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01 ウタタネ

「べっくし!」

 そのあまりにも男前なくしゃみに、耐え切れず笑いがふき出す。やわらかな光とやさしい風が立ち込める二人だけの教室に俺の声だけが響く。

 その声が耳障りだったのか、はたまた自分のくしゃみに驚いたのかは(わか)らないが、くしゃみの発生源の少女はむくりとつっぷしていた机から身体を起こす。

「おはようさん」

 声を掛けても未だ半ば夢の中といった少女はねむけまなこをこすりつつ現実へ戻るため首をぐるりと回し教室内を見渡す。

 黒板に書かれた落書きから開け放たれた掃除ロッカーへと視線は旅行し、最後は椅子に反対向きに腰掛ける俺に帰ってきた。

「なに? そのにやけ顔」

 毒のある言い方は決して眠いからではないだろう。だから、

「おまえの寝顔があまりにもかわいくて」

 とはぐらかす。もちろん顔は見れない。

 それに、本当のことを言った場合、こいつの場合は問答無用で拳が飛んでくる。

「あっそ」

 昔はもう少し素直な反応を見せたものだが、まことにはや。

「みんなは?」

「帰ったよ、何時だと思ってる。授業はとっくに終わってるよ」

 寝起きで視界が安定しないのだろう少女は目を細めてしかめて凝らして黒板の上に設置された掛け時計を見る。

「……4時10分……」

 よく読めました。

 時間を確認できたことに満足したのか、再び机に突っ伏そうとする少女の横顔を見て、

「ほら、ヨダレふいて」

 俺はハンカチを差し出す。

 少女はそれを受け取ると無頓着な手つきで口元の唾液をふきとり、一度開いて裏側に二つ折りしたハンカチを鼻に当てると盛大に鼻水をかむ。

「鼻水はティッシュで処理しなさい」

 いや、なんかね。

「花粉症だからしかたないでしょ」

「それ理屈にすらなってないから」

 聞く耳もたず。

 唐突に少女は顎をあげると、痙攣のように2回ひくつく、それが一種の溜めだと気づいた頃には、

「べっくし!」

 先ほどとの男前さんが光臨していた。

 予備動作である程度解っていたのでどうにか大笑い避けられた。喉の奥で笑いを殺そうとしたところ蛙がつぶれた音ならぬ蛙をつぶす音的なものが鳴ってしまったが。

 しかし、少女は気にしたふうもなくハンカチで鼻ぐじぐじいじると首を下げ「うぅー」と唸る。くしゃみに対するあたらしいタイプのリアクションだ。仮にここで少女が「ちくしょー」とか言っても軽く引くが。

「帰るか」

 とりあえず、動く気ゼロの少女に行動を促す。

「う。っく」

 喉の奥から捻り出された奇音。

「なに? いまの」

「しゃ……ひっく……くり」

 その返答はしゃっくりを挟みながら。

「忙しいやつだな」

 くしゃみにしゃっくりに。

「暗い、電気」

 点けろってか。

「もう帰るから」

 さっきのしゃっくりは肯定だったような気がしたのだが。

 少女は視線を落とし、逡巡するそぶりを見せると俺に向き直り無言でハンカチを差し出す。

「洗ってかえそうよ」

 鼻水かんだんだし、せめてちゃんと四つ折にするとかさ。

 少し落胆した表情で少女はハンカチを制服のポケットにしまうと、机の上で腕を組み、そこに頬をのせる。

「もうちょっとここに」

 そこまで言って少女はあくびをひとつ。続いてしゃっくりをひとつ。

 未だ湿り気を帯びた瞳はどこまでも深く、狂いそうなほど扇情的で、同時に俺の中に暗い感情を植えつける。状況確認といってもいい少女への質問が喉まででかかったが、俺はどうにかそれを飲み下す。

 そんな少女の瞳が不服げに俺のほうへと向く。

「学校は仮眠室を設置するべきだと思う」

 そうですか。

「生徒会にでも頼んだら?」

「あんたばか? そんな意見、通るわけないじゃない」

 左様ですか。

 ひっく、ともう一度しゃっくり。そこで二人は言葉を失う。

 誰もいない教室の風は乾いていて、子どものように薄暗い教室へと迷い込む。カーテンを揺らし、少女の髪をさらい、窓際に座る俺たちの(もと)に桜の花びらをとどける。空気がこすれる音はどこか泣いているようでもの悲しい。流れる雲に一時(いっとき)身を潜めていた太陽が姿を見せるも、天空に栄えた頃の粗暴さはなく、今はただやさしく二人の影を伸ばす。

 俺はこの風景を知っている。しかし、俺が今いるここには俺はいなかった。ここには他の男がいた。今日はいない。

 ひっく

 と、少女のしゃっくりが響く。まぬけな響きだ。そのまぬけさからか、俺は先ほど飲み込んだ言葉を吐き出してしまった。なんとなく、その能天気な雰囲気に許される気がした。  

「おまえ、彼氏は?」――どうした? 

 言ってから後悔する。そんな間を与えず、

「別れた」

 即答。ふられた。ではなく。

「ふーん」

 俺は逃げるように二人が長い影を落とす教室へと視線を泳がす。

 一瞬見えたその憂いを帯びた表情は長い付き合いの中で知っている。だけど、それにかける言葉を俺は知らない。

「ふーん、かよ」

 だから、毒に見せかけたその言葉は彼女の優しさだ。

 響きは甘く、語気は鋭く、だけどその心はちゃんと俺に届く。だから、他者が入る隙間のないその瞳は、ああ、まだこいつは夢の中にいるんだな。と俺を妙に納得させた。

「さ、帰ろ」

 少女はすい、と立ち上がり足元の俺の鞄を拾って手渡す。俺は自分の鞄を肩に担ぐ少女を尻目に先に出口へ向かう。扉を開いたところで背後から声がかかった。

「あ、」

 返事はしない。視線だけで後ろを向き、次に紡がれるであろう言葉を促す。

「しゃっくり止まったかも」

「おお、そりゃよかった」

 素直に出たその言葉はなかなかに棒読み成分が多めだった。

 少女が出るのを待ってから、静かに扉を閉める。

 黄昏(たそがれ)前の日差し、やわらかな光が二人を包む。

「べっくし!」

 二人きりの廊下には俺の笑い声がよく響いた。

作中で『少女』が出てきますが、これは『俺』と面識がないのではなく、そうゆう仕様です。別に名前をいちいち考えるのがめんどうだったわけではありません。……すいません半分嘘です。


このレンジファインダー・ハーツは青春と距離感というシリーズで一貫したテーマとは別に各章で1個か2個テーマを用意して書いています。今回記念すべき第一章のテーマはズバリ『幼なじみ』です。どうでしょうか、幼なじみのなんともいえない距離感と青春独特の寂寥感を演出できていたでしょうか。

技術的にはまだまだですが、これから日々精進してゆきたいと思いますので、生暖かい目で見守っていただけると幸いです。


最後に、

読んでくださってありがとうございます。

何か気づいたことやアドバイス、疑問、質問、誹謗、中傷などがございましたら感想のほうにどんどん送ってください。うれしくて小躍りします。

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