再び
【闇堕ち少女、怨霊と化す——】
「どう? あれから何もない感じ?」
真由美が箸を休めて近況を聞いてきた。
大学の食堂は、多くの学生たちでにぎわっていた。
「うん、まったく何も」
「それはよかった。一週間何もないなら、もうだいじょうぶかもね」
「だといいけどね」
奈央はそう答えたが、内心ではかなり楽観的だった。正直、例の問題から解放された気がしていた。
真由美が声を弾ませながら続ける。
「でも、ほんとすごいよね、あの岩国さんって人。見た目チャラい感じだったけど、できる人だったんだね」
「うん、だね」
確かに、岩国は期待をはるかに超えた働きをしてくれた。一分もかからずに張り終えた結界が、しっかり効果を発揮したのだから。
でもさ、と奈央はお茶を一口飲んでから続けた。
「あの変な現象も、今思えば夢だったんじゃないかなって」
そう言うと、真由美は同意するようにうなずき、神妙な顔で口を開いた。
「その可能性はあるよね。だってあたしも高校のときさ、寝てる間に何度もからだが宙に浮いたことがあるんだ。でも、きっとあれも夢だったんだと思うし」
「からだが浮くって……怖いね」
「うん。高校時代は変なストレスが多かったから、そのせいでおかしくなってたのかも」
「そうだね。きっとストレスが原因かもね」
「だから奈央もさ、知らないうちにストレス溜めてたんじゃない?」
「そうかも」
「本当は結界なんて嘘っぱちで、ただ張ってもらったっていう安心感が、いい結果に結びついたってだけかもしれないし」
「確かにそうかもね」
「きっとそうだよ。とにかく、元の生活に戻れてよかったね」
「うん、ありがと」
奈央は平穏な日常が訪れた喜びを改めて噛みしめた。
すると真由美が話題を変えた。
「ところで、彼氏とはその後どう?」
その言葉に、奈央の気分はとたんに沈み込んでいく。
「相変わらず……。電話しても、折り返しもなくて」
「マジで? それはきついなぁ……」
「もしかしたら、浮気してるのかも……」
否定の言葉を期待しての発言だったが、真由美は奈央の意に反して大きくうなずいた。
「まあ、大学行ってたら、出会いなんて山ほどあるしね」
友人の言葉に、奈央の胸がずきりと痛んだ。
* * *
午後の講義を終えた奈央は、真由美と連れ立って最寄駅へ向かった。
駅に着くと、募金活動が行われていた。貧困世帯の子どもたちを支援するためらしい。同世代と思われる五人ほどの男女が、笑顔で通行人たちに援助を呼びかけている。
奈央は迷わず財布を取り出すと、黒髪の女性が持つ募金箱に千円札を差し込んだ。
「ご協力ありがとうございます!」
女性の元気な声が広場に響き渡る。
隣に立つ真由美が、えらく感心したように目を細めた。
「奈央、えらいね。進んで募金するなんて」
「だって、いいことすると気持ちがいいじゃん。真由美もやってみたら?」
「じゃあ、少しだけ」
真由美は財布から百円玉を一枚ぎこちなく取り出すと、硬貨をそっと募金箱に落とした。
「ご協力ありがとうございます!」
再び明るい声が響く。
「ね、気持ちいいでしょ?」
「まあ、悪くないかもね」
「一日一善だよ」
奈央はそう言うと、軽い足取りで改札口へと向かった。
* * *
夜の海岸に腐敗した死体が打ち上げられた。身につけた服から若い男のものだと推測されるが、傷だらけの顔は水にふやけ、原型を留めていなかった。
場所は変わり、夜の幹線道路。二十代半ばの男がふらつきながら車道に飛び出す。
ヘッドライトの光が男の顔を照らし、彼の大きく見開いた目が浮かび上がる。
その直後に鈍い衝突音が響き、急ブレーキの甲高い音が闇夜を切り裂いた。
* * *
奈央はスマホの着信音で目を覚ました。
部屋の暗さから、まだ深夜だということがわかる。いやな予感が胸をよぎり、壁掛け時計に目を向けた。
「ああ!」
思わず短い声を上げてしまう。ちょうど午前二時。また始まったのだ!
鳴り続けるスマホを手に取ると、「非通知設定」の文字が不気味に浮かび上がっている。
慌ててスマホの電源を切り、次の現象を予期して身を固くした。
数秒後、壁掛け時計がカタカタと不規則に音を立て始めた。奈央は布団をきつく握りしめて恐怖に耐える。
続いて、カーテンが大きく揺れ、次に壁がドンドンドンドンと鳴り響く。背後の壁から伝わる振動に、心臓が凍りつく。
だが、本当の恐怖はこれからだ。
浴室から不気味な女の声が聞こえてきた。顔から血の気が一気に引いていく。
「ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない……」
低く這うような、憎悪に満ちた声。あの女の声だ——。
奈央は両手で耳を強くふさぎ、声の限りに叫んだ。
「もうやめて! 全部あんたが悪いんでしょ!」
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