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狂恋の物語@豆狸

彼女は彼を愛し続けている。

作者: @豆狸

「彼女が死んだよ」


 夜遅く、仕事から帰って来た夫が言いました。

 夫は名前を口にしませんでしたが、()()がだれのことを意味しているのか、私にはわかりました。

 彼女はとある伯爵家の後妻の連れ子。私の前の夫を奪った女性です。今の夫と再婚して幸せに暮らしていますけれど、彼女のことを思い出すと言いようのない感情が全身に満ちて苦しくなります。


「検死をした知り合いが教えてくれたんだ。隠すようなことじゃないから君にも教えるけど、死因は毒だったそうだよ」

「毒……もしかして」

「ああ、彼女の母親と同じ種類の毒だ。ただし()()は違う」


 彼女もその母親も大変美しい女性でした。

 先代伯爵が、長年支えてくれていた夫人の喪が明けてすぐに彼女の母親を後妻として迎えたことを怪しむ方もいたようです。

 怪しまれたのには再婚の素早さ以外にも理由がありました。


 実は彼女の亡くなった父親には妻子がいました。

 彼女の母親は妻子のいる男性を略奪婚したのです。

 今回もそうなのではないか、そう疑う方がいるのも当然だったでしょう。


 前の夫──当時婚約者だった伯爵令息は、父親の再婚に複雑な気持ちを抱いていたものの、親のことで子どもを責めるのは間違っていると言って、義妹となった彼女に優しく接していました。

 いいえ、優し過ぎました。

 婚約者である私はいつも後回しで、そのことを責めると冷たい女だと怒りをぶつけられました。彼女が可哀相だからではなくて、彼女が美しいから可愛がっているだけでしょう? 何度その言葉を飲み込んだかわかりません。


 彼女が伯爵家へ来たのは、私と伯爵令息がこの王国の貴族子女が通う学園に入学したころでした。

 三年制の学園を卒業するころには、私はすっかり諦めていました。

 在学中に婚約者である伯爵令息と過ごしたのは片手で足りるほどの回数で、その少ないときも彼女が同行していたのですもの。私には、そんな状態でも彼を愛し続けることなど出来ませんでした。


 私は卒業を前に、父を通じて伯爵家へ婚約解消を申し出ました。

 我が家は伯爵家で婚約者の家も伯爵家で、家格も財力も変わらず、どちらかが片方に借りもない状態でしたので、婚約解消はすぐに受け入れられると思っていました。

 なのに先代伯爵は父に縋りついてまで婚約の継続を懇願して来たのです。


 そのころ後妻が亡くなっています。

 先代伯爵は彼女の死因を知っていたのかもしれません。

 それは毒です。ある捜査のために彼女の遺体は後になって検死されたのです。


 周囲に噂されるほどの素早さで再婚した割には、先代伯爵と後妻は仲の良い夫婦ではありませんでした。

 先代伯爵は学園で同級生だったときから美しい後妻に憧れていたようですが、後妻は最初の夫を想い続けていたようです。なにしろ後妻は、自分が娘を産んですぐに寝たきりになった最初の夫を十数年に渡って看病し続けたほど愛していたのですから。

 先代伯爵は後妻との再婚後に、最初の夫が寝たきりになった理由を知ったのでしょう。


 後妻の葬儀が終わると、先代伯爵は連れ子の彼女を神殿へ入れました。

 もちろん伯爵令息は不満を表明しました。

 しかし義理であっても兄妹が仲睦まじ過ぎるのは問題だ、伯爵令息が彼女にこだわり続けるのなら義兄を誘惑した悪女として訴える、とまで告げられては振り上げた手を降ろすしかなかったのです。


 学園卒業後、伯爵令息は彼女が来る前の予定通り私と結婚いたしました。

 彼女が来る前に私が期待していたのとは違い、愛の無い結婚でした。

 私達は白い結婚で、彼は伯爵邸へ寄り付かず遊び歩いていました。


 彼の代わりに伯爵家の運営に勤しむ私に、義父となった先代伯爵が一番強く要求したのは調薬の技術でした。

 おかしな話です。

 嫁いだ伯爵家は薬師の家系ではなかったのですから。


 それでも当主に命じられたことです。

 私は先代伯爵が館の裏庭に植えた薬草を採取しては、治療薬の調薬に励みました。

 その治療薬は()()()()()()()()()()()()()()()の効力を弱めるものでした。


 離縁の理由になる三年の白い結婚生活が過ぎて、私から離縁を申し出る前に先代伯爵が亡くなって、私は前の夫に伯爵家から追い出されました。

 先代伯爵は憤死なさいました。

 前の夫は神殿に入れられた彼女を勝手に外に出して、伯爵邸に近い平民街で囲っていたのです。館にいないときの彼は、いつも彼女のところへ行っていたのです。先代伯爵は息子の愚行を知って、怒りのあまり頭に血が昇って亡くなられたのです。


 離縁自体に不満はありませんでした。

 学園時代からの冷遇で私の心は擦り減っていました。彼に言われなくても自分から離縁を申し出るつもりでしたし、本当なら卒業前に婚約を解消して欲しかったくらいなのです。

 ですが別れ際に、先代伯爵に託された最後の治療薬を渡そうとして、惚れ薬か毒薬に違いないと嘲笑されたときには、残った心の欠片さえも砕け散ったような気がしました。


 それから私は実家に戻ったのですけれど、家族にずっと面倒を見てもらうわけにもいきませんので、先代伯爵に学ばされた調薬の技術を活かすために再勉強を始めました。

 その際に出会ったのが今の夫です。

 夫は衛兵隊に所属する医師で、ほかの管轄の衛兵隊の医師とも情報交換をしています。彼女の死因は余所(ヨソ)の衛兵隊の医師に聞いたのでしょう。


「そういえば彼女の父親の墓を暴いた話はしたかな? 肉が残ってなかったから難しかったけれど、確かに伯爵と同じ薬の痕跡があったよ」

「母親から受け継いだのでしょうか」

「だろうね。彼女には組織との接触記録はなかったから」


 この王国には数十年前から蔓延している薬がありました。

 薬というよりは毒ですが、死毒ではなく麻薬の一種です。

 少しなら酩酊状態になって記憶があやふやになり、大量なら寝たきりになってしまうという、犯罪者に都合の良い薬です。もちろん法律で使用は禁じられています。とはいえ、医師や薬師によって適切に処方されれば、苦痛に(さいなま)まれる患者を救ってくれる素晴らしい薬でもあるのですが。


 悪い効果を軽減する治療薬はあるものの、材料は少なく調薬は難しく、完成品はすぐ劣化する上に継続して飲まないと効果がないのでした。

 夫やほかの衛兵隊に所属する医師が彼女を知っているのは、彼女の母親が密売組織からその薬を買ったという記録があったからでした。

 後妻の最初の夫の墓や私の前の夫の墓が暴かれたのも、その関係です。


 私を追い出して、彼女と再婚して伯爵位を継いだ前の夫は、しばらくして寝たきりになりました。

 何度か謝罪の手紙をもらいました。

 手紙には謝罪とともに、別れのときに拒んだ治療薬が欲しいと書かれていましたが、私にはどうしようもありませんでした。


 材料の薬草は彼女が館に戻って来た時点で焼き払われていましたし、私が作って残していった治療薬はすっかり処分されていたのですもの。

 なにかの伝手で少量手に入っても、彼女と出会ってからずっと飲まされていた薬の効果を消すには足りません。

 私と結婚していたころの彼は、彼女に薬を飲まされていても、先代伯爵を通じて私が調薬していた治療薬を服用していたから、身動きすることが出来ていたのです。もっとも先代伯爵は彼女が神殿にいると信じていました。息子が外に出して囲い、気づかぬまま薬を飲まされ続けていると知っていたら、愛した女性の忘れ形見だからと情けをかけたりせず、さすがに通報して捕縛させていたでしょう。


 死毒でなくても寝たきりになってしまうようなものを飲み続けているのは身体に良いことではないですし、寝たきりで弱った体では他人には軽い(やまい)も重症になります。

 やがて、前の夫は亡くなりました。

 衛兵隊の捜査で暴かれた棺の中の遺体からは、大量に肉が無くなっていたそうです。残っていた肉からは当然のように捜査されている薬の痕跡が見つかりました。


「ん?」


 私と夫が会話していた応接室の扉をだれかが激しく殴打しました。

 思い当たる犯人はひとりだけです。

 私が扉を開けると、膨れっ面の可愛い娘が入って来ました。


「とと様帰ってきたら、起こしてって言ったのに!」

「ごめんなさいね? 声はかけたのだけど起きなかったから……」

「……さっきは眠かったの……」

「ただいま、お出迎えしてくれてありがとう。お母さんを怒鳴っちゃ駄目だぞ」

「うん。かか様ごめんなさい」

「ふふふ、ちゃんと謝れて偉いわね」


 娘を食べてしまいたいほど可愛いと思うときもありますが、本当に食べてしまうつもりはありません。

 ええ、当たり前のことです。

 食べてしまってもひとつになれるわけではありません。永遠に会えなくなるだけなのですもの。


 彼女とその母親が特殊な手段で相手とひとつになろうとしたのは、その関係が不貞で始まったからではないかと私は思います。

 だれにも許されない関係だから、自分達だけはそれにしがみ付かなくてはいられなかったのではないでしょうか。

 常軌を逸するほどの愛なのだと、自分自身に言い聞かせなくてはいけなかったのではないでしょうか。


 薬の密売組織に記録がなかったので彼女は捕縛されていませんでしたが、状況的に私の前の夫に薬を飲ませ続けていたのは彼女で間違いありません。

 彼女の父親が寝たきりになったのは、元の妻子に復縁を申し出た直後だったと聞きます。

 きっと彼女は最初から、不貞関係は間違っていると気づいた彼が去っていく日に怯えていたのでしょう。


 優しい義兄に恋心を抱いたとしても、相手が応じてくれなければそれで終わりです。

 彼女は先代伯爵に守られて大人になり、母親を喪ったとしても義父の選んだ男性と真っ当な結婚をして幸せになっていたことでしょう。

 私は彼女の美しさに溺れた彼にも問題があったと思っています。だから仕方がないのです、死した後も彼が彼女に愛され続けていたのは。


 腐った肉を食べるとお腹を壊します。

 狩人の中には腐りきった死肉を矢じりに着けて毒として使うものもいるそうです。

 どんな動物でも、どんなに愛した相手でも死した後の腐肉は毒となるのです。……ええ、もちろんそんなことどうでも良いくらい、彼女は彼を愛し続けていたのです。

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