地獄の始まり
【発狂までのカウントダウン——】
「本当にごめんなさい……。反省してるから、もう許して……」
奈央は、原口華奈子の墓前で謝罪の言葉を何度も繰り返した。
気づけば、陽は傾き、あたりは薄暗くなり始めていた。奈央は周囲を見渡して身震いする。
「やだ……。これ以上いたら、なんか出てきそう……」
最後にもう一度、奈央は墓石に目をやった。
「これだけ謝ったんだから、いい加減許してよね」
歩き出した瞬間、スマホの着信音が鳴った。
「ん?」
スマホを確認する。母からの着信だった。
「——もしもし?」
電話に出たとたん、母の甲高い声が耳を突き刺した。
「奈央! あんた今、どこにいるの!」
奈央は思わず身をすくめた。母のそんな荒げた声を聞くのは初めてだった。
「ど、どこって……。今からそっちに行くとこだけど」
「だったら早く帰ってきなさい! あんたのせいで、大変なことになってるんだから!」
母の尋常でない取り乱しように、奈央の胸はざわついた。
「わ、わたしのせいって、どういう……」
「いいから早く帰ってこいって言ってんの!」
通話は一方的に切られた。
奈央はその場に立ち尽くした。スマホを持つ手が震える。何か大変なことが起こったに違いない。だが、何の心当たりもなかった。
「……いったい、何があったの?」
* * *
実家に帰ると、両親が畳の部屋で険しい顔をして待っていた。
「……お前、何てことをしてくれたんだ」
父の声は怒りに打ち震えていた。
横長の座卓の上には、A4サイズほどの白い紙が一枚置かれていた。奈央が目をやると、『殺してやりたい!』という文字が目に飛び込んできた。
「何、これ!?」
奈央は紙を手に取り、そこに書かれていた文面に目を通した。
たちまち顔から血の気が引いていった。乱暴な筆跡で綴られた文章には、高台の神社での悪行——奈央が男友だちを使って同級生をレイプさせた一件が記されていた。誰が書いたものかは明白だ。だが、いったい誰がこれを送りつけてきたのか——。
すると突然、家の固定電話がけたたましく鳴り出した。
「電話線、抜いとけ!」
父の怒鳴り声に、母が慌てた様子で電話機のコードを壁から引き抜いた。
呼び出し音が止むと、父はさらに声を荒げた。
「それと同じものが、いろんなとこに届いてるんだ! それでさっきから電話が鳴りっぱなしだ!」
「そんな……」
奈央は言葉を失い呆然となった。
父は荒々しい口調で続けた。
「こんな小さな町で商売を続けるには信用が命なんだ! 村八分にでもなったら、うちの酒屋なんてすぐに潰れちまう!」
奈央は奥歯を噛みしめる。状況は痛いほど理解できた。不買運動が起きれば、実家の経営はすぐに行き詰まるだろう。少し足を延ばせば、アルコールや日用品はどこでも手に入る。わざわざ、『本田酒店』を利用する必要などないのだ。
父が吐き捨てるように言った。
「卒業までの学費は払ってやる。仕送りも今まで通りしてやる。だがな、もう二度とこの家には戻ってくるな。大学を卒業したら一人で生きていけ。いいな?」
「そんな……」
奈央は絶望的な気持ちに襲われ、頭の中がまっ白になっていった。
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