第八話 腐女子、皇后と対面する
北宮殿はその性質から、いくつもの宮に分かれている。二階までは共有部、それから上は棟ごとに名前が付けられており、皇后の住む部屋はローゼン宮と呼ばれていた。
ブリュンヒルデは皇后から呼び出しを受け、その宮の廊下を歩いている。
以前のブリュンヒルデは、自分がここの主人になるのだからと目も当てられない傍若無人な振る舞いをしていたものだ。ローゼン宮に足を踏み入れてから、グサグサと刺さる人々の視線にブリュンヒルデは自分が非常にまずい立場であることを自覚した。
(ああああ……穴があったら入りたい。もしくはタイムマシンがあったら赤ん坊のころからやり直したい。ゲームのときはエミヴォルに熱中であまり気にしていなかったけど、ブリュンヒルデってめっちゃ嫌われているのよね。悪役だからしょうがないけどね……)
頭の中で半泣きになりながらも、ブリュンヒルデになったことに後悔はない。エミヴォルを達成する上で、ヴォルフラムの婚約者は決して譲ることのできないポジションだ。もしブリュンヒルデがその座を下ろされたら、有象無象の令嬢たちが候補としてヴォルフラムに群がる。
相手が自分ってだけでもカプ固定過激派として許せないのに、どこの馬の骨ともわからない女にヴォルフラムの婚約者の座はやれん!
ブリュンヒルデは壮大な野望があった。表向きはヴォルフラムの妻の座を保持し、裏では二人が愛を育めるようお膳立てするのだ。後継者は第二王子にすれば問題ない。
(エミヴォル達成のため、何が何でもヴォルフラムの婚約者でいなくちゃいけない!!)
緊張と恐怖に体を震わせながらも、ブリュンヒルデは威厳溢れる皇后の前で厳しい非難の言葉をしっかり受けた。そして、ブリュンヒルデは対面した皇后に何度も許しを請うた。
皇后はまさかブリュンヒルデが素直に謝ると思っていなかったため、面食らった顔をしていたが、涙ながらに謝るブリュンヒルデを見て少しだけ譲歩した。
「ブリュンヒルデ、わたくしはあなたを完全に信用できません。なにしろ、あなたはこれまでの態度が酷すぎます。権力を振りかざし、威張り散らすのは上に立つ者として恥ずべき行為です」
「はい、本当に申し訳ありませんでした」
「ですが、過ちを認め、治そうとするあなたの心意気に免じて一度だけ機会を設けましょう」
皇后はそう言って条件を出してきた。
「ヴォルフラムにあなたを認めさせなさい。これまでの悪行を覆す程の善行を積み、あの子からあなたと婚約したいと言わせるのです。期限は薔薇祭りの当日まで、それが達成できればわたくしはあなたを認めましょう」
薔薇祭りは年一回行われるローザディア帝国の祝祭である。その昔、薔薇の刻印を持つ乙女が魔獣を降伏し、世界を救ったという伝説から毎年六月に彼女を讃えるために開かれるものだ。
「皇太子妃がつける指輪は薔薇の乙女の刻印を模しています。あなたが国母を望むのであれば、その刻印に相応しい女性になりなさい。そしてヴォルフラムに指輪を付けてもらうのです」
皇后の声は大きくなかったが、耳を通して心臓を突き刺すような鋭さがあった。グサグサと刺さるトゲにブリュンヒルデは思わず泣きそうになる。
(そ、そんなことできないわ。カプ固定過激派としてヴォルフラムのパートナーはエミリオ以外認められない!! たとえ相手が自分でも絶対イヤアア!!!!!!!)
腐女子としての本能が他カプへのアレルギー反応を起こす。カプ固定派にとって他カプはまさに地雷、耳にするだけで発狂してしまうのだ。
ショックを受けてプルプル震えるブリュンヒルデに皇后は扇で隠した口に笑みを浮かべる。
(てっきり自信満々で引き受けるかと思ったけれど、きちんと自分の置かれている状況を把握できているようね。感心感心)
ブリュンヒルデが苦悩する様を皇后は好意的に受け取り、ブリュンヒルデの退室を来た時よりも優しい笑顔で見送った。
「皇后さま、楽しそうですわね。まるでおもちゃを見つけた猫のような顔をなさっておりますわよ」
気心の知れた専属侍女のカエナが言うと皇后がクスクスと笑いながら答える。
「あらあら。おもちゃとまではいわないけれど、あの子がどこまで頑張れるか楽しみなことはたしかよ。あの子は悪い子ではあるけれど、恋のために頑張る姿はむしろ応援したくなるもの、頑張って欲しいと思うわ。心から」
皇后はそう言ってカエナが注いだ紅茶に口を付ける。
レモンが聞いたそれは甘酸っぱくて、恋の喜びを思い出させた。
「なんだか急に陛下に会いたくなったわ。今はたしか書斎にいらっしゃるわよね? お手伝いも兼ねて会いに行くわ」
皇后はそう言うと準備をして国王のいる南宮殿へと向かった。




