TURN12 ヒカル・バンジョーの価値
グリフォンとは、オオワシの頭部と翼やライオンの身体を持つモンスターである。その性質は非常に獰猛であり、錬金術の産物として再現されたものも同様に獰猛である。
そんなものが編隊を組んで日本の首都は東京に現れたのだから街は騒ぎにもなる。
が、この獰猛なグリフォンの翼を引き千切って墜落させてから首を刎ねて殺して回るというこれまた獰猛なヒーローがいた。ネガ・ライトことヒカル・バンジョーである。
彼──性別の概念を持たないが便宜上こう呼ぶ──のパワードスーツはラフファイトや長期戦に秀でた仕様となっており、得物もフランベルジュや鉤爪といったいかにもヴィラン然としたものが揃っている。フワ・インダストリーズの人工ヴィラン製造計画の産物という出自故仕方ないのだが。
そんなヒカルもここ最近頻発する錬金生物の襲撃を退けていることが平和と秩序に貢献しているとされヒーローランクが162位にまで上昇していた。元ヴィランとしてはかなり高いランクである。同時に、非人間種としても高ランクの部類に入る。まあ、グリフォンの編隊を単騎で相手取り勝ち星をあげられるほどの実力を持つヒーローが足りないという、ヒーロー支援機構としてのホワイトマインド内部の事情もあるのだがそれはさておき。
そんなヒカルを気に食わないヒーローがいた。エイルル帝国第二皇女ことリーゼロッテ・ラース・エイルルその人である。
現日本国国家元首にして日本における異形種たちの頭領である“影の女王”により記憶を改竄されたという背景があるとはいえ、自身の伴侶であるアンジェリカと寝食を共にしてヴィランとしての活動に励んでいた。そんな過去に加えてそれが現在進行形でしかも相も変わらずアンジェリカとチームを組み成果をあげている。アンジェリカを追いかけてわざわざヒーローになったリーゼロッテの嫉妬心もそろそろ我慢の限界だった。
リーゼロッテはアンジェリカと二人きりの状況を作り出し、問い詰めることにした。
「ねえアンジー。なんでヒカルにそこまでこだわるの? 彼一人でも十分にやっていけるんじゃあないの? あの錬金生物型のグリフォンの編隊を相手に獅子奮迅の活躍をしたわけだし」
「……“影の女王”に記憶を書き換えられた私は、それはそれは惨めだったよ。認められたはずの成果を誰にも認められず、故郷を飛び出して恨んだことなんて一度もないヒーローたちを逆恨みして、入った組織にも反感を抱いて。そんな状況で、ヒカルは私に寄り添ってくれた。欲しい言葉をくれた。私の身勝手な願いを叶えようとしてくれた。なのに、今更自分可愛さに放り出すなんてできるわけがない。少なくとも、ヒカルが誰かの身勝手な都合に振り回される今の状況から脱するまでは、ヒカルを見捨てるわけにはいかない。リゼだってそれに関しては納得してくれたんじゃあないの?」
「理解はしても納得はできないッ! アンジーだって、私に寄り添ってくれたし! 欲しい言葉をくれたし! 私の身勝手な願いを叶えてくれた! 私はそんなアンジーを失いたくないッ!」
「リゼが私をそう想ってくれるように、私はヒカルを失いたくない。恩を仇で返すなんてことも、したくない」
「あれだけ強くなった彼に今更アンジーの助けが要るの!? 結局のところフワ・インダストリーズと“影の女王”の問題なんだから、彼一人で事足りるでしょ!? アンジーに危害を加えた“影の女王”のところに行くなんて、どう考えてもおかしいよ!」
現在、ヒーローランク9位にしてフワ・インダストリーズ技術顧問のライア・フワがヒーローチームネガ・ライトと“影の女王”の謁見を実現させようと調整中である。ヴィランランク9位のライカ・フワを騙る幽世歩きの打倒を最終目標としたものであり、幽世歩きに悟られぬよう進行中の案件だ。
このことにもリーゼロッテは不満を持っていた。
感情的になっているリーゼロッテを諭すようにアンジェリカは言う。
「相手はあの幽世歩きだ。リゼだって知っているでしょ、あいつは危険すぎる。皇帝陛下の言うことも満足に聞かないアレを相手にするんだから、謁見の時に乱入してくることも想定してヒカルをサポートできる私も同席しなきゃ」
「なら私も行く!」
「リゼが来たら他にも色々来て大事になるだろうに……」
「ワイズマンに気に入られているからって理由だけで幽世歩きがアンジーを攻撃しないとは限らないでしょ!? なんだかよくわからない理由でヒカルを付け狙っている幽世歩きを、ヒカル一人で止められるわけが……!」
リーゼロッテとアンジェリカの主張がぶつかり合い平行線を辿っていた、まさにその時である。
アンジェリカの携帯端末から着信を知らせる通知音が発せられた。発信者はライア・フワ。
アンジェリカはリーゼロッテに断りを入れて通話に応答した。
「ライアさん、何か進展でもありましたか?」
『進展も何も、鬼の国の女王様から“影の女王”とネガ・ライトの謁見に自分たちも混ぜろと要求されたんですよ。“影の女王”本人に戦闘能力がないのに幽世歩き対策が手薄なのは看過できないとか何とか難癖つけられて。鬼の国の女王様以外からも似たような要求をしてきた方もいました。あの武装修道女部隊からもです。まさかとは思いますが、漏洩しましたか?』
「私はしてませんよ!」
『……リーゼロッテ第二皇女殿下ですか?』
「今まさにその件で口論になってまして、恐らくは」
『…………一応先方にはこのことは伝えてありますし、幽世歩き対策として戦力をかき集めるのもアリだから全員まとめて謁見するのもやぶさかではない、という回答はいただきました』
電話口越しに、ライアとアンジェリカの溜息が重なった。
「では、その方向で調整をお願いします」
『わかりました。それでは失礼します』
通話が切れた瞬間、アンジェリカはリーゼロッテを問い詰めた。
「リゼだよなあ!? “影の女王”と私らネガ・ライトが謁見するって話みんなに漏らしたの!」
「そうだけど? みんなヒカルのことは信用できないって。いくらアンジーのオキニでも、いくらアンジーに従順でも、“影の女王”とフワ・インダストリーズ両方の息がかかった人工ヴィランに大切なアンジーを任せられないもの」
“影の女王”がいなければアンジェリカはヴィランとして悪行を働くことはなく、フワ・インダストリーズがなければヒカルは造られることもなくヴィランとして満足に活躍できなかった。故に、この両者と関わりの深いヒカルは信用できない。これがアンジェリカを守り隊(仮)の総意なのだろう。
これはいかにヒカルが強かろうとどうしようもない問題だった。
それでも、バディである自分だけでもヒカルのことを信じよう。アンジェリカはそう心に誓い、リーゼロッテの要求に押し負けることにしたのだった。
“影の女王”との謁見前日。
アンジェリカたちの拠点には、リーゼロッテ、琴子、夕立凪、エシル、龍胆之命、ステラらアンジェリカを守り隊(仮)の面々が集結していた。かつてエイルル帝国の郊外を更地にするほどの戦闘を繰り広げたメンバーが共通の目的を持って一堂に会するのは周辺住民からしてみればとんでもないことなのだが、今回の相手は世界最強の暗殺者幽世歩き。弱体化してなお彼女らをまとめて相手にして有利に渡り合える難敵なのだから、この戦力は過剰でも何でもなかった。
それでも、アンジェリカは一抹の不安を抱えていた。確証もなければ、ヒカルやアンジェリカを守り隊(仮)の面々に物足りなさを感じているわけでもない。幽世歩きにバレないよう立ち回ってくれたライアのことも信用している。だが、梅雨時の湿気のようにまとわりつく嫌な予感に、アンジェリカは苛まれていた。
おかげでアンジェリカはなかなか寝付けず、外の空気を吸うために近場の公園のブランコに座ってぼーっとしていた。
そこへ、いったいどうやってアンジェリカの居所を把握したのかヒカルがやってきた。
「ヒカル……」
「隣、いいか?」
「ん」
「ミネラルウォーターを買ってきたが、飲むか?」
「飲む」
ヒカルはアンジェリカに500ミリリットルの水を渡し、それからアンジェリカの隣のブランコに腰掛けた。ペットボトルのキャップを外してその中身で喉を潤すと、ヒカルは尋ねる。
「何か不安なことでもあるのか」
「……自分でもよくわかんないけど、うん。不安なんだ」
「拠点に集まった面々は俺に匹敵する強さの持ち主だ。前回の戦闘では連携の拙さが目立ったが、それも今回なら問題ないだろう。それでも、不安になるほど強いのか? 幽世歩きは」
「それもそうだけど……リゼも琴子も、凪ちゃんもエシルも、命様もステラさんも、みんなみんな大切な人なんだ……」
煮え切らない物言いのアンジェリカの言葉の続きを、ヒカルは催促することなくじっくりと待つ。
そこまで間を置かずに、アンジェリカは続けた。
「今回幽世歩きが謁見に乱入すると決まったわけじゃあない。でももし乱入してくるようなことがあるなら、みんなには傷ついてほしくない……これは私たちネガ・ライトの問題だから」
「まあ、大雑把に言えば確かに俺たちの問題だ。だから、アンジェリカ」
雲の切れ目から漏れた月明かりが、ヒカルを淡く照らす。
「全員俺が守る。そして今度こそ、幽世歩きを倒してみせる。アンジェリカを、元の平穏な日々に帰してやる。ヒトでもデミでもフリークスでも何でもないし、アンジェリカの大切な人たちからは軽んじられるような、そんな俺を信じてはくれないか? 相棒」
まっすぐで飾らない言葉で紡がれたバディからの宣言を受けて、ふ、とアンジェリカは笑みをこぼした。
「任せたよ、相棒!」
「任された」
フィストバンプを交わすヒーローチームを、月だけが見ていた。




