第七十四話 希望
デンベラの街、役所の執務室でエルンストは『薔薇奪還』の知らせを受け取っていた。手放しで喜べないのは、ヘルモルトの負傷の事である。
「薔薇の奪還は喜ぶべきことだが、ヘルモルトが動けないのはずいぶんな痛手だな。もし、再び魔獣が現れれば街ごと破壊するしかなくなる」
エルンストは背もたれに体を預け、大きなため息を吐いた。一難去ってまた一難だ。
「魔獣があれ一体だけという保証はどこにもないからな……どうしたものか」
薔薇の騎士が二人だけというのが致命的な問題だ。部下にクララの周囲を探らせたが、誰も薔薇の刻印を持つ者はいなかった。可能性が高いのはミレッカーだったが、その彼も薔薇の騎士ではなかった。
「俺一人で考えても妙案が出るわけではない。ホルンベルガー嬢に知恵を借りるとしよう」
そう溢すエルンストの顔はどうにも締まりがなかった。
(俺もずいぶん変わったなあ。前までは自分が世界で一番頭がいいと自惚れて人に頼ることはなかったのに……相手があの方だからかもしれないな)
エルンストは自分の変化をひしひしと感じていた。しかし、それは不快なものではなかった。
エルンストはさっそくブリュンヒルデのいる病院へ向かった。
ちょうど部屋で脱出計画を練っていたブリュンヒルデは、看護師からエルンストの来訪を告げられると、飛び上がらんばかりに驚いた。
(ヒエエエエエ!!!!! なになになんなの!? どこまで読んでるの!?)
ブリュンヒルデは脱出計画がバレたかと焦った。書付はすぐにグチャグチャにして引き出しの奥にしまい込み、バックンバックン鼓動が激しい胸を撫でながら、ブリュンヒルデはエルンストの来訪に備えた。
別室で迎え入れても良かったが、頭のいいエルンストがブリュンヒルデの部屋に入る口実を見つけるかもしれない。わざと隠すより、むしろオープンにした方が敵の目をごまかせるだろうとブリュンヒルデは考えたのだ。
大急ぎで証拠隠滅した後、しばらくしてエルンストが扉をノックした。
強張った顔でブリュンヒルデはエルンストを向か入れる。
「おほほ。どうぞ」
「ホルンベルガー嬢、急に押しかけて申し訳ありません。お話したいことがございます」
ブリュンヒルデは内心泡を食っていた。
「オホホホ。なんでしょうかしら……」
パニックになったブリュンヒルデの言葉遣いは変だが、恋は盲目となったエルンストが気にすることもない。
「まず、ヴォルフラム様が薔薇を奪還し、この街に向かってきております。しかし、黄薔薇の騎士、ヘルモルト卿が魔獣討伐の際、両腕を損傷いたしました。もし、再び魔獣が現れた際、我々にできることをお聞きしたく、伺った次第です」
「まあ……」
ブリュンヒルデの放った言葉は複数の意味を持つ。
一つはヘルモルトの心配、二つ目は薔薇奪還の喜び、三つめは己の企みが看破されていないという安堵の響きだ。
しかし、すぐにブリュンヒルデの思考はヘルモルトの安否にとってかわった。
「ヘルモルト卿はどういった状況ですの?! すぐに父に連絡して名医を呼び寄せますわっ!!」
「両腕が大やけどを負った状態だそうです。ヴォルフラム様とは別の隊でこちらに向かっているとのことで、私の方でも医者を手配しますが、完全に治癒するかどうかはわかりません」
その言葉にブリュンヒルデは愕然とした。
騎士にとって腕の損傷は死も同然だろう。ブリュンヒルデが彼を巻き込まなければヘルモルトは優秀な騎士として明るい未来を歩んでいたはずだ。
(ミレッカー卿の時もそうだったけど、私が巻き込んだせいで色んな人が不幸になっているわ……まるで災厄そのものじゃない)
ブリュンヒルデは己の罪深さに身体を震わせた。
エルンストはブリュンヒルデのその様子を見て心配そうに眉を下げた。
「……ホルンベルガー嬢、私の言葉で不安にさせて申し訳ありません。あなたを頼りすぎてしまいました」
「……いえ、初めに持ち込んだのはわたくしですもの。ベネシュ卿が謝る必要はありませんわ。ただ、わたくしはヘルモルト卿に申し訳なくて……私に治癒能力があればヘルモルト卿の腕をもとに」
ここでブリュンヒルデは言葉を切った。
(ん? 治癒能力……薔薇の乙女のクララなら持ってんじゃん!!!!)
ブリュンヒルデは希望を見つけて目を輝かせた。
「ベネシュ卿! 薔薇を奪還できたのなら、クララが目覚めます。薔薇の乙女の彼女なら治癒能力でヘルモルトを助けることができますわ!!!」
「薔薇の乙女の治癒能力! 確かに文献にもありました。忘れていたとはお恥ずかしい……ですが、これでどうにか現状を打破できそうです」
「良かったですわ」
ブリュンヒルデもほっとした。
「問題はクララ嬢が目覚めるまでの時間ですね。その間に攻めてこられると厄介です。クララ嬢をデンベラの東門まで運び、少しでも時間を短縮いたしましょう」
エルンストの言葉にブリュンヒルデは頷いた。
すぐに医者に連絡し、担架を用意してもらって移動準備をお願いした。
「わたくしも参りますわ。治癒能力を使うときは呪文が必要なのです」
「……わかりました」
エルンストは少しの間をおいて答えた。行かせたくない気持ちの方が強かったが、そのエゴが彼女を苦しめることになるだろうと理解していた。
看護師から移動の準備が整ったと聞かされ、二人は部屋を出た。
廊下にゲルト一家が立ち、心配そうな顔でこちらを見ていた。
「ちゃんと、薔薇の乙女様を目覚めさせろよ」
ゲルトは相変わらずの憎まれ口を叩いていたが、それがむしろいい感じに緊張を剥ぐしてくれた。
「わかっているわ。任せておいて」
ブリュンヒルデは微笑んで担架に乗せられたクララの後に続く。
病院の外にエルンストが用意した救護馬車が待機しており、中の簡易ベッドにクララを寝かせた。ブリュンヒルデは向かいの簡素な椅子に座り、昏々と眠り続けるクララの顔を見る。
「もう少しよ。もう少しだからね」
ブリュンヒルデはそう声をかけながらクララの亜麻色の髪を撫でた。




