TURN5 交錯する刃
その日、街は恐慌と混乱に陥った。
関東地方で活躍するヒーロー四人組が道行く人々を無差別に襲い始めたのだ。
同時刻の関西地方では死亡したとされるヒーロー四人組がネクロマンサーの力で操られて、生前所属していた組織を襲撃する事態が発生しているという、日本の大都市圏を揺るがす事件が同時多発的に起きているのだから、ヒーローたちは蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
関西地方のヒーローたちはあくまで死体を修復してネクロマンスしているにすぎないため、生前のスペックを引き出せていたとしても連携の面でどうしても生前に劣る。脅威には違いないが、生前に比すれば対処はまだ容易な方だ。
問題は関東地方の騒ぎ。あくまでヴィラン支援機構・ブラックマインドの再教育センターで洗脳されただけのヒーローたちは連携の面でも精彩を欠かないのだ。即座に動ける下位ランクのヒーローたちでは手に余る。加えて、ブラックマインドからの支援により装備を強化されたネガ・ライトが関東地方のヒーローたちと共に最前線にいるのも厄介だった。認識撹乱効果を持つ薬品を撒き散らすネガ・ライトにより、洗脳されたヒーロー四人組の対処に来た下位ランクのヒーローたちも民間人を襲うようになるという悪循環に陥っている。
しかしこの苦境をものともしない下位ランクヒーローがいた。ヒーローランク612位、識別名ウィング・ロロだ。
大型建造物を破壊したり地形を変えたりするのが容易な程度の膂力から繰り出される両刃の大斧の一撃は、例え洗脳されたヒーローたちが彼女より上位ランカーであろうと関係ない。何故ならロロのオペレーターにしてヒーローランク333位であるオーダー・ラピスは暴徒捕縛ならびに鎮圧に長けた技能を備えており、ロロと共に前線に出ることで瞬く間に洗脳されたヒーロー四人組の洗脳を解除することに成功したのだ。ウィング・ロロの圧倒的パワーで連携を乱し四人を一ヶ所にまとめたところに、オーダー・ラピスの持つ左眼の魔眼・秩序の魔眼で一挙に洗脳解除するという、下位ランカーにあるまじき鮮やかさで事態の終息に貢献したのである。
しかしラピスの魔眼は24時間に一回しか使えず、ネガ・ライトの薬品で認識が撹乱されたヒーローたちに割けるリソースはない。ロロとラピスは二手に別れてこの事態の終息に打って出た。ラピスは錯乱した下位ランカーたちの捕縛に、ロロはこの状況を作り出した張本人であるネガ・ライトの討伐にそれぞれ向かうことにした。
そうして相対するはウィング・ロロとネガ・ライト。
片やパステルカラーのドレスと鎧を身にまとい、身の丈ほどの両刃の大斧を構える魔法少女。
片や左前腕と右足から鉤爪を生やし、紫の装甲とバッファローの頭蓋骨を模した仮面を身につけたヴィラン。
「ヒーローランク612位、魔法少女ウィング・ロロ!」
「ヴィランランク126位、識別名ネガ・ライト」
互いに名乗り、コンクリートを陥没させるほどの一歩を踏み出し、彼我の距離を詰める。距離を詰める際の勢いも利用してロロにより振るわれた大斧は、ネガ・ライトの左手の鉤爪で受け止められた。親指にあたる鉤爪に微かなヒビが入るものの、ダメージを与えることに失敗したロロは大斧を構え直そうと隙を見せてしまう。そこへネガ・ライトの右足の鉤爪がロロの鍛えられながらも柔らかい脇腹を切り裂いた。裂傷こそ浅めだが、右脛に搭載された薬品貯蔵タンクであるネガ・チェンバーから供給された毒を鉤爪経由で注入され、ロロの動きがわずかに鈍った。
ネガ・ライトの毒による追撃を警戒し、ロロは一度距離を置くべくバックステップで後退する。案の定刀身から毒の滴るフランベルジュがロロの移動経路沿いに空を切った。このフランベルジュ、ネガ・ブレイカーは切れ味よりも裂傷を回復困難にすることを目的とした形状をしており、それに毒をまとわせることで毒の巡りをよくさせることを意図した設計である。ロロは即座にそれを看破し、ネガ・ライトの間合いに入らずに戦う手段を考え始める。
ロロの大斧ならばギリギリ、ネガ・ブレイカーの間合いに入らず攻撃できる。だが、左手か右足の鉤爪で受け止められれば話が変わってくるのは先ほどの結果が物語っている。ならば、ロロは箒型高速移動機構携帯状態を天使の翼を彷彿とさせる戦闘形態へと移行させ展開し、ホバリングする。空を飛んで頭上から叩けばいいのだ。そのまま上空へと飛ぼうとした。
が、ロロの意識が空へ向かった瞬間に、ネガ・ライトはネガ・ブレイカーを投擲してきたのだ。細かな機動をとれない瞬間を狙われ、うねる刀身により左肩を鎧ごと切り裂かれてしまった。肉が裂け、傷口がズタズタに切り開かれ、じわりと神経毒が侵入してくるのも構わず、ロロはネガ・ライトの脳天目掛け大上段からの大斧の一撃を見舞う。この反撃を予測できなかったネガ・ライトは仮面をカチ割られながら地面に対し水平に吹き飛んでいき、ビルのガラス扉をその身で突き破っていった。
「っしゃあ! 一撃お見舞いしたった!」
快哉をあげるロロはふらつきながら地上へと戻る。刹那、いったいどこに携行していたのか二本目のネガ・ブレイカーを握ったネガ・ライトが切りかかってきた。痛みを堪えながらでは大斧の刃でこれを受け止めるしか、ロロには選択肢はない。
「はあ!? 私の一撃を頭に食らって動けるなんてどういうタフネスしてんの!?」
「フランベルジュで肩を切り裂かれたのに両手武器を振り回す魔法少女も大概じゃあないか」
ロロにせよネガ・ライトにせよ、各々常人を超えた身体能力にモノを言わせて戦ってきた。それが正面衝突すれば、肩をフランベルジュで切り裂かれても大斧を振り回せるし、脳天に手痛い一撃を見舞われてもすぐさま動き回れるという、デタラメな戦いにもなる。
それでも既に何回も毒を注入されたロロの方が長期戦になると不利になる現状は変わらない。ロロの大斧はハルバードを両刃にしたような形状のもの。片手で振り回せる設計になっておらず、左肩を負傷した今となっては先ほどネガ・ライトに食らわせた一撃をもう一度叩き込むのは不可能に近い。最新型第10世代魔法少女システムの恩恵で毒の巡りは遅延してこそいるが、追加で何度も毒を注入されでもしたら行動不能になってしまう。人間の重要器官である脳を揺らすほどの一撃を受けてなお戦闘に即座に復帰し一撃を狙ってくるネガ・ライトのタフネスさも厄介だった。左肩の傷の痛みも気力だけで耐えているものの、耐えることができるだけで使い物になるかはまた別の話であり、そろそろネガ・ブレイカーに押し切られそうになっている。
であれば、とロロはネガ・ライトの右脛……右脚部ネガ・チェンバーにローキックを打ちこんだ。足元が留守だったネガ・ライトはこの一撃をモロに受けて右脚部ネガ・チェンバーを砕かれてしまう。ネガ・チェンバーは毒などの薬品類貯蔵タンクであるため、破壊されることはすなわち手持ちの毒を失うことに繋がる。左前腕にもネガ・チェンバーはあるが、これで実質半分毒を失った。
だが、ネガ・ライトは動揺しなかった。破砕され溢れ出た毒にまみれた右足の鉤爪で、ロロのふくらはぎを深く引っかいた。これでロロは右脇腹と左肩と右ふくらはぎの三ヶ所から毒を注入される形となり、魔法少女システムのアシストによる毒の巡りの遅延も意味をなさない量に達してしまった。こうなってしまっては大斧の柄を握ったり立ち続けたりする力をこめることは叶わない。
トドメとばかりにネガ・ライトはロロの右前腕を左手の鉤爪で掴み、握りしめた。鋭い五指がロロの柔肌に突き刺さり、容赦なく痛みと毒を注入していく。
そうして絹を裂くような悲鳴をあげて、ロロは意識を失った。
関西地方のヒーローの死体四体組による襲撃は、彼らが生前に所属していた組織の拠点が半壊し非戦闘員の三割が死亡する事態となった。死体を操作していたネクロマンサーのヴィラングループは三分の一が死亡、三分の一が捕縛、残りは逃亡に成功するという結果であった。
関東地方の洗脳されたヒーロー四人組による民間人無差別攻撃は、オーダー・ラピスの尽力により怪我人こそ出たが死者は皆無。ヒーロー四人組と共に最前線に出ていたネガ・ライトはウィング・ロロを生け捕りにして逃げおおせてしまった。
ヴィラン支援機構・ブラックマインドの主導した今回の作戦は、成功には程遠く失敗とも言い難い結果に終わった。
ロロとバディを組んでいたラピスは、拠点への帰路で慟哭していた。何せロロは幼少期から姉貴分として仲良くしており、数々のトラブルから数年前に幽世歩きにそそのかされてヴィランとして活動し始めた彼女を説得してまで一緒にヒーロー活動を行なおうとするほどに想いを向けていた相手だ。二度もヴィランの魔の手に、それも自分のあずかり知らぬところで堕ちたのだから、その悲しみは計り知れない。
普段はロロのオペレーターを務めるラピスも、今回のようにロロと共に出撃することがある。作戦終了後の帰路で交わす他愛もない会話は、ロロの本質から滲み出る優しさを感じられてラピスは好きだった。だが今はいない。その事実があまりにも悲しくて、童のように泣き喚いていた。
そんな彼女に声をかける者がいた。
「貴方ですね? ヒーローランク333位、識別名オーダー・ラピスは」
エイルル帝国第二皇女リーゼロッテ・ラース・エイルルであった。
いかに悲しみに心を撃ち抜かれ傷心中のラピスであっても、祖国の皇族が突然目の前に現れては礼儀だのなんだのを弁えなければならない。ラピスは庶民で、リーゼロッテは皇族なのだ。ポケットティッシュを取り出して涙や鼻水を拭い、ラピスは跪いた。
「ご、ご機嫌麗しゅうございます。リーゼロッテ殿下。わたくしめに何か御用でしょうか……?」
「私の妻のアンジェリカが記憶を改竄されて、ヴィランとして無理矢理活動させられています。貴方の秩序の魔眼でなんとかしてほしいのです」
「記憶を改竄されて、ヴィランに……?」
「心当たりがあるのですか?」
「わたくしの相棒……ウィング・ロロも元ヴィランでして、一度は説得してヒーローに転向させましたが、今回の作戦で連れ去られてしまって……」
ラピスは事のあらましを話した。先ほどブラックマインド主導と思わしき大規模作戦により合計八人のヒーローが二つの地方で暴走したこと。そのうち片方の関東地方ではネガ・ライトと名乗るヴィランが指揮を執りながら最前線で被害を拡大させていたこと。そのネガ・ライトにロロを連れ去られたこと。ロロの話によれば、ブラックマインドの管理する施設の中に再教育センターなる洗脳を目的としたものがあり、ロロは恐らくそこに送られるだろうこと。エトセトラエトセトラ。
ラピスの話を聞き、ネガ・ライトというヴィラン識別名を耳にしたリーゼロッテは露骨に機嫌を悪くした。
「つまり、先ほどまで貴方が対応していた作戦で、アンジェリカがヴィラン側のかなり重要なポジションで暗躍していたと? 貴方の相棒も、そう遠くないうちに洗脳されて、アンジェリカのように無理矢理ヴィランにさせられると?」
「恐らくは……」
「わかりました。アンジェリカの奪還に協力してくだされば、ロロさん? の救助に力添えさせていただきます」
「よろしいのですか!?」
「大切な人を奪われる悲しみに暮れている最中に水を差したのは私です。皇族たる者、臣民に寄り添い共に困難に立ち向かうのが使命ですから」
「ありがとうございます! まずはアンジェリカ様の奪還から作戦を練りましょう!」
ラピスにとって、リーゼロッテからの提案は渡りに船だった。再教育センターでの洗脳教育は秩序の魔眼で解除できるのは今回の騒動で確認できた。恐らくはアンジェリカの記憶の改竄も秩序の魔眼で対処できるだろう。それをクリアすれば、ロロを取り戻す算段が立つ。
リーゼロッテから差し出された右手を、ラピスは握った。同盟成立の握手である。