呪いの原因
【闇堕ち少女、怨霊と化す——】
「綾、おはよ」
教室で声をかけると、綾は露骨に顔をしかめた。
親友のあからさまな拒絶に、華菜子は唖然とする。目に軽蔑の色を浮かべて綾は無言で離れていく。
華菜子の胸に、鋭いナイフが突き刺さったかのような痛みが走る。すぐに、教室の空気がおかしいことに気づく。周囲の視線が自分に集まっている。怖々と目をやると、彼らは異物でも見るような目つきでこちらを見ていた。
「なんなのこれ……」
まるで教室で一人だけ裸にされたような羞恥心が襲いくる。華菜子は震える身体を両手で抱きしめて席に着く。ヒソヒソと話す声が耳に届いてくる。内容は聞き取れなかったが、間違いなく自分のことだ。
朝礼が始まると、華菜子はさらに驚かされる。担任教師までもが気まずそうな表情を浮かべていたからだ。何か良からぬことが起こっていることを悟り、華菜子は教室から逃げ出したい衝動に駆られた。
授業が始まり、小休憩を挟んで二限目が始まっても、華菜子は一度も席から動けなかった。とにかく、亀のように身動きせず、じっと息をひそめていた。これ以上、余計な注目を浴びたくなかった。
二限目の授業が始まってすぐに、前方のドアが開き、担任の男性教師が姿を見せた。教室内に無言のざわめきが広がった。
深刻そうな表情を浮かべた担任教師は、教鞭を執っていた数学教師を呼び寄せると耳打ちをした。数学教師は小さくうなずき、一歩下がって担任教師に道を空けた。
ドア付近に立ったまま、担任教師が華菜子に視線を向けた。
「原口、ちょっといいか?」
その言葉に、教室内が大きくどよめいた。「やっぱりあの噂、本当みたいだな」と低い声で発せられた男子生徒の言葉が華菜子の耳に届いてきた。
華菜子は周囲の痛い視線に耐えながら教師のもとへ向かった。まるで、自分が犯罪者にでもなったような気分がした。
「原口、いっしょに来てくれ」
華菜子は小さくうなずくと、重い足取りで教師のあとに続いた。
連れてこられた場所は校長室だった。初めて入る部屋なだけに、事態の深刻さがいやでも伝わってきた。
室内に入るなり、華菜子は息を呑んだ。そこに両親の姿があったからだ。二人は応接セットの黒いソファに身を小さくして座っていた。
「まあ、掛けたまえ」
初老の校長が両親の隣に座るよう促してきた。だが、凍りついた身体は言うことを聞いてくれない。
「原口、ほら」
担任教師に背中を押され、華菜子はようやく前に踏み出した。それでも両脚は麻酔でも打たれたかのように感覚がなく、足取りはおぼつかなかった。
おそるおそる両親の隣に腰を下ろしたが、彼らと視線を合わせることはできなかった。二人からは強い敵意が伝わってきた。二人は明らかに学校側に味方している。家族ですら味方でないという状況に、華菜子は深い失望を覚えた。
担任教師が校長の隣に大きく足を広げて腰を下ろした。彼は両肘を膝の上に乗せて両手を組み、これ以上ないくらい深刻そうな表情で前かがみになった。
「うちの娘が、いったい何を……」
沈黙に耐えかねた様子で父親が校長に問いかけた。
父親の情けない声を聞き、華菜子は胸がしめつけられた。その声には娘を守ろうという気配は微塵も感じられなかった。
「実は今朝、こんなものが届きましてね」
校長は一つ咳払いをしてから、テーブルの上に白い紙をそっと置いた。
「え!?」
それを見た瞬間、華菜子は凍りついた。そこには、見慣れたビルから出てくる自分の姿がはっきりと写っていた。
両親は状況が理解できずにいる。父親が困惑した表情でたずねた。
「……これは?」
校長が言いにくそうに口を開く。
「そのビルには、風俗店が入っているんですよ」
その言葉を聞いた瞬間、母親が金切り声を上げた。
「華菜子! あんた、なんてことを!」
「違うの、これは!」
華菜子は思わず叫ぶが、そのあとの言葉は続かなかった。仕事が露見したショックで、頭はパニックになっていた。
両親はともに顔をまっ赤にし、怒りと恥辱がない混ぜになったような表情を浮かべている。彼らがこの場で完全に学校側についたのを見て、華菜子の中で目に見えない糸がぷつりと切れた。血でつながった両親とはいえ、彼らはもはや華菜子にとって他人同然の存在に変わった。
校長がおだやかな口調で続けた。
「ご存知のように、本校ではアルバイトは禁止しておりますし、勤務先の性質も考慮すると、まずは停学処分という形をとり、最終的な判断については改めてご連絡させていただければと思っております」
父親が卑屈な笑みを浮かべ、ペコペコと執拗に頭を下げて謝罪する。
「はい、はい、もちろんです。本当にご迷惑をおかけして、申しわけございません」
「まあ、お嬢さんにも何らかの事情があったのでしょう。ご自宅で、ゆっくり話し合われてください」
華菜子はぞっとした。このまま両親と帰宅することなど考えられない。もはや彼らは完全に他人同然だ。そんな相手とまともな話しができるはずもない。それに、当然もう高校には通えない。たとえ退学を免れたとしても、全校生徒が事情を知る中で、どんな顔をして学校生活を送ればいいのか。それは想像するだけで地獄だった。
この絶望的な状況に、自分の身体が素直に反応した。吐き気が込み上げ、顔から血の気が引いていく。
「華菜子!? どうしたの!?」
母親の腕が肩に伸びるが、ふいに目が回り出し、室内の景色があいまいになっていく。吐き気がさらに強くなっていき、意識が遠のいていく。
「原口、だいじょうぶか!?」
担任教師の声で一時的に意識が戻る。校長と担任、そして両親が不安そうに見つめてくる。何も知らずに一方的に悪者扱いしてきた無能な大人たちの顔がずらりと並ぶ。そんな者たちに、助けなど求められるわけがなかった。
「ああ……!」
おもむろに立ち上がると、華菜子はふらつきながら校長室を飛び出していった。
「華菜子!」
母親の呼び止める声が背後で響いたが、自分の娘よりも学校側に味方した両親の顔など二度と見たくなかった。
「もう、わたしに居場所なんてないんだ!」
授業中の静まり返った校舎を、華菜子は全力で駆けていく。
「原口! 待て!」
担任教師の声が追いかけてくるが、振り返らず廊下を右に曲がり、階段を駆け上がる。この残酷な世界に、もう一秒たりともいたくなかった。
階段を全速力で駆け上がり、校舎の屋上にやって来た。どんよりとした曇り空が広がっている。死ぬにはふさわしい空模様だ。迷いはなかった。死んであの女を呪ってやる! 呪い殺してやる!
「本田奈央、お前だけは絶対に許さない!」
華菜子は憎悪を爆発させながら、躊躇なく手すりを飛び越えた。
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