10話
眩しいほどの午後の陽射しが、庭の隅々まで照らしている
エクセラル子爵邸の庭は、よく手入れが行き届いている。決して種類は多くはないが、季節ごとの花々が、絶えることなく咲いている。
亡くなった母の遺志を継いで、父と兄が守ってきた。
この家らしさがよく表れている庭だと、私は思う。
日除けのついた椅子に腰掛け、読みかけの本を膝の上に置く。
(ああ、なんて、静かで落ち着くのかしら)
それに気づいた自分に、少しだけ戸惑う。
ほんの少し前まで、胸の奥に常にあった緊張が、今は嘘のように和らいでいる。
勿論、理由は分かっていた。
怒鳴られる心配がない。
機嫌を窺う必要もない。
言葉を選ぶ疲れがない。
それだけで、人はこんなにも楽になれるのね。
「ここにいらしたのですね」
穏やかな声がして、顔を上げる。
ランガー様だった。
今日は兄と仕事の打ち合わせで屋敷を訪れていた。
「お邪魔でしたか?」
「いいえ。少し、考え事をしていただけです」
彼は無理に隣へ来ることはせず、数歩離れた場所に立った。
「庭が好きだと、ロイド殿から聞きました」
「はい。ここに居ると、とても落ち着くんです。亡くなった母が自ら、手入れをしていた庭なんですよ」
「そうでしたか」
それだけ言って、黙る。そんな沈黙が、不思議と心地よかった。
これまでの人生では、沈黙を恐れ、常に言葉を探していた。
(早く次の言葉を話さなければ)と、その繰り返しが苦痛だった。
「変な話ですが」
ふと、口を開いていた。
「私、最近思うのです。自分はどうしてこんなにも相手の顔色ばかり気にしていたのか」
「はい」
相槌は、急かすためではなく、聞いているという合図のように思えた。
「いつも先に相手の気持ちばかり考えてしまって。『これを言ったら嫌われるんじゃないか、怒らせてしまうんじゃないか』そんなふうに怯えることが、癖になっていたんです」
ランガー様は、ほんの少し黙ってから視線を上げた。
「それは、とても疲れる癖ですね」
否定もしない。
責めもしない。
「でも最近、それをしなくてもいい時間が増えました」
私は、視線をランガー様に向けた。
「何も考えずにこうしていられるのが、こんなに楽だとは思いませんでした」
「それは、良い変化だと思います」
「そう、でしょうか」
「ええ。貴女は『何も考えずにいるのが楽』と言いましたが、正確には、誰かの機嫌や反応を、常に気にしなくていいことが、楽なのだと思います」
私は首を傾げる。そんなこと、意識したことなどなかったから。
「人は本来、無意識に何かを考えてしまうものです。ですが、それは呼吸のように自然なことだから、本来は疲れない。今の貴女は、それが出来るようになったのです」
その言葉が、胸に深く染み込んだ。
それは、誰かの顔色のために隠していた心が、ようやく、呼吸を始めた感覚だった。
「そうですよね。人は常に何かを考えている。逆に何も考えないでいることの方が難しいのですよね」
「その通りです。心を無にすることはとても難しいのです」
「何となく、理解が出来ます。そう言えば私、最近はそんな自然の呼吸が出来ているような気がします」
「それは良かったです」
ランガー様は、少し考えてから言った。
「急ぐ必要は、ありません。ゆっくりで良いのです。今の貴女なら、段々と慣れていきますよ」
その言葉は、とても優しかった。
(ああ、この人は)
急かさない。
押し付けない。
待ってくれる。
私は、初めて思った。
(今なら、私、ちゃんと自分の足で立てるかもしれない)




