人には人の事情がある。俺にも俺の事情がある。
サイコパス。ソシオパス。よくドラマや小説などで、出てくる言葉だ。
――そして、俺がよく言われる言葉でもある。認める気はないが。
俺は共感力というものがないらしい。学習をして、そういうものなのだと理解したふりは出来ても、本当の意味で他者に共感することが出来ない。
子どもが泣いていたとしても、俺はそれに対して『泣いている』と感じる。かわいそうだな、なにかあったのかなと考えることはない。普通は同情するのが当たり前なのだという。相手の気持ちを理解する事が理解できない。
もちろん、俺は子どもが泣いていれば親を探し、子どもが泣き止むように努力するだろう。……ただし、人が見ているならという条件がつくけれど。それが正しい大人の行動であり、俺の評判にも影響するから。
そういう打算的な男が俺だ。自分がやる必要のないことはできる限りやりたくないし、やるなら最高効率で一気にやってしまいたい。自分の自己評価だが、外れてはいないと思う。
そんな俺は小説家だ。
共感力がない人間が小説を描くことが出来るのかといえば、描けているのだから、描けると言うほかない。しかし、俺が描く小説の登場人物はどこかネジが外れていたり、人とは違う考えを持っている(そこを魅力的に描いてこそ小説家だ)。俺がもし一般的な大衆小説をモデルや参考もなく描こうとしたなら、それは茫洋とした、イメージが二転三転する芯のない人物を描くことになる。普通というイメージが自分の中に存在しないからだ。世間一般的な普通というものをかき集めて、小説を作ったとしても一貫性はない。
『空気読んでよ』『配慮して下さい』そういう曖昧な表現が嫌いなのも、感知できない空気だったり、配慮とか思いやりと言った明言されていない、よくわからない共通のものを当たり前のごとく理解するように求められるからだ。とくに『普通』『一般的な』という表現が、家の中に這いずり回る黒光りの生物よりも嫌いだ。
それなら、異常でいいし、非凡が良い。感情を隠さず、その衝動のままに行動する方が理解できる。
だから、俺は感情を無駄にあらわにする人間が嫌いで、そして好きだったりする。注意しておくが、普通の人なんて本当は存在しないと思っているから、普通の人が嫌いと思うことはない。『普通』と言う枠が嫌いなだけだ。それは留意しておいてほしい。
「……どうでした?」
「対応してもらった」
先日、突然やってきて、相談という仕事の邪魔をしてきた男はそう言った。
隣人の女性がお裾分けにやってきてくれた時、一悶着あったのだ。
それというのも、彼の母親らしき女性がマンションのセキュリティーを突破して、中に入ってきたらしかったのだ。このマンションにはエントランスにオートロックがかかっているので、インターホンを通じて解錠しなければ中には入ることが出来ない。
『お中元のお裾分けに来ましたー。……あれ、お二人仲が良かったんですか?』
『いや、そういうわけじゃないです。相談に乗っていただけで。
いつもいつもありがとうございます、もうお中元の季節ですか。時が過ぎるのは早いなー。ちょっと待って下さいね、たしかもらい物のお菓子があったはず』
『あ、わざわざ、だいじょうぶですよー。ほんと、お裾分けしたかっただけなので』
『……ちっす』
『こんにちはー、お元気そうでよかったです。最近見かけないので、どうしたんだろうと思ってました。今回のお中元はハムだったので、調理してから渡しますね。……あ。そういえば、少し前に、女の人が部屋のまで待ってましたよ。今は居なくなったみたいですけど』
『……え。おんな? どんな格好の女? 茶髪で、……サングラスとか、してませんでした?』
『そうですね、すごく派手な格好されてました。赤いネイルが印象的で……』
『服装はブランドもの?』
『えっと、多分そうでした。そこまで詳しくは見てなかったので。でも、すごく美人で背の高い人でした』
『……まじか。どうやってオートロック突破したんだ』
これまでは共用玄関のインターホン前でストップしていたようだが、ついにしびれを切らせて中に入ってきたらしい。
オートロックも万能ではなく、マンション内の住人が玄関を開けて中に入る際、一緒に入ってしまえば、セキュリティーは突破できる。まだ、マンションの中に入っているかもしれない。
慌てた彼は、そのままバタバタと家に帰っていき、俺は管理会社に対応をお願いするように忠告した。不審者がオートロックを通り抜けて入ってきたと、詳細は省いて伝えることも言い含めた。
このままでは俺まで巻き込まれかねないからだ。面倒ごとはごめんだった。
――で、その後のことを報告に来たらしい。
「電話したら、俺が鍵を開けないから無理矢理入ってきたんだと。昨日は用事ついでに寄っただけだったからすぐ帰ったらしい。このまま鍵を開けないつもりなら、管理会社に連絡して、契約を切るって……」
「? 契約主は、あんたじゃないのか?」
「親の名義で契約した。じゃないと一人暮らしはさせないって」
「……呆れたな。ここまでくると虐待になる。親と交渉するか、管理会社に連絡してそこら辺の事情を話して、自分の名義に変えてもらうしかないな。自宅も追い出そうとしてくるなら、他にも手を出そうとしてきても不思議じゃない。次は会社か、クレジットカードの差し押さえか……」
「……どうしたらいいんだ」
「どうしたらって、あんたも大人なんだから自分で考える癖をつけたらどうだ。思考を他人に任せきりにしてたら、またあんたにとっての親のような存在が増えるだけになるぞ。自分で考えて、自分で動く。それでも出来なかったら、誰かに相談したり、助けを求めることも大事だが、最初から他人に頼りっぱなしでどうするんだ」
あまりの過保護。いや、過干渉に、俺が思っていた以上の関係が彼ら親子には隠されているのかもしれないと思った。毒親、毒親と彼が言っていたのは話半分で聞いていたが、干渉しすぎるのもある種の虐待だ。親元に縛り付けているのも、親は無意識なのかもしれないが、子どもの自立を妨げているのだ。
自分で考えようとしない彼にいらつき、いつもの表面上はとりつくろっていた敬語をやめてしまっていたが、俺はそれには気づかなかった。
「……だって、どうすればいいのかわかんないんだよ」
突き放すような俺の一言にショックを受けたのか、彼はそうぽつりと漏らした。スゴい顔だ。
感情が分からないと言われた俺でさえ分かってしまう、困った顔とへこんだ声。顔が上げられていない。あからさまで、まったく、子どもみたいだ。さっきまでいらついていたのに、それに、なぜか笑ってしまいそうになった。
彼はまだ大人じゃないのだろう。年齢だけを重ねてしまった子どもなのだ。誰もかれに自立への道を示してくれなかった。
親が敷いたレールを歩むだけの人生から、なにもない道を歩んでいこうとする今。彼は『困っている』。困っていると理解できた。なぜって、こんなにもあからさまだから。
あからさまで、無様で、俺はこんな顔も発言も絶対にできないと思った。
――どうすればいいのかわかんないか、そりゃ、もうしょうがないか。
どうして俺が、彼のために動かなくてはいけないんだという気持ちもあるが。それ以上に、この男が母親にどう向かっていくのかが気になった。このまま突き放すにはもったいない。
契約を解除されて、母親の元で管理されて生きていく道を取られてしまったら、俺はもうこれ以上関わることはなくなってしまうだろう。
それに、彼の表情が俺の興味を引いたので――共感力がない俺がどうしてか気になった――その気持ちに従って、俺は……。
「……今度、母親を呼んでみてくれ。俺が話そう」
彼は大きく目を見開いた。大げさな感情表現に、また笑いがこみ上げてきた。
せいぜい、かき回せるだけかき回してみようと思う。
彼はサイコパスではなく、共感力が欠如しているASDです。
他者の感情を無視した行動を繰り返してきたため、サイコパスなどと呼ばれてきましたが、サイコパスに特徴的な、恣意的に他者を操ったり、誰かを害するといった倫理観に反することはしたことがありません。友人もいますし、生活する上ではいたって問題はありませんが、深い関係を築くにはハードルが高い男でもあります。




