第七十二話 代償
人知を超えた力によって強大な魔獣が一撃で葬られた。ヘルモルトが放った雷撃はその場にいたものに大きな感動を与えた。
「これが薔薇の騎士の力か!! すごいな」
「いやあ恐れ入った。これがあればどんな化け物も恐るるに足らず!!」
兵たちは先ほどまでの疲労など一気に消し飛んだように笑いあった。
平地にいたものは遠巻きに魔獣の亡骸を見ていたが、ひからびた魔獣の姿を見てようやく災厄から免れたと安堵の声を上げた。彼らの歓声は城壁の歩廊にいるエミリオやヘルモルトの耳にも響いた。
エミリオは喜びに湧く部下たちを見て晴れやかな笑みを浮かべた。そして隣に立つヘルモルトの背を少し押す。
「ヘルモルト卿、手を振ってやってくれ。君は私たちの英雄だ」
笑顔とともに頼まれた言葉は、ヘルモルトにとって光栄すぎるものだった。しかし、ヘルモルトはその声に答えられなかった。
「……申し訳ありません」
暗く沈んだヘルモルトの声にエミリオは怪訝そうに眉を顰める。こんな喜びの時になぜ彼はこんなに落ち込むのだろうか。不思議に思うエミリオだったが、すぐにその答えを見つけた。
だらりと垂れ下がったヘルモルトの腕は肘から下が黒く焦げていたのだ。エミリオが大きく目を見開き、一瞬だけ動揺した。しかし、すぐに切り替えて大声で叫ぶ。
「これは……衛生兵! すぐにヘルモルト卿の看護に当たれ!!」
エミリオの声は浮かれていた兵たちを一瞬で引き締めた。歩廊にいたものはヘルモルトの腕を見て顔を強張らせ、言葉を失くした。
衛生兵はヘルモルトを座らせて患部を見た。痛ましいやけどの痕だった。薬を塗り、包帯を施して衛生兵は早急に街に戻る必要があると訴えた。
もちろんエミリオもそのつもりで鳩を飛ばしてエルンストに医師の手配を頼んでいた。ヴォルフラムにも魔獣の脅威がなくなったことを伝え、同時にヘルモルトが戦線離脱することも伝えなければいけなかった。
(ホルンベルガー嬢は魔獣の気配を感知している様子はない。魔獣が再び襲ってくることはないと信じたいが、もし、同じような魔獣が来たら我々はなすすべもなく蹴散らされるだろうな)
エミリオは治療を受けるヘルモルトに視線をやった。腕の損傷は激しく、雷を撃つどころか普通の騎士として剣を振るうことは難しいだろう。騎士として生きていたものにとってそれはとても辛いことだ。
そして彼を犠牲にしたことで勝利を得た。
エミリオはゆっくりと担架に横たわるヘルモルトの前に立つと、その場で膝を折った。
「ヘルモルト卿。あなたのおかげで我々は救われた。そしてあなたの腕を守り切れなかったこと、部隊の指揮官としてお詫び申し上げる。」
ヘルモルトは目を見開いた。
エミリオは一介の騎士と比べ物にならないほど身分が高い男だ。その人間が膝を石畳に付けてヘルモルトに頭を下げている。
ヘルモルトは慌てふためいた。
「ハルティング卿! そのような真似はおやめください。あなたの責任ではありません。これはすべて私が望んだことです。私は後悔していませんし、むしろこの傷を誇らしく思います。私の主君であるお嬢様の正しさが証明されたのですから」
ヘルモルトは言った。
腕を失ったのはたしかに致命的だが、それ以上に主君の命令を忠実に成し遂げられたことの喜びの方が強い。雷の矢が効かず、薔薇の騎士に目覚めてもなんの役にも立たないと知った時、己の不甲斐なさを恨んだ。
傷は確かに痛むが、あの時の絶望に比べればなんてことはない。むしろ、勲章と言っていいほどだ。
ヘルモルトが自信をもって言い切ると、エミリオは一瞬呆けた顔をした。だが、ゆっくりとその顔は微笑に転じた。
「……失礼した。先ほどの言葉を撤回し、あなたの武勇に心からの感謝を送りましょう」
「ありがたくちょうだいいたします」
ヘルモルトが答える。
二人は少しの沈黙の後、小さく笑いあった。身分の差はあれど、同じ修羅場を駆け巡った仲間意識が二人の距離を縮めていた。
「さてと、私は皇太子殿下と共に薔薇の捜索に加わる。君はデンベラの街に戻って治療に専念してくれ」
「はい」
エミリオは数人をヘルモルトの送迎につけ、残りの部隊を引き連れてヴォルフラムの下へ向かった。
人数が大幅に増えたことで作業はさらに進んだ。数々の困難の末、ようやく瓦礫の隙間から一輪の薔薇を見つけ出すことができた。崩れた煉瓦同士が支え合い、奇跡的に薔薇はその可憐な姿を保っていた。
兵に呼ばれたヴォルフラムは薔薇を恐る恐る手に持ち、心から安堵した表情を浮かべた。
「……ようやくブリュンヒルデに良い報告ができる」
今頃、クララを心配して倒れていやしないだろうか。ヴォルフラムは可憐でたおやかな愛しい人の顔を思い浮かべながら大事に薔薇を抱えた。
「エミリオ、この街のことは頼んだぞ。俺は先にデンベラの街へ薔薇を届ける」
「はい。 お任せください」
ヴォルフラムは馬に飛び乗ると風のような速さで街を駆け抜けていく。彼の後を追うのは専属の護衛騎士たちだ。エミリオはヴォルフラムが連れてきた隊と自分の隊をまとめあげ、各地に分散して事後処理に当たった。おもに、海の火の消化、そして火薬の撤去である。
一方、塩を大量に持ったルドルフはジクセン平野をようやく抜けたところだった。避難民の天幕が乱立しているため、ぐるりと迂回しなくてはいけない。馬一頭なら何とでもなるが、荷車を連れているため、そう簡単に行かないのだ。