かりんとこはる
【発狂までのカウントダウン——】
「こはるちゃん、元気ないね」
待機室の硬いソファに座っていると、かりんが声をかけてきた。「こはる」は、奈央が店で使っている源氏名だ。
「昨日また、ホストで散財しちゃってさ……」
「そっかぁ……」
かりんは同情するような眼差しを向けながら、左手のリストカットの痕を右手の親指でなぞる。気持ちが揺れ動いたときの彼女の癖らしく、奈央は何度もそれを目撃している。
「あ、写メ日記、投稿しなきゃ」
かりんは思い出したようにスマホを斜め上に掲げると、胸の谷間を強調して自撮りを始めた。風俗サイトに投稿するための写真を撮っているのだ。出勤時の投稿を店から半ば強制されているため、奈央もしぶしぶ従っていた。中にはひんぱんに投稿している同僚もいたが、奈央にはその熱意が理解できなかった。
奈央の斜め前には、古参の風俗嬢が座っていた。死んだような目をした二十代半ばくらいの女で、いつも存在感が希薄だった。彼女の左腕には無数の注射痕があり、奈央はなるべく距離を置くようにしていた。
投稿を終えたらしく、かりんがスマホを膝に置いて口を開いた。
「ねえ、こはるちゃん。いくら使ったか、聞いてもいい?」
「三十万」
奈央が答えると、かりんは目を丸くした。
「一晩で!?」
「そう。一晩で」
奈央は自嘲気味に笑う。酒が入るとつい気持ちが大きくなり、金銭感覚が麻痺してしまうのだ。そのため、月に五十万ほどの収入があるにも関わらず、今では二百万近い借金を抱えていた。この調子では借金はふくらむ一方だろう。今後を思うと気分は沈んでいく。
かりんがぽつりとつぶやく。
「なら仕事、がんばんなきゃだね」
「だね……」
かりんの状況も奈央と似たようなものだった。彼女はホスト崩れの男を一人で養っている。そのホスト崩れは働く気はないらしく、一日中ゲームに興じているそうだ。家事もいっさいしないという。それでもかりんはその男に精神的に依存していたから、一応ウィンウィンが成立しているともいえなくもない。とはいえ、そんな薄氷を踏むような関係が長続きするとは思えなかった。
奈央はそんな同僚を見ては、いずれ自分と翔鬼の関係も同じ道を辿るのではないかと不安になった。彼から金の無心をされたら、きっと断れないだろう。かりんは、未来の自分の姿なのかもしれない。
ほい、とチョコレート菓子が入った箱をかりんが差し出してきた。
「ありがと」
奈央は一つつまんで口に放った。
「ねえ、こはるちゃん」
「ん?」
「新規の客って、緊張しない?」
「うん、ちょっとするかな」
「だよね。写真見て選ばれたときなんか、あたしでだいじょうぶかな……って不安になるんだ」
「それ、わかるかも」
「だから、今日は本指で埋まってくれたらいいなぁ」
〝本指〟とは本指名の略で、一度接客したことのある客から指名を受けることをいう。
「あ、でも今日生理だから無理か……」
生理の日は下半身へのタッチがNGになるため、指名は減りがちだ。
チョコをちびちびとかじりながら、かりんがぼそっとつぶやいた。
「……はあ、なんか死にたいね」
奈央も同じ気持ちだった。待機時間にかりんと「自殺」の話をするときだけ、なぜか不思議と気持ちが軽くなった。
「練炭自殺は最悪だよ」
かりんが前にした話を繰り返す。奈央がそのあとを継ぐ。
「失敗したら後遺症で身体が麻痺して、死にたくても死ねなくなるんだよね?」
「そう」
奈央はその話を先日聞き、練炭自殺だけは絶対に避けようと心に決めた。今の生活も充分に地獄だが、五体不満足になるよりははるかにましだ。
結局、いつもこの話は同じ結論に落ち着く。首吊りは苦しそうだから、高所からの飛び降りか、電車への飛び込みがいちばん手っ取り早いと。どちらの方法も勇気が入りそうだが、一瞬で今の苦しみから解放されるのなら、その価値は充分にあると思った。
それでも、自ら命を絶つ勇気は今のところ湧いてこなかった。「手首を切る」「電車に飛び込む」「ビルの屋上から飛び降りる」といった行為をリアルに想像するだけで足はすくんでしまう。その勇気を持つまでには、まだしばらく時間が必要だった。
「こはるちゃん」
「ん?」
「もう絶対無理ってなったら、いっしょに死んでくれる?」
かりんの言葉に、奈央は一瞬言葉を失った。ぼんやりとした目で、かりんが返事を待っている。
やがて、奈央は笑みを浮かべて答えた。
「いいよ。生きてたっていいことないからね。そのときは、いっしょに死の」
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