それの正式名称を知らない
ホラーです。
衛藤明実はミトンをはめた手をこすり合わせながら、g***駅のホームに立っていた。
明実は電車通学をしているのだが、この駅は学校の最寄り駅だ。家の最寄り駅までは、電車で一時間十分。最近、駅前の一軒家へ引っ越したので、駅から家まで戻るのは楽になった。
ただ……。
「またや」
ついこぼすと、隣に立っている幼馴染の男子が明実を見た。「なん?」
「なんでもねえ」
明実はそっけなく返し、頭を振った。彼は小首をかしげたが、明実はまた頭を振る。明実と付き合いが長い幼馴染は、それ以上彼女を追求しない。
明実はあまりいい感じがしないものを見ていた。向かいの二番ホームの端に、あれがある。
それの正式名称を明実は知らない。錆の浮いた金属製のもの……スポーツ好きの長兄が持っていたのと同じものだ。このくそ暑い九州で、なんとウィンタースポーツにつかうものをあいつは持っていた。
明実はスキーとスノーボードの区別もいまいちついていない。
彼女にとってスポーツとは、地元の古式泳法とか夏にやる浜辺での追いかけっこや遠泳、それに山登りくらいで、そもそもほとんど雪が降らない地域で生まれ育ったのでウィンタースポーツに興味はない。寒いのになぜ外に出る必要があるのかわからないのだ。夏場に泳ぐのだったら、そのほうが涼しいから意味はわかる……。
「明実、やきいもくわん?」
「くう!」
ぱっと顔を上げて幼馴染に返事をすると、彼はにっこり笑った。
ふたりは電車にのって、ふたつ先の駅で降りた。まだ電車の本数が多い時間だから、少しくらい寄り道してもいい。
明実はg***の名物さつまいも「カンナちゃん」の焼きいもを売っているお店へ行こうと、意気揚々とその駅のホームへ降りた。
ぱっと表情を曇らせる。「明実?」
「行こ!」
「おお」
幼馴染の腕を抱くようにして、歩く。明実にそんなふうにされて、幼馴染は顔を赤くしていた。
明実はホームの端を見ないようにして通り抜け、駅を出た。
焼きいもをひとつ食べ、ふたつ包んでもらって、明実は彼と駅へ戻った。彼はもっと沢山の焼きいもを包んでもらっている。「旨かったな」
「ああ」
「夏になったら、浜辺で蒸してくおう」
明実は頷く。地元の浜辺にはやたらとあったかくなるところがあって、そこにいもを埋めておくと、泳ぎ疲れた頃にはおいしく蒸しあがるのだ。
明実は浜で蒸した芋の、かすかに塩っぽい味を思い出して、顔をほころばせた。が、ホームの端を見そうになって慌てて目を伏せる。
家の最寄り駅につき、ホームへ降りる。彼も同じ駅をつかっているが、方向が逆なので、別の出入り口へ向かう筈だ。
が、彼はいたずらっぽくにやっとして、明実に焼きいもの包みをさしだした。
「これ、ばあちゃんに」
「いいん?」
「明実のばあちゃん、やきいも好きやろ」
「おおきに……」
「のどにつまらすんなよっていうちょって」
「もお」
明実は彼から焼きいもの包みをうけとり、にっこりした。彼もにっこりしたが、ふと、訝しげにする。「ああん? なんじゃこりゃ」
彼が見ている方向を振り向いて、明実は息をのんだ。
あれだ。
彼があれに近付いていく。「なあ、だめ」
「誰かの忘れもんやろう。届けてくる」
「いけんって!」
彼の袖を掴んだ。焼きいもの包みが落ちる。ミトンが滑って、彼の腕がぬけた。
あれは、しばらく前から明実の前に何度もあらわれた。最初は学校最寄りの駅にあって、錆びていて汚い感じのものだなといい印象を持たなかった。
それからしばらくして、家の最寄り駅のホームにあれがあった。
同じものに見えたけれど、別のものだと思うことにした。気色悪かったので気付かないふりで家に帰った。
しかしそれから、毎日下校時にあれがついてくるようになった。
あらわれるのは駅にだけだ。
だが、明実の先回りで、あれは移動し続ける。最初はホームにだけ出てきていたのに、最近は改札のそばにぽつんと置いてあることもある。
いや、置いてあるというか、「居る」のだろうか。
「汚いけんさわらんほうがいいちゃ」
「でも、これないと困るやん。あれやろ? スキーの時につかうやつ。ストック」
彼がそういうと、あれが飛んできた。
明実は駅員室で泣いていた。彼が駅員に腕を消毒されながらお茶を飲んでいる。別の駅員が、別の駅へ電話をかけていた。「はあ、届けはないですか……」
あれは今ではおとなしく、駅員室の片隅にある。彼は「触ろうとして転んで腕を傷付けた」といったけれど、明実はあれが彼へ向かって飛んだ瞬間を見た。
駅員はまた、別の駅へ電話している。あれを忘れた、というひとは、まだ見付からないらしい。
明実は落としてしまった焼きいもを拾って帰宅した。彼は次の日から入院した。傷が化膿したそうだ。
「もう大丈夫?」
「心配せんでいいちわ」
彼は病室のベッドの上で、呆れたようにいった。明実はお見舞いの芋羊羹の箱を、テーブルへ置く。丸椅子へ座ると、彼は読んでいたらしい本にしおりをはさんで置いた。
「なんか、かわったことあったか」
「転校生が来た」
「はあん。どげんやつ?」
「知らん。美野里が気にしてるわ」
彼はくすくすする。明実は空気が重い気がして、立ち上がり、窓へ近付いた。「なあ」
「うん」
「あの忘れもの、どうなった?」
「ああ」
カーテンへ手をかけた格好で、振り返る。
「駅員さんに訊いたんやけど、届けは出てないんって」
「じゃ、一年したら俺がもらえるんか」
「なにいいよるん」明実は声を尖らせる。「あんな汚いの。大体あんた、スキーやんこせんじゃろ」
「せんけど、これを機に」
「おもしろねえ。それにな、あれ、保管室からのうなったんやって……」
カーテンを動かした明実は、口を開けてかたまった。病室の外、窓へ立てかけるようにして、あれがあったからだ。