第八十二話 贖罪
オルシャン伯爵家はレーブラインの傘下に入って久しい。だが、取り立てて何か益をもたらしたわけではなく、むしろ何かにつけて援助している。伯爵家は経営の才能がなく、何度も事業を悪化させていたため、人材を手配して盛り立ててやり、今はどうにか軌道に乗っている。レーブラインは今までオルシャン伯爵家を手助けしたことを一度も後悔していない。それは、領民のためになるからだったが、今は激しく後悔していた。
「侯爵様!! お待たせしました。こちらが、未来の孫嫁、ユリアでございますわ」
応接間に入って来たアントニアは少女のように目を輝かせて言った。娘時代の彼女を知っているが、今も昔もまったく変わらず、子供のように無邪気だった。
「レーブライン侯爵様、お初にお目にかかります。ユリアと申します。お会いできて光栄ですわ」
目を潤ませてユリアはドレスの裾をもち、丁寧な礼をした。キラキラと輝くドレスはとても高価そうだった。アントニアは浪費家ではなく、華美を好まないのでそれはユリアの趣味なのだろう。だが、アントニアはきっとそのドレスで平民が10年生活できる額とは知るはずがない。
レーブラインはため息を吐く。
「オルシャン伯爵夫人、あなたとは長い付き合いだが、今日はその関係を終わらしたく思う」
「え? 一体どういうことですの?」
アントニアは目を丸くして言った。レーブラインの言葉は彼女にとってまさに青天のへきれきだった。
「あなたの孫嫁、ユリアは虚偽を流布した罪で逮捕します。もちろん、それに加担したオルシャン伯嫡男、ビットヘフト卿も例外ではありません」
レーブラインは冷たい目でそう言った。
アントニアは何を言われたのか全くわからなかった。なぜ、かわいいユリアが捕縛されないといけないのだろう。
「お、おっしゃる意味が分かりませんわ。ユリアはとてもいい子です。何も悪いことはしていませんわ」
アントニアはユリアを抱き寄せ、庇うように抱きしめた。
「伯爵夫人。ユリアは毒婦です。あなたは騙されているのですよ」
レーブラインはため息と共に言った。
二人の会話をじっと聞いていたユリアはようやく口を開いた。
「あ、あの、わたくしは何をしたというのでしょうか。過ちを犯したというのなら、罪を償います。ですが、どうか理由だけでも教えて頂けないでしょうか」
ユリアはか細く震える声で言う。涙をためた大きな目、かたかたと震える華奢な身体。
レーブラインはそれを見て冷たく笑った。
(なるほど、これは皆が騙されるのも無理はないな)
数々の罪人を見ているレーブラインはユリアの表皮に騙されることはなかった。
「ユリアとやら。私に演技は不要だ。大多数の人間は騙せても、私は騙せんよ。お前の罪は人を騙し、陥れる真似をしたことだ。ホルンベルガー公爵家を追い出されてもまだ性根は変わらないらしいな」
冷たい顔でレーブラインは言う。
ユリアの顔は青ざめ、別の意味で体が震えた。
「おっしゃる意味がわかりませんわ……」
「私は君の罪を知っているということだ。ホルンベルガー嬢に薔薇の刻印が出た。そしてケルシャの焼き討ちは彼女の意思だが、それは魔獣の危機から民を救うためだ。彼女のおかげで国は危機から救われた。その人物をあろうことか貶め、悪評を流したお前を私は許すことはできない」
レーブラインはきっぱりと言い切ると、ユリアは金切り声をあげた。
「嘘よ!! 絶対に嘘よ!!! あの女がそんなものであってたまるもんか!!」
ユリアの豹変にアントニアはびっくりして腰を抜かした。
暴れるユリアはレーブラインの部下によって取り押さえられ、護送馬車に乗せられた。
呆然とするアントニアにレーブラインは言った。
「君の驚きは察して余りあるが、傘下の貴族がしでかした不始末、とうてい看過できないことを知って欲しい。だが、幸いにもホルンベルガー公爵家から温情を頂いた。アントニア、あなた方がまいた噂を訂正して回りなさい。いわれなき悪評が収まれば構わないと公爵家がおっしゃっているのだ」
レーブラインの言葉にアントニアは力なく、子供のようにこくんと頷いた。
その様子をレーブラインは悲しい気持で見ていた。彼女の気持ちはわからなくもなかった。なぜなら、レーブラインもブリュンヒルデを悪女と断じ、様々なところでホルンベルガーと対立していたからだ。
しかし、本当のブリュンヒルデに触れ、自分がいかに愚かだったかを思い知らされた。帝都に戻ったレーブラインは奏上の後、ホルンベルガー公爵家に赴き、今までの非礼を詫びた。絨毯に頭をこすりつけ、泣きながら謝罪するレーブラインをホルンベルガー公爵夫妻は温かく受け入れ、咎めることはなかった。
『娘を信じてくれたことが嬉しい。ありがとう』
彼らがレーブラインに言った言葉はそれだけだった。こんなにも尊い人たちに、色眼鏡で対立していた自分が恥ずかしかった。レーブラインはまさに顔から火が出るような気持ちで、どうにか贖罪をしたいと申し出た。領土全てを献上してもいいと思った。
だが、彼らは少し考えた後、
『娘の悪評を鎮めてくれればそれで構わない。私たちが動けば、よからぬ憶測を生んでしまうから』
と困った顔で答えた。
レーブラインは深く頭を下げ、必ず遂行すると約束した。同時に、娘の悪評に表立って反対しなかった彼らの立場を思い、涙が止まらなかった。




