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さらなる悪夢

 華菜子は数日ほど学校を休んでから、ようやく登校した。

 しかし、性的暴行を受けたトラウマは想像以上に心を蝕んでいた。学校への道すがら、周囲の視線が突き刺さるように感じられ、心はざわつき、誰もが暴行の事実を知っているのではないかという被害妄想に苛まれた。

 校舎に足を踏み入れてからもそれは続いた。誰にも目を合わせることができず、生まれて初めて感じる他者からの圧力にめまいを覚えた。これが対人恐怖症というものなのか。

 廊下を歩き教室へと向かう途中、友人と談笑する(みやび)の姿が目に入った。彼は華菜子に気づくとすぐに視線を逸らし、何事もなかったかのように振る舞った。その冷淡な態度に、華菜子の胸はしめつけられるように痛んだ。

 状況を考えれば、彼の行為は致し方なかったのかもしれない。それでも、助けを呼ぶことくらいはできたはずだ。そう思うと、抑え切れぬ怒りが込み上げてきた。

 表情が険しくなっていることを自覚しながら教室へ向かっていると、背後から友人の綾が声をかけてきた。

「カナ、もうだいじょうぶの?」

「……う、うん、平気。心配かけてごめんね」

 華菜子は取り繕った笑みを浮かべて答えるが、自分が性的暴行を受けたことを綾も知っているのではないかという疑念が頭をよぎり、ぎこちなく目を逸らしてしまう。

 するとそこへ、本田奈央が近づいてきた。華菜子は思わず身構えたが、友人の前で露骨な態度は取れなかった。

「華菜子、ちょっといいかな?」

「……何?」

「二人きりで話したいんだけど」

 本田奈央は意味ありげな笑みを浮かべる。

 華菜子は拒絶したかったが、綾に余計な詮索をされたくない一心で、しぶしぶながら同意した。

「わかった……。綾、ちょっとごめん」

「うん……」

 綾が心配そうな顔でその場を離れていく。

 二人きりになると、華菜子は声を荒げた。

「話って何!」

「そんな怖い声出さないでよ。ただ話がしたいだけなんだから。ここじゃあれだし、ちょっとこっち来て」

 華菜子は不快感を覚えながらも、本田奈央のあとに続いて階段の踊り場まで移動した。

「これ見てくれる?」

 本田奈央はそう言ってスマホを向けてきた。

 画面を見た瞬間、華菜子は悲鳴を上げそうになった。自分のレイプ動画が映っていたからだ。暴行の最中、本田奈央がスマホを向けていた記憶がおぼろげながらよみがえる。襲われたショックが強過ぎて、完全に忘れていたのだ。

「こんなの、誰にも見られたくないよね?」

 華菜子は生きた心地がしなくなった。自分は今、脅されている——。その事実に身体が震えた。いったい、どんな要求をしてくるつもりなのか。

「何をすれば……いいの?」

 華菜子は声を震わせながらたずねた。

「今月中に、二十万用意して」

「え!? そんなの無理だって!」

 あまりにも理不尽な要求に、華菜子は思わず反論した。

「じゃあ、この動画、ネットにさらしちゃおっかな〜」

「やめて!」

 華菜子が短く叫ぶと、本田奈央が一枚のメモを差し出してきた。電話番号が書かれていた。

「そこに電話すれば、二十万なんてすぐに稼げるよ」

「え……」

 どんな店か、すぐに察しがついた。

「そこね、カズマの先輩がやってるお店なの。カズマってのは、この前あなたの相手をした男。あなたも中学がいっしょだから、顔ぐらいは覚えてたんじゃない?」

 男たちの一人がカズマという名前だと知り、華菜子はその名を心に刻んだ。おそらく、金髪の男がそうだろう。

「そこで働くかどうかはあなたしだいよ。でも、今月中に二十万用意できなかったら、速攻でネットにさらすからね」

 本田奈央は冷淡な口調でそう言い放つ。

 この女なら迷わず実行するだろうと華菜子は確信した。

「それじゃ、がんばってね」

 本田奈央は満足げに微笑み、華菜子に背を向けて去っていった。


       *  *  *


 その日の夜、華菜子はいつものように日記を開き、本田奈央とのやりとりを漏らさず書き記していった。受け取った電話番号も書き加えた。当然、カズマのことも。「カズマ」は、中学の卒業アルバムで確認したところ、「川崎数馬」だとわかった。写真を見て彼のことを思い出したが、金髪にした今の姿は当時とはまるで別人だった。彼のニヤついた顔を思い出すと、胸をかきむしりたくなるほどの苦しみに襲われた。

 性的暴行を受けたことは恥辱でしかなかった。絶対に誰にも知られたくない。当然、両親や友人にも言えない。きっと自分と同じように、誰にも相談できずに泣き寝入りする被害者は少なくないのだろう。

 警察に駆け込むことも考えたが、そうすれば必然的に両親にも知られてしまう。娘がレイプされたと知ったら、両親はどんな気持ちになるだろう。たとえ、彼らが理解を示してくれたとしても、見ず知らずの刑事たちに根掘り葉掘り聞かれるのは耐えられない。それに警察沙汰になれば、暴行の事実は学校中に広まるかもしれない。そうなれば、被害者の自分が好奇の目で見られるのは避けられない。

 そんな光景を、リアルに華菜子は想像してみた。


「あの子、レイプされた子でしょ?」

「そうだよ」

「よく平気で学校に来れるよね」

「ほんと、図太いよね」

「被害者ぶってるけど、ほんとのところはわかんないよね」

「だよね」


 華菜子はぞっとした。きっと、何も知らない部外者は被害者にも落ち度があったと言い立てるはず。華菜子は否定するように強く首を横に振った。

「ダメだ。絶対に知られちゃいけない……」

 そんな不快な思いをするくらいなら、本田奈央に金を渡して黙らせたほうがマシだ。

 脳裏に、あの神社の裏で受けた屈辱がよみがえる。入れ替わり立ち代わり、頭の悪そうな男たちにもてあそばれた。そして、一度汚された身体は、もう二度と元の綺麗な身体には戻らない。すでに汚されてしまったのなら、見知らぬ男たちに身体を売ってもいいのではないか——。

 華菜子は、電話番号が書かれたメモを苦々しく見つめた。これから進もうとしている道は決して楽なものではない。文字通り(いばら)の道だ。しかし、心ない中傷や好奇の目にさらされるくらいなら、その道を選ぶほうが賢明なことのように思われた。

 華菜子はメモに書かれた電話番号を震えながらスマホに打ち始めた。自然と本田奈央への怒りが湧き上がる。

「あの女だけは、絶対に許さない!」

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