新たな協力者
【復讐は姉の怨念とともに——】
「かしこまりました。ただ今お調べいたしますので、少々お待ちください」
恭弥は顧客との通話を保留にすると、ヘッドセットを外して椅子の背もたれに身を預けた。
広々としたフロア内をぼんやりと見渡す。ヘッドセットをつけた私服のオペレーターたちがひしめき合っている。二十代から三十代が中心だが、四十代から五十代の男女も少なくない。
応答した客の質問は、実のところ、調べるまでもない簡単なものだった。それでもあえて保留にしたのは、一息つくための口実だった。
常に「顧客ファースト」ではなく「自分ファースト」。保留が長いと管理者の目に留まるため、保留時間は三分までと決めていた。疲れた脳を休めるための貴重な小休憩だ。一日に八時間もひっきりなしに電話を受ける仕事では、こんな工夫がなければ身がもたない。それに、人より多く電話を取ったところで時給が変わるわけでもない。無理にがんばる必要はどこにもないのだ。
恭弥が大きなあくびをすると、斜め向かいに座る佐藤慎介と目が合った。彼が客と話しながら笑顔で目配せしてくる。恭弥も微笑みながら小さくうなずき返した。
佐藤は恭弥よりも十歳ほど年上で、後輩の面倒見がよいことで知られていた。恭弥も入社当初から何かと助けてもらっていた。細身で黒い服を好む姿はバンドマンに見えなくもなかったが、当の本人は音楽活動とは無縁だった。
ふと気づけば、保留時間が三分になろうとしていた。
「休憩終わりっと」
恭弥はヘッドセットを付け直すと、マウスを動かして保留ボタンを解除した。
* * *
「佐藤さん、今から軽く飲み行きませんか?」
仕事終わりの更衣室で、恭弥は声をかけた。
佐藤は一瞬驚いた表情を見せたあと、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「へえ、珍しいな。お前から誘ってくるなんて」
「実は、ちょっと相談したいことがあって……。今日はぼくが奢りますよ」
「マジか? じゃあ、遠慮なく甘えさせてもらうわ」
二人して職場近くの居酒屋に足を向けた。平日とあって店内の客はまばらだった。
ビールで乾杯してから、軽く雑談を交わす。歳は離れていたが、佐藤とは気兼ねなく語り合える。
「で、相談ってなんだ?」
佐藤がビールジョッキを持ちながら言う。
「実は見てもらいたいものがあって」
恭弥は姉の日記を佐藤に渡す。
「何だよ、これ?」
「ある人の日記です」
「日記?」
佐藤が怪訝そうに眉をひそめ、手にした日記をゆっくりとめくる。
「え!?」
とたんに彼の表情が一変した。すぐに普通の日記ではないことに気づいたようだ。
佐藤がとまどい気味に声を上げる。
「これ、何なんだよ?」
「とりあえず、付箋のあるページの、マーカーが引いてあるとこだけでも読んでもらえませんか」
佐藤は何か言いたげな顔をしたが、やがて小さくうなずいた。
「わかった。読むよ」
佐藤は付箋のあるページを開くと、静かに読み始めた。
すぐに彼の表情がみるみる険しくなっていく。「こりゃひでえな……」とか、「マジかよ……」といったつぶやきが漏れる。
やがて、佐藤は静かに日記を閉じた。
「これ、誰の日記なんだ?」
「ぼくの、姉ちゃんのです」
「マジか……」
佐藤は強い衝撃を受けたように言葉を失っている。
恭弥はビールを一口飲み、重い口調で続けた。
「日記には書かれてないですけど、姉ちゃん、風俗で働いてたことが学校にばれて、それで……」
「それで?」
「学校の屋上から……」
「マジかよ……」
佐藤の顔が目に見えて青ざめた。恭弥も胸が苦しくなり、それ以上言葉を続けられなくなってしまう。
しばらく重苦しい沈黙が流れた。
再び佐藤が日記を手に取ると、静かにページをめくり始めた。目には強い怒りが宿っている。
やがて気持ちが落ち着いてくると、恭弥は静かに佐藤に語りかけた。
「その日記は、姉ちゃんが死んでから一年後に見つけたんです。風俗のことは知ってたんですけど、理由がそんなだったとは思ってもなくて……」
「だよな。普通、若くして風俗で働くっていったら、ブランド品欲しさとかホストにはまったとか、そんな理由だろうし」
「ええ……」
佐藤がビールをぐいっと飲み干した。
「で、なんで、おれにこれを見せたんだ?」
恭弥は相手の目をしっかりと見据えて答えた。
「実は、佐藤さんに頼みたいことがあって」
「頼み?」
「ええ。姉ちゃんの復讐に、手を貸してほしいんです」
「復讐!? はあ? お前それ本気か?」
「はい、本気です」
佐藤はしばらく無言のまま恭弥を見つめてから、空のジョッキを見て店員におかわりを注文した。飲まずにはいられない心境なのかもしれない。新しいビールが届くと、彼は一気に半分ほど飲み干した。
恭弥は口を閉ざしたまま相手の反応を辛抱強く待った。雅とは違い、佐藤に無理強いはできない。彼はまったくの部外者で、協力する義理はないからだ。
しばらくして、佐藤が真剣な眼差しを向けてきた。その瞬間、恭弥は協力を得られたと確信した。
佐藤が日記に手を置きながら口を開いた。
「わかった、協力する。こんなの見せられたら断れねえもんな」
「ありがとうございます」
恭弥の声は震えた。正義感の強い佐藤なら応じてくれると信じていたが、改めて自分が非常識な頼みをしていることに胸が痛む。雅が計画に協力するのは姉への義理があるからだが、佐藤のそれは純然たる善意からだ。その思いに、恭弥の胸は熱くなった。
「で、おれは何をすればいい?」
佐藤の言葉を合図に、恭弥は計画の全貌を語り始めた。
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