は自分から迫ってきたりはしない。
真っ赤な下のざらついた質感。粘性でもって一枚膜が張られたような口の中はいやに官能的で俺の気はどうにかなりそうになる。
その口を閉ざすため俺は白い幸せを掬って先輩の口へとぞんざいに運ぶ。
くそ、こんなことならさっきのうちに食べさしておけばよかった。絶対後ろの連中が見てる。
「おいしいですか」
「ん」
それはなによりです。
木べらを引き抜こうとするとするが、奥歯でがっちりかんでやがるのか、なかなが抜けない。無理に引っこ抜こうとすると顔もついてきた。
「離してください」
自制を促すとしぶしぶといった感じにねっとりと口を離す。
そして、悠然と頬杖をつくと、溜息をひとつ。
「どこかにいい男はいないものですかね」
その台詞は俺を見て、何故かにやけ顔で。対する俺は、
「そうですね」
と、ぶっきらぼうに返す。
木べらに目を落とす。さっき俺がかじったものとは違う、あきらかに骨格の小さい歯形がくっきりと残っている。ちらりと上目で対面を見れば、先輩の意地悪そうな笑み。
ためらうのも癪なのでそのままアイスを掬ってほお張る。
バニラの香りは、一瞬で溶けて消えた。
作中での語は一章と同じ『俺』ですがこの二人は別の人です。まぎらわしくてすいません。
どうも、一章二章連続投稿です。
今回のテーマは『年上』――そうです一章に引き続きまたベタです。
恋多き先輩とエスっ気のある年下男のワンシーンです。
一章がもの言わぬ想いっぽくなってしまったので二章では打てば響く会話を意識してこの二名をキャスティングしました。
あと貧乳ネタ。どうしてもやってみたかったのでやってしまいました。後悔はありません。けど少し反省してます。
最後に、
読んでくださってありがとうございます。
何か気づいたことやアドバイス、疑問、質問、などがございましたら感想のほうにどんどん送ってください。うれしすぎてブレイクダンスを踊ります。




