表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/27

報酬の代償

「原口、ちょっといいか?」

 帰りのホームルームが終わったあと、華菜子は担任の男性教師に呼び止められた。このタイミングで声をかけられたのは初めてだったため、とてもいやな予感がした。

 華菜子は警戒しながら声を震わせた。

「……なんですか?」

「ちょっと、職員室で話そうか」

「え!?」

 華菜子は焦った。それでは遅刻確定だ。店長の小島はなぜか自分にだけ遅刻に厳しい。

「先生、すみません。家の用事があって、あまり時間が……」

「そうか。なら、ここで手短に済ませるか」

 その言葉に、華菜子はほっと胸をなで下ろす。

 すでに教室からは、生徒の姿はほとんどいなくなっていた。

「原口、最近どうしたんだ? 成績がだいぶ落ち込んでるぞ」

「すみません……」

 華菜子は謝りつつも、その程度の話かと安堵した。

「何か悩みがあるなら、いつでも相談に乗るぞ」

「いえ、別に悩みとかは……。最近、ちょっと体調が悪くて……」

「ああ、そういうことか」

〝体調が悪い〟の一言で、教師はすぐに納得したようだ。人は原因を見つけるとそこに飛びつきたがるというが、まさにその典型のような反応だ。

「学年トップクラスだったお前がここまで成績を落とすなんてな。早く体調を整えないと、このままじゃ志望校も危ういぞ」

「はい、わかりました」

 当たり障りのない言葉しか吐けない教師に、華菜子は軽い苛立ちを覚えた。


       *  *  *


「ほい。今月分な」

 仕事終わりに、店長の小島から封筒を渡された。

 華菜子は礼を言って事務所を出ると、狭いロッカールームで手書きの給与明細を確認した。十七万八千円だった。手持ちの貯金と合わせれば二十万円を超える。

「これでやっと、この場所から抜け出せる……」

 自然と安堵のため息が漏れる。若い身体を酷使しただけあって、要求された金額を期日までに用意することができた。だが、それ以上に失ったものも大きかった。

 鏡を見れば、かつての自分はそこにはいなかった。鏡に映るのは、人生に絶望した敗者の姿だった。

 見た目の変化は誰の目にも明らかなようで、母は顔を合わせるたびに心配そうに声をかけてきた。学校では友人たちが気遣ってくれるものの、彼女たちとの間には距離ができつつあった。常に自分が険しい顔をしているのが原因だろう。店では男たちの欲望を満たすために男性器を咥えているのだ。そんな現実の中で正気を保つのはむずかしい。最近では、親友の綾でさえ放課後に誘ってくることもなくなっていた。すでに、こちらから声をかけにくい空気にもなっている。

 すべてが悪い方向へ向かっていた。生きること自体が辛かった。

「それもこれも、すべてあの女のせいだ……」

 本田奈央を殺してやりたいという衝動は日に日に強くなっていた。だが、それを実行すれば、家族に迷惑がかかるだけでなく自分の人生も終わってしまう。まだ未来ある年齢なだけに、彼女のせいでこれ以上人生を壊されるわけにはいかない。

 そのため、要求された金を払って本田奈央と関係を断ち切ったあとは、不本意ではあったが、復讐の炎は胸の奥に封印するつもりだった。そう、当面の間は——。

 華菜子はさっそく退職の意思を伝えるためにロッカールームを出て事務所を覗いた。だが、店長の小島は他の女性たちと楽しげに話していた。ちらと彼がこちらを見るが、すぐに視線を外して会話に戻っていく。笑い声が大きく響く中、割り込むのは気が引けた。

 話が終わりそうもないため、退職の件は次の出勤時に伝えることにした。

「お先に失礼します……」

 小さくつぶやき、華菜子は店をあとにした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ