色白の男
【闇堕ち少女、怨霊と化す——】
「ん?」
視線を感じて顔を上げると、色白の男がこちらをじっと見つめていた。同世代くらいの中背の男で、至って特徴のない顔立ちをしている。
向かいの席でパスタを食べていた真由美が声をかけてくる。
「奈央、どうした?」
「え、いや……」
口ごもっていると、色白の男がつかつかと歩み寄ってきた。奈央は思わず身をこわばらせた。
男はすぐ目の前までやって来ると、おもむろ口を開いた。
「あの?」
「は、はい」
「最近、おかしなこと、起きてませんか?」
「え!?」
男の言葉に、奈央は危うく声を上げそうになった。
こちらの反応に気を良くしたように、男はしたり顔で続ける。
「やっぱり、何かあるんですね?」
「あ、いえ、その……」
奈央が返事に窮していると、向かいに座る真由美が鋭い口調で割って入ってきた。
「ちょっとこれ、何なんですか!?」
男は申し訳なさそうに頭をかく。
「すみません、いきなり変なこと言って……。実はぼく、人よりも霊感が強くて」
「霊感?」
真由美が怪訝そうに眉をひそめる。
奈央は、〝霊感〟という言葉に思わず身震いした。
改めて男を見ると、色白の肌が霊感の強さを物語っているようにも見えなくもない。穏やかそうな感じで、とくに怪しい気配はない。
色白の男が真剣な表情で口を開いた。
「よかったらぼくの話、聞いてもらえませんか?」
「あ、はい、少しだけなら……」
最近の不可解な出来事を思えば、男の話を聞かずにはいられなかった。
ところが、向かいに座る真由美は違った。
「奈央、本当に聞くの?」
彼女は怪訝な表情を浮かべながら言った。
「うん、ちょっとだけなら」
「でも、知らない人なんでしょ?」
「そうだけど、悪い人には見えないし」
「まあ、そうかもだけど……」
真由美はちらりと男を見て答えた。
奈央は友人の心配をよそに、ソファを少し右にずれて男が座れるスペースを作った。色白の男は軽く頭を下げてから、遠慮がちに奈央の左隣に腰を下ろした。
男は居住まいを正すと静かに語り始めた。
「あの、怖がらせるつもりはないんですが、落ち着いて聞いてくださいね」
「あ、はい……」
「あなたには、命に関わるほどのレイショウが見えます」
「レイショウ?」
「霊による障害と書いて、〝霊障〟です」
「そんな……」
先延ばしにしていた問題を突きつけられ、奈央は動揺を隠せなかった。
「命に関わるって……。奈央、何か心当たりあるの?」
真由美が心配そうに聞いてきたが、奈央は胸がつかえて答えられなかった。
黙っていると、男が再び口を開いた。
「なるべく早いうちに、お祓いを受けたほうがいいですよ。このまま放っておくと、取り返しのつかないことになるかもしれない」
奈央は男の言葉に身震いする。これまで順風満帆だった人生が、なぜかここにきて不穏な影を落とし始めている。
「あなたが祓ったりとかはできないんですか?」
黙っている奈央に代わって真由美が男にたずねた。
色白の男は申し訳なさそうに顔を歪めた。
「……すみません。ぼくはただ、視えるだけで。たとえるなら、お化けは見れても退治はできないって感じなんです」
「そうなんですか……」
真由美は残念そうに表情を曇らせた。
色白の男は奈央に視線を移す。
「さっき店を出ようとしたとき、あなたから強い悪意を感じて、それで声をかけたんです」
「はあ……」
奈央は歯切れ悪く答える。親切心から声をかけてくれたようだが、感謝の気持ちより不安のほうが募るばかりだ。
「ちなみに、知り合いに祓える人っていないんですか?」
再び真由美がたずねると、男は少し考えてから答えた。
「一人……います。その人なら、視えるだけでなく祓うこともできます」
「なら奈央、紹介してもらったら?」
「あ、そうだね。……あの、いいですか?」
「ええ、いいですよ。彼の連絡先を教えますので、よかったら直接連絡してみてください」
男はそう言って、スマホを取り出した。
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奈央は、男のスマホに表示された連絡先をスマホに保存した。
「彼、普段はバーテンダーなんです」
「バーテンダー?」
真由美が不安げな声を上げた。
奈央も同じ気持ちだった。ただのバーテンダーが除霊なんてできるのだろうか。
こちらの不安を察して、色白の男は弁解するように言った。
「心配しないでください。その人の能力は本物ですから。ぼくも何度か立ち会いましたが、プロの霊能者と同じように祓えてました。まあ、自己流ですが」
「自己流……ですか」
奈央はさらに不安を募らせた。
男は軽く笑みを浮かべて続けた。
「もちろん、無理にその人に頼る必要はありません。霊能者は他にもいますしね。ちなみに、ぼくはヤマウチといいます。もし、彼に連絡する場合は、ぼくの名前を出せば話が早いと思います」
「わかりました」
「じゃあ、ぼくはこれで」
色白の男は席を立つと、足早に去っていった。
男が消えると、真由美がすぐに口を開いた。
「ねえ、奈央。なんかやばいこと、起こってるの?」
「うーん、やばいってほどじゃないけど、……ただ最近ちょっとおかしなことがあって」
「おかしなことって?」
「実はね——」
* * *
スマホの着信音で目が覚める。時間を確認する。今夜も午前二時だ。
「まただ……」
止まない着信音。おそるおそるスマホを手に取ると、「非通知設定」の文字が浮かんでいる。
出たくはなかったが、誰なのか確かめたい気持ちが勝り、恐怖を押し殺して応答する。
「……も、もしもし?」
つながっているが返事はない。聞こえるのは雑音だけ。いつもと同じだ。
そこで突然、壁掛け時計がカタカタと揺れ出した。
「ひい!」
揺れるとわかっていても、恐怖で身体が跳ね上がる。続いてカーテンが大きく揺れ、壁がドンドンと鳴り響く。そして最後に、浴室から女の声が聞こえてくる。
それはいつも通り、怨念を帯びた低い声だった——。
* * *
「それ、ガチでやばいじゃん!」
奈央が話し終えるなり、真由美は声を荒げた。
普通じゃないことは奈央自身もわかっていた。しかし、翌朝になると、夢だったのではないかという感じになり、誰かに相談する気が薄れてしまうのだ。
「それが一週間も続いてるんだよね?」
「うん……」
「だったら、さっきの人が言ってたみたいに、専門家に相談したほうがいいって」
「そうだよね」
「絶対そうだって。だってさっきの人、命の危険があるかもって言ってたじゃん」
「うん、そう言ってたね」
「もう〜、なんだか他人事だなぁ。もっと真剣に考えなよ!」
「だよね」
「もしあれだったら、例のバーテンダーに連絡してみない?」
「え、今から?」
「うん、こういうのは早いほうがいいって」
確かに真由美の言う通りだと思った。これは後回しにするようなことではない。なんせ、命に関わるかもしれないとまで言われたのだから。
しかし、見ず知らずの男の言葉をそう簡単に信じていいものだろうか。
奈央が迷っていると、真由美は意外そうな顔をした。
「あれ? 気乗りしない感じ?」
「だって、そんな簡単に信用していいのかなって」
「そうだけど、実際にあんたに起こってることをドンピシャで言い当てたわけじゃん? それに親切心で教えてくれたわけだし、疑う理由なんてなくない?」
「まあ、そうかもだけど……」
「じゃあさ、こうしようよ。今からネットで探して、別の霊能者に視てもらうの。これならどう?」
ネットで探した霊能者のほうが、見ず知らずのバーテンダーよりも信頼できそうだと思った。それに、真由美と話していて、問題をこれ以上先延ばしにしたくないという気持ちも強まっていた。
「そうだね。まだ時間あるし、行ってみようか」
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