始まりの日
【復讐は姉の怨念とともに——】
「姉ちゃん、なんで死んじゃったんだよ……」
恭弥は姉の遺品を整理しながら、ため息交じりに声を漏らした。
姉との思い出に浸りながら、彼女の衣服を一つずつていねいに段ボール箱に詰めていく。あとでリサイクルショップに持っていく予定だ。売っても大した金額にはならないだろうが、捨てるよりも誰かに使ってもらったほうが姉も喜ぶ気がした。
姉の部屋に入るのは何年ぶりだろうか。最後に入ったのがいつだったか思い出せないほど遠い昔のことだ。なぜか、急に遺品を整理しようと思い立ち、この部屋に足を踏み入れた。しばらく誰も入っていなかったから、室内はだいぶ埃っぽかった。
両親は姉の部屋に寄りつくことはなかった。姉の死にそれなりに打ちひしがれてはいたが、彼らの関心は明らかに世間に向けられていた。〝風俗勤務がばれて自殺した娘の親〟というレッテルを貼られたことに、彼らは深く傷ついていた。そのためか、彼らの口から娘を悼む言葉は聞かれず、むしろ苛立ちや失望の言葉ばかりが目立った。
恭弥はそんな両親に深い失望を覚えていたが、田舎に暮らす大人たちはみな似たり寄ったりなのだろうとも思った。彼らにとっては、〝世間体〟こそが何よりも大切なのだ。
箪笥に仕舞われていた服は予想以上の量だった。姉は物を捨てられない性質で、小学生のころに着ていた服まで大切に取ってあった。恭弥はそれを目にした瞬間、懐かしさが込み上げてきて思わず目頭が熱くなった。
リサイクルできない下着類は、処分するためにポリ袋に放り込んでいく。それらを手にしたとき、姉のしていた仕事を思い出して嫌悪感を覚えた。
姉の事件のせいで、恭弥は一時期まわりから距離を置かれた。いじめにまでは発展しなかったが、学校での生活が息苦しくなったのは事実だ。それでも、恭弥は姉を憎むことはなかった。
しかし、やむを得ない事情があったのかもしれないが、恭弥はいまだ姉の行為を正当化できずにいた。優等生で活発だった姉を昔から心から慕ってはいたが、それでも姉が風俗で働いていた事実だけはどうしても受け入れられず、そのため、たびたび暗い気持ちになっては、行き場のない怒りに身を苛まれていた。
洋服の片付けが一段落すると、恭弥は一息つくために姉のベッドに横たわった。
板張りの天井をぼんやりと見つめながら、今ごろ姉はどこにいるのだろうかと考える。風俗で働いていたことがばれ、絶望しながら死んでいった姉が普通に成仏できるとは思えなかった。地縛霊としていまだ学校にとどまっているのか、それとも死の瞬間に無に帰してしまったのか——。思考はいつも堂々巡りをして答えにたどり着くことはない。きっと、自ら死を体験するまで答えは見つからないのだろう。
ふと、ガタッという音が部屋に響いた。恭弥は驚き、慌てて身を起こした。
「え……!?」
非現実的な光景に、恭弥は自分の目を疑った。閉じていたはずの机の引き出しが大きく開け放たれていたからだ。しかも、その最上段の引き出しには鍵がかかっていたはず。
「なんで……」
恭弥はおそるおそるベッドから降りると、引き出しの中を覗き込んだ。中には、「DIARY」と書かれた赤い表紙の日記帳が入っていた。
パラパラとページをめくったところで、ぞくりと冷たいものが背中を駆け抜けた。
「なんだよ、これ……」
それは日記というよりも、憎悪と怨念を吐き出したデスノートのようなものだった。
「これ、本当に姉ちゃんが書いたのか……」
異常なほどの敵意に充ちた筆跡に、恭弥は震えが止まらなくなった。
机の前に腰を下ろすと、恭弥はいちばん最初のページから順に読み始めた。日常の他愛のない記述は斜め読みをして先を急ぐ。やがて、姉にとっての「Xデイ」とも呼べるページにたどり着く。
「そんな……」
姉がレイプされたという事実を知り、恭弥は絶望的な気持ちになった。自然と涙がこぼれ落ちていく。震える手でページをめくっていく。
「ひどい……、ひどすぎる……」
レイプされただけでも信じがたいというのに、その後の出来事は想像を絶していた。レイプ動画で脅迫され、風俗で働くことを強要された。しかも、要求された金を払ったあとも、陰険な行為は続いた——。
最後の一冊を読み終えると、恭弥はそれをそっと机に置いた。すでに、部屋の中はだいぶ薄暗くなっていた。時計を見て時間を確認する。どうやら、一時間近く姉の日記に没頭していたらしい。
姉の日記を読み終えてもまだ、恭弥は信じられない気持ちでいっぱいだった。日記に書かれていることが本当だとして、人はそこまで残酷になれるものだろうか。しかし、憎悪に充ちた筆跡を見れば、それが紛れもない事実だと認めざるを得なかった。姉は短期間のうちに、本当の地獄を体験したのだ。やがて、腹の底から抑えきれない怒りが湧き上がってきた。
これで、姉の自殺の原因がはっきりした。いや、自殺ではない。姉は彼らに殺されたのだ!
「姉ちゃん、ぼくが代わりに復讐してやるよ」
そう誓った瞬間、インターホンが鳴った。
やがて、階下から母親が呼びかけてきた
「恭弥、マコちゃんが来たわよー」
* * *
「どうしたの? そんな怖い顔して……」
部屋に入ってくるなり、マコが驚いた顔を見せた。
柳田真子——中学からの同級生で、別々の高校に進んだあとも定期的に顔を合わす間柄だった。
「うん……。まあ、適当に座ってよ」
マコは少し不安げな表情を浮かべながらカーペットの床に腰を下ろそうとしたが、机の上に目を向けて動きを止めた。
「何それ?」
マコの視線は、姉の部屋から持ってきた赤い表紙の日記帳に注がれていた。
「姉ちゃんの日記」
「え、お姉さんの!?」
「そう。読んでみる?」
「え、いいの?」
「いいよ」
恭弥はそう言ってノートの一冊をマコに差し出した。
マコは緊張した面持ちで、ノートを開いて読み始めた。恭弥は椅子に腰掛けたまま、彼女が日記を読む様子を静かに見守った。
「ひどい……」
すぐにマコが悲痛な声を漏らした。
「だろ? どんどんひどくなっていくから、無理して読まなくてもいいよ」
「いい、読む」
覚悟を決めたかのような真剣な顔をして、マコは再び日記に視線を落とした。
読み進めるマコの目に涙が浮かんでいることに恭弥は気づく。やがて、日記を読み終えたマコが、涙を拭って声を震わせた。
「ひどすぎるね……」
「ああ。でも、これで姉ちゃんが死んだ理由がはっきりした」
「うん……」
マコが悔しそうに日記をぎゅっと握る。
しばらく重苦しい沈黙が流れたあと、恭弥は静かに口を開いた。
「ぼく、復讐しようと思ってる」
「え、復讐!?」
マコが目を丸くして驚く。
「うん。だってこれじゃあ、あまりにも姉ちゃんが可哀相だ」
「確かに、そうだね……」
再び沈黙が流れる。
やがて、マコが真剣な眼差しを向けてきた。
「あたしも手伝うよ」
「え……」
今度は恭弥が驚く番だった。
「恭弥君の復讐、あたしも手伝う。あたしもこの人たちを絶対に許せない」
その言葉に、恭弥はとまどいを覚えた。彼女に日記を読ませたのは共感を望んだだけで、協力してほしかったわけではない。だが、正直一人で行動するよりも仲間がいたほうが何倍も心強い。
「わかった。とりあえず、少し考えさせて」
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