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暴言と浮気を繰り返す婚約者  作者: ヴァンドール


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14/22

14話

 その日の夜は、久しぶりによく眠れた。


 目を閉じても、あの横暴な声は聞こえない。

 テーブルを叩く大きな音も聞こえない。


 朝の日差しで目を覚ました時、胸の奥が、少し軽くなっているのを感じた。


 昼前。

 屋敷に、急な来客があったと知らされる。


「スタンリー伯爵様が、お見えです」


 執事から、その名前を聞いた瞬間、体に緊張が走った。


 ピエール様の、お父様。


 けれど、不思議と恐怖はなかった。

 胸の奥にあるのは、少しの緊張と、新たな覚悟だけ。


 応接室は、すでに重苦しい空気に包まれていた。


 伯爵様の厳格な眼差し。

 その姿は、まさしく伯爵家の当主だった。そして、その後ろにはピエール様。


 彼の姿には、いつもの傲慢さは感じられなかった。その姿はまるで別人のようだった。


「本日は、突然押しかけてしまい失礼した」


 伯爵様は、そう告げた。


「だが、どうしても直接、謝罪せねばと思ってな。エクセラル子爵には、改めて領地の方へ伺うつもりだが、その前に、直接迷惑をかけたお二人へ先にお詫びを申し上げたかった」


 お兄様は、真剣な顔で頷いた。


「用件は、承っております」


 その声は、とても冷静だった。


 伯爵様は、ちらりと息子を見る。


「まずは、謝罪させてほしい」


 そう言って、深く頭を下げた。


 私は、思わず息を呑む。


「息子の軽率な行動により、あなたと、周囲の方々に多大な迷惑をかけた」


 重い言葉だった。


「婚約者という立場を盾に、精神的な圧力をかけたこと。偽りの噂を流し、融資先や関係先にまで影響を及ぼしたこと。すべて、私の監督不行き届きだ」


 その瞬間、ピエール様の肩が、びくりと揺れた。


「父上」


「黙れ」


 一喝された。


 そこには、たとえ親子であっても一切の情けはなかった。


「お前のしたことは、論外だ。貴族として、人として、恥ずかしくないのか」


 場が、凍りついたが、伯爵様は、さらに続ける。


「私が結婚を先延ばしにするなと言っているなどと、よくもそんな嘘を言ったな。私の名を使い、己の立場を守ろうとするとは、卑劣にも程がある」


(あの日のピエール様の言葉は嘘だったのね)


 彼は、唇を噛み締め、何も言えなかった。


「お前の行為は、婚約以前の問題だ。いや、人として、許される範疇(はんちゅう)を超えている」


 私は、そのやり取りを、ただ見つめていた。

 不思議と、心は穏やかだった。

 もう、私が何も言う必要はない。

 彼はこうして、断罪されているのだから。

 

 伯爵様は、私の方へ向き直った。


「ルシアン嬢」


 その声は、先ほどからの強さはなく、優しいものだった。


「この婚約は、白紙に戻す。正式な破棄とし、今後、スタンリー家として一切の干渉を行わないことを誓う」


 私は、ゆっくりと息を吸って、そしてひと言だけ返した。


「承知しました」


 そのひと言だけで充分だと感じた。


 伯爵様は、再び深く頭を下げた。


 ピエール様は、最後まで私を見なかった。


 そして、去り際。

 一度だけ、振り返ったが、その目には、もう以前のような、鋭さはなかった。

 あったのは、失った者の、悲哀のようなものだけだった。


 扉が閉まる。

 その瞬間、私はゆっくりと息を吐いた。


(終わった。これで本当に)


 長い長い時間が、ようやく終わりを告げた。

 その時、私は初めて気づいた。


 これこそが本当の自由だと。

 もう私を縛るものは存在しない。

 怯える日々は二度と来ない。


 明日からの自分に希望が持てた瞬間だった。


 

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