第七十六話 強襲
クララを乗せた馬車は、ようやく東門についた。護衛騎士がクララを抱えて馬車を降り、ブリュンヒルデも後に続いた。
ブリュンヒルデはクララに意識が向いていた。どうすれば彼女を楽にできるのか、何かいい案はないか、そればかりを考えていた。
「……嬢! ホルンベルガー嬢!」
大きな声で呼ばれてやっとブリュンヒルデは顔を上げた。
だが、その声の主は見つからなかった。
「こちらです。ホルンベルガー嬢!」
頭上に降ってきた声に反応して見上げると、歩廊から身を乗り出してこちらを見下ろすエルンストがいた。
「ベネシュ卿!! クララが、クララの様子がおかしいのです! 薔薇はまだ届きませんか!?」
ブリュンヒルデは悲痛な声で叫んだ。
「皇太子殿下はもう少しでいらっしゃいます。ですが、魔獣が現れました!! 大きな鳥の姿の化け物です!! どうか……どうか、お助け下さい!」
エルンストは喉が割けんばかりに叫んだ。ブリュンヒルデを巻き込みたくないと願いながら、エルンストはブリュンヒルデに助けを乞わずにいられなかった。
自分ではどうやってもヴォルフラムを助けることはできない。巨大な化け物の爪からヴォルフラムを守ることができないのだ。第一陣の攻撃でヴォルフラムの隊は半数を失った。その半数は、ヴォルフラムを守るため、わざと爪の前に立ち塞がった。
魔獣は再び上空に舞い上がると、獲物を追い狙う鷹のようにぐるぐると空を旋回し始めていた。
空はあまりにも高く、遠かった。
矢も通らず、投石機で撃ち落とすこともできない。
何もできないまま、大切な友人を失うのかとエルンストは恐怖した。
そんな中、ブリュンヒルデの到着は彼にとってまさしく天の救いだったのだ。
エルンストの言葉にブリュンヒルデは驚き、そしてすとんと腑に落ちた。
(クララの異変は魔獣を察知したのが原因だったのね。……そういや私も悪寒がしてたわ)
クララの急変に気を取られたため、気づくのがずいぶん遅れてしまった。
「ベネシュ卿、すぐにそちらに参りますわ! 案内してくださいな」
「ただちに!」
エルンストは騎士の一人にブリュンヒルデの案内を指示した。城壁の内部、狭い階段を上って城壁の最上部に上がる。
息を切らしたブリュンヒルデがようやく暗い屋内から出ると、青空と平原、そしてその美しい一角を汚す、巨大な鳥が目に映った。
扇のように広がった尾、新緑を溶かしたような体毛に鮮やかな朱色の嘴が見えた。美しいと言えなくもなかった。だが、それ以上にその大きさにおののかざるを得ない。
ブリュンヒルデでさえ、目を大きく見開いてその鳥に圧倒されていた。
(な、なんなの……なんなのよ。こんなの知らない……!!!)
ゲームに出てくる魔獣は網羅しているつもりだ。しかし、グリアセルのような没企画になった魔獣はSNSなどの情報でどうにか知っている程度で、すべてを知り尽くしているわけではない。
「ホルンベルガー嬢、どうかご指示を!」
エルンストは期待を込めて名前を呼ぶ。他の騎士も兵たちも、縋るような気持ちでブリュンヒルデの名前を呼んだ。
今度もまた、彼女の知恵で助けてくれる、エルンストでさえそう考えてしまったのだ。
しかし、ブリュンヒルデにできることはわずかしかない。名案を思い付く頭脳を持っているわけでもないし、国を危機を救う聖女でも勇者でもない。『破滅の力』を持つ悪役令嬢でしかないのだ。下手をすればこの辺一帯を消し飛ばしてしまうかもしれない。
(でも……私がやるしかない)
空にいるときだけがブリュンヒルデに与えられたチャンスだ。
ブリュンヒルデは胸壁の狭間から身を乗り出すと、魔獣に向かって手を翳した。
『偉大なる御身よ、尊きその力を我の前に示せ!』
ブリュンヒルデは叫んだ。
その直後、黒い大きな塊がブリュンヒルデの両手から放ったかと思うと一瞬のうちに魔獣を霧散させた。そして、爆風が地上を抉り、轟音が大地を駆け巡った。
まさに圧倒的な力だった。
城壁から見ていた兵も、ヴォルフラムを守る兵も、ジクセン平野にいる民も、その驚異的な力を目の当たりにした。