1話
外の風は私の心のように弱く寂しく吹いていた。枯れた葉を落とす勢いもないほどに。
「ごめん、今日の観劇に行けなくなった。父上から急用を頼まれたんだ」
そう言って、彼はいつものように去って行った。
(どうせ嘘をつくならもっとマシな嘘にしたらいいのに。本当に芸のない男だわ)
私はいつものように心の中で言い返す。
私の名前はルシアン・エクセラル。子爵家の長女。とは言っても三つ上に、兄のロイドがいるので長子と言うわけではない。
私の婚約者は遊び人と噂されている伯爵家の嫡男、ピエール・スタンリー様。
私が十六才の時に婚約したのでもう五年間のお付き合いとなる。
その間に何度となく女性の噂が上がっている。
もう最近ではすっかり慣れてしまい、怒る気力もなくなった。
尤も、私が怒って問い詰めても逆ギレされ、挙句、何故か私が謝る羽目になる。とにかく怒り出すと止まらず、恐怖さえ感じることもしばしば。
そんなわけで、今では当たり障りのないお付き合いが継続中。
そんな彼、ピエール様は何度バレても最後は必ず私の元に帰って来る。いいえ、帰って来ていた。
何故なら今回ばかりはかなり、相手の方に本気のようだ。今までとは確実に違いを感じる。
いよいよ、私の長かった婚約期間に遂に終止符が打たれるのかもしれない。
「おかえり、ルシアン。随分と早いな」
「あら、お兄様。いらしたのですね」
「またピエール殿と喧嘩でもしたのか?」
「喧嘩ですか。最近は、喧嘩をするほど一緒に過ごしていませんから」
兄のロイドは苦笑いをしながら困った顔をしている。
「まあ、いつものことだ。放っておけ、すぐに戻ってくるさ」
「いいえ、嬉しいことに今回は、いつもとは違うようです。私の女の直感が、そう告げています」
お兄様は呆れた顔で「はいはい」と言って出て行った。
私は何となく過去に思いを巡らせた。
最初の頃はピエール様のことが本当に好きだった。どこに惹かれたのか? 今ならわかる気がする。あの頃の私は幼かったということもあり、男性はピエール様しか知らなかった。男友達と呼べる人もいなかったから、男性とは皆このようなものだと思い込んでいた。
だからたまに言われる、ほんの少しの優しい言葉だけで舞い上がっていた。
今思えばなんて単純だったのかしら。
そんな私は、ピエール様の前だといつも萎縮してしまう。
とにかく彼の言葉が怖くて、ほんの些細な一言が、刃のように胸に突き刺さるのではないかと身構えてしまう。
気に障ることを言えば、またあの低い声で責め立てられる。
ピエール様の機嫌を損ねた時には、彼は、両掌でテーブルを叩く。その大きな音にビクリとして怯えてしまう。
とにかく私は彼のことが怖かった。
表向きは強気な態度をとっていても内心ではいつもビクついていた。
そんな日々が段々と辛く感じるようになっていた。
だから私は、黙ることを覚えた。
いつからだろう。
彼の機嫌を窺うことが、私の日常になったのは。
「……疲れたわ」
思わず零れた声は、自分でも驚くほど低かった。
その瞬間、私はこの関係が、もう限界なのだと感じていた。




