8話
舞踏会から三日後。
ランガー・チェスターは、執務室で帳簿に目を通していた。
いつもと変わらぬ朝。
ただ、机の上に置かれた一通の書状だけがこの静かな朝に水を差す。
「伯爵家、ですか」
隣に控えていた秘書が問う。
見ずとも、差出人は分かる。
ピエール・スタンリーの実家。
スタンリー伯爵家。
内容は、丁寧で、礼儀正しい文面だった。
だが、文章の端々から伝わってくる本当のねらいがあまりにも分かりやすい。
貴殿が関わっている融資案件について、お分かりですな。
つまりは、手を引け、この仕事を辞めろということだ。
ランガーは溜息を吐いた。
「随分と、早いですね」
秘書が、顔をしかめる。
「噂では、舞踏会で何かあったとか」
「ええ。少し、伯爵家にとって都合の悪い出来事が。いや、正確には伯爵家嫡男本人にとってだな」
ランガーは書状を丁寧に畳み、机の端に置いた。
「圧力をかければ、こちらが引くと思われたのでしょう。おそらく、借りる側にも伯爵家と対立する者から借りるのか? と脅しているに違いありません」
「実際、伯爵家は影響力があります。取引先の中にも、顔色を窺う者が出るかと」
「でしょうね」
彼は、静かに頷いた。
「だからこそ、ここで引くことは出来ません。これは私の仕事です。今、私が手を引けば、困る方たちも沢山出るでしょう」
同じ頃。
スタンリー伯爵家の書斎では、荒れた声が響いていた。
「あの商人、少し調子に乗っている。どうせ男爵位だって金で買っただけだろう」
「はい。なんでも王家に多額の寄付や献金をしているようです」
(なに、王家だと? それがどうした。俺の知ったことか!)
「婚約者でもない男が、あの場で彼女とダンスをすること自体、ふざけている!」
ピエールは、自分のしていることは棚に上げ、不快そうに掌で机を叩いた。
「奴め、こちらから軽く圧力をかければ、身の程を知るだろう」
「もし、従わなければ?」
「その時は、借りている貴族たちを、伯爵家と対立する気かと脅せばいい」
それが、ピエールのやり方だった。
一方、ランガーは数枚の書類を手に、馬車へ乗り込んでいた。
向かう先は、ロイドの元。
圧力を受けたからといって、慌てるつもりはなかった。
勿論、黙って従う理由もない。
エクセラル子爵邸で出迎えたロイドは、話を聞くなり、苦笑した。
「やはり来たか」
「予想通りですか?」
「ああ。奴は、立場がまずくなると必ず力で押さえに来る。それがあの男のやり方だ」
ロイドは椅子に腰掛けた。
「で、どうするつもりです?」
「もちろん、引きませんよ」
気持ちがいいほど、即答だった。
「正当な契約の範囲内で行っている仕事です。感情論でこられても従う義理はありません」
「脅しも来るぞ?」
「覚悟は出来ています」
それでも、ランガーは視線を逸らさなかった。
「それでも、私は逃げないと決めています」
その言葉に、ロイドは満足気に笑った。
「安心した。君がそう言うなら、こちらも腹を括れる」
「ご迷惑をおかけします」
「こちらの台詞だ。我が家のことで君を巻き込んでしまった。済まない」
ロイドは立ち上がり、窓の外を見た。
「だからこそ」
優しい声に聞こえた。
「妹のためにも、ここは退かない」
ランガーも、はっきりと言い切った。
「私も同じです」
その頃、ピエールは、まだ気づいていなかった。
自分が圧力をかけている相手が、恐怖ではなく、信念で動く人間だということに。
そしてその圧力が、ピエールの立場を更に悪くする。
考えれば分かることだった。
金を借りて助けられている貴族がいかに多いか。彼らの存在を失えば困るのは貴族たちだ。それに彼らは合法的にやっている。
それさえ理解できないピエールは、実に浅はかだと言わざるを得ない。




