レイプドラッグ
【復讐は姉の怨念とともに——】
「ウェルカム・トゥ・ザ・ヘブン、ベイビー!」
青い髪のDJが、ブースからダンスフロアの客を煽る。
爆音のダンスミュージックが響き、青いレーザー光が交錯するナイトクラブ。まるで、SF映画のワンシーンのような異世界空間だ。
ダンスフロアの端にいた恭弥は、耳障りな爆音に耐えながらバーカウンターに視線を注いでいた。
視線の先では、軽薄そうな顔をした男がバーカウンターにもたれかかり、物色するような目つきでダンスフロアで踊る女たちを眺めている。片岡京介——風俗店で姉を辱めた男だ。
人格は顔に表れるというが、その顔には下劣さがにじみ出ていた。強者には媚びへつらい、弱者には徹底的に強気に出る。そんな人間性が表情から伝わってくる。きっと、良心の呵責もなしに特殊詐欺に加担している連中と同類に違いない。
恭弥は監視カメラを意識し、なるべく顔を上げすぎないよう注意しながら片岡を監視する。パーカーのフードをかぶり、雑貨店で千円で購入したサングラスをかけて人相を隠していたが、そんな格好でもここではあまり目立つこともない。
やがて、ナイトクラブにマコが現れた。金髪のウィッグをかぶり、大きな赤いセルフレームの眼鏡をかけている。そこに厚いメイクが施され、完全に別人と化している。
マコは何気ない雰囲気を装いながらバーカウンターに近づき、脱いだ上着をカウンターチェアの上に置く。露出度の高い服装は指示通りだ。白いキャミソールは胸の谷間を際立たせ、極端に短いデニムのショートパンツからはむっちりとした白い太ももが覗いている。そんな姿に、金髪のウィッグと赤い眼鏡が妙に映えていた。
片岡がマコに顔を向けた。彼女の全身を舐め回すように見ている。早くも声をかける算段をしているのがありありと見て取れた。
「ひとり?」
予想通り、片岡がマコに声をかけた。
マコがにっこり笑って答える。
「そうだよ」
彼女の反応に、片岡は気を良くしたようだ。
恭弥は彼らの会話をワイヤレスイヤホン越しに聞くことができた。マコが通話状態のスマホをスピーカーホンにしているからだ。
「一杯おごるよ」
「ほんと? ラッキー♪」
片岡に促され、マコはカンパリ・オレンジを注文する。すぐにドリンクが用意され、二人はグラスを合わせて乾杯する。
恭弥はサングラス越しに二人の様子を観察する。片岡がマコに夢中になっているのは明らかだ。露出した彼女の胸の谷間や白い太ももに遠慮なく視線を浴びせている。すでに彼女との情事を夢想しているに違いない。
「あたしにもそれ、ちょっと飲ませて」
マコが片岡のグラスを奪って一口飲むが、すぐに顔をしかめてグラスを返す。
「うーん、あたしにはちょっときついかも」
「はは、お子ちゃまだな」
「もう。あたし、お子ちゃまじゃないよ」
マコがわざと怒ったふりをして片岡の肩を軽く叩く。
「これ、飲んでみて」
マコが自分のグラスを片岡に差し出す。片岡はグラスを受け取り、嬉しそうに口に運ぶ。二人の間にはすでに親密な空気が漂い、傍目にはまるで恋人同士のようだ。
恭弥は二人の動向をうかがいながらバーテンダーに目をやった。年齢は二十代半ばほど、色白の顔に笑みはない。とてもこの仕事を楽しんでいるようには見えない。
「ちょっと、お手洗い行ってくるね」
マコがハンドバッグを手にカウンターを離れていく。
片岡はトイレに向かうマコの背中を目で追っている。きっと、さまざまな期待に胸をふくらませているのだろう。
しばらくして、マコの声がイヤホン越しに聞こえてきた。
「恭弥君、聞こえる?」
「ああ、聞こえてるよ」
「あいつ、ちょっと口臭い」
恭弥は小さく笑う。
「そんな顔してるもんな。まあ、もう少しだけ我慢してよ」
「うん。じゃあ戻るね」
やがて、マコがカウンターに戻ってきた。すると、片岡がグラスをカウンターに置いて言った。
「おれも便所」
片岡がバーカウンターを離れていく。待ち望んでいた瞬間が訪れた。恭弥はカウンターの奥に立つバーテンダーに目を向ける。ちょうど別の客のドリンクを作り始めたところだ。
恭弥がマコに目で合図を送ると、彼女は小さくうなずき、素早く片岡のグラスに薬品を垂らした。その瞬間、恭弥の心臓が緊張で激しく高なった。色白のバーテンダーに視線を向ける。彼がマコの動きに気づいた様子はない。
彼女が片岡のグラスに入れたのは、通称〝レイプドラッグ〟と呼ばれる薬品だ。恭弥は知り合いのツテを頼りに、思いのほか簡単に入手できた。
片岡が戻ってきた。彼はすぐさまグラスに口をつけてマコに笑顔を向ける。彼女がぎこちない笑みで返す。どうやら緊張しているようだ。
しばらく他愛のない会話が続いたが、やがて、片岡の様子が目に見えておかしくなった。具合が悪そうに両肘をカウンターの上に乗せて動かなくなり、そのまま様子を見ていると、手に持っていたグラスが力なく離れ、横倒しになったグラスがバーカウンターを濡らした。
バーテンダーが無言でカウンターを拭き、倒れたグラスを片付ける。酔客には慣れているのだろう。彼は片岡を気遣う素振りも見せずに、何事もなかったかのように洗ったグラスを拭き始める。
片岡はカウンターに肘をついたまま少しの動きも見せない。その状態を保つのがやっとの様子だ。そんな彼にマコが話しかける。
「ねえ、今から二人きりになれるとこ行かない?」
片岡が緩慢な動きでマコに顔を向ける。彼女の言葉を理解するのに時間がかかっている様子だ。やがて、ワイヤレスイヤホン越しに片岡のかすれた声が聞こえてきた。
「……ああ、そうだな」
マコは片岡の腕を取ると、二人して出口へ向かっていった。
このあとの計画はこうだ。薬でもうろうとしている片岡をマコが人気のないところに誘い込み、恭弥が警棒で襲うのだ。今回、自分よりも一回り以上身体の大きい片岡に力負けしないよう薬の力を借りることにしたのだ。これは、片岡がこのナイトクラブの常連であることを知った上で立てたプランだった。
しかし、薬の効き目は予想をはるかに超えていた。恭弥が二人のあとを追って出口に向かうと、片岡は地下一階から地上へと続く階段を四つ足で這うようにして上がっていた。
入店してきた客が、四つ足で階段を這う片岡を見て怪訝な視線を向ける。マコが必死に片岡を支えようとするが、酩酊した大柄な男が相手ではどうにもならない。
「まずいな……」
恭弥は階段の下から様子をうかがっていたが、このままでは片岡だけでなくマコの存在も客の記憶に残ってしまう。いくら変装してるとはいえ、あまり理想的な状況ではない。恭弥はいったん階段から離れると、急いでマコに電話をかけた。
すぐに応答があった。
「——もしもし、恭弥君?」
「マコ、そいつはほっといて、今すぐ帰って」
「え、なんで!?」
「ちょっと目立ち過ぎてる。マコが疑われたらぼくも危なくなる。頼むから早く帰って!」
恭弥は焦りから、最後はつい語気が荒くなってしまう。
「……う、うん、わかった」
マコの動揺した声を聞いたあとに通話を切り、恭弥は再び階段を覗いた。彼女の姿は消えていた。片岡はというと、ようやく階段を上り終えようとしていた。
片岡が階段から消えるのを待って、恭弥は階段を上り始めた。地上に出ると、片岡がふらふらとした足取りで路地を歩いているのが目に入った。その千鳥足ぶりに、思わず笑いが込み上げる。
恭弥はマスクをつけると、適度な距離を保ちながらあとを追った。相手が酩酊状態なだけに尾行は簡単だった。薬の影響でまともな判断力がないのか、タクシーを拾おうとする様子もない。ただ倒れまいと、必死に歩いてるだけだ。
恭弥は姉の日記に書かれていた内容を思い起こした。
あの片岡という男は、姉が働く風俗店に押しかけて乱暴を働いた。許しがたい行為だ。姉の日記には片岡への憎悪が荒々しい筆跡で書き込まれていた。風俗で働いていることなど誰にも知られたくないはず。そこへ知人が現れ、必要以上のサービスを強要された。それは姉にとって地獄でしかなかっただろう。片岡があの気色悪い目つきで姉に迫ったかと思うと、恭弥はふくれ上がる殺意を抑え切れなくなった。
相変わらず千鳥足で歩いていた片岡が大通りに出た。街灯の弱い光が周囲を照らしている。歩道に人影はない。片岡は広めの歩道を右に左にと大きく揺れながら歩いている。両手はだらりと下がり、まるでゾンビが徘徊しているようだ。
彼が大通りを抜けたら適当な場所で襲おうと恭弥は心に決めた。そう決意すると、緊張からとたんに顔がこわばった。
すると、前を歩く片岡が急に両手を高く上げたかと思うと、大きく回転しながら歩道から道路へと飛び出していった。
「え!?」
恭弥の脇を抜けた乗用車が片岡に迫っていく。しかし、聞こえると思われた急ブレーキの音はせず、車はスピードを落とさず片岡に突っ込んでいく。ドスンと鈍い衝突音が響き、片岡がボンネットを超えフロントガラスに叩きつけられ車の上を乗り越えて転がり落ちる。その直後、けたたましい急ブレーキの音が闇夜に響き渡った。
恭弥は踵を返すと、来た道を引き返していく。今回もまた、結果的に自分の手を汚すことなく復讐を果たせた。この幸運に身体が震えた。
歩きながら恭弥は、夜空に顔を向けて語りかけた。
「姉ちゃん、見ててくれた?」
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