第六十七話 最終兵器
理性と感情、二つのはざまでエルンストは揺れていた。
本来なら、彼はそんなことで悩むような人間ではない。大義のためならいくらでも冷徹になれる、それがエルンストだった。
だが、エルンストの脳裏に優しく笑うブリュンヒルデの顔がちらつく。
「……エミリオに鳩を。目的は薔薇の花の奪還だ。倒すのは無理でも、最悪、時間稼ぎさえすればいい」
エルンストは理性を切り捨て感情を取った。
後悔することもあるだろう。だが、ブリュンヒルデさえ守れればそれでいい。
(ヴォルフラムさま、きっとあなたもそう思っているでしょう?)
忠誠を尽くす相手であり、恋敵でもある友人を思って心の中で問いかける。きっと、彼女を失ったら、自分たちは立ち直れなくなる。それほどまでにブリュンヒルデは深いところまで彼らの心を奪っていた。
美貌だけではなく、侍女に裏切られて陥れられてもなお、優しさと気高さを失わず、勇気と知恵をもって危機に立ち向かう彼女をエルンストたちは深く愛してしまったのだ。
一方、麗しい殿方から愛を捧げられるブリュンヒルデは、現場の危機を知らされないままだった。
気にはかかるが、今のブリュンヒルデにできることなど何もない。
どうせなら有意義に過ごそうと、手料理を振る舞うことに決めた。
マヤは公爵令嬢がキッチンに立つことに驚いて止めようとしたが、ゲルトが食べたがった。
「お嬢様がどんなもんを作るか俺が味見してやるよ。なーに、俺は頑丈だからちっとやそっとじゃあ、腹を壊さないから安心しな!」
「こら!! そんなことをいうんじゃないよ!! 申し訳ありません、ブリュンヒルデさま」
「いいのよ。ゲルト、待ってて。とっても美味しいおやつを作ってあげるから!」
ブリュンヒルデは意気揚々とキッチンに立った。
ゲルトの鼻を明かすというよりも、単に自分が食べたくなったのだ。悪魔のフード、ダイエットの大敵、ポテトチップスが。
じゃがいもをスライスして水洗い、からの水気を拭きとって塩を振る。
そのときにブリュンヒルデはふと気づいた。
(ん? まてよ。 グリアセルの体がほぼ水分で薄い皮膚で体をコーティングしているだけなら塩を振るだけで倒せるんじゃあ? いまさらだけど)
塩には脱水作用がある。塩を通さないという条件下で浸透圧の差を利用すれば中の水分を外に出すことができるのだ。問題は、グリアセルの体積に対応する量の塩を用意できるかということになる。
(塩は海よりも山で取れる。近くに岩塩鉱山でもあれば一気に解決するんだけどなー)
気になったブリュンヒルデはマヤに尋ねた。
「ねえ、この塩はどこで取れたものなの?」
「ああ、これは街から二キロ先にある岩塩坑で取れたものなんです。良質のものは帝都や大都市に向けて販売しますが、そうでもないものは我々で消費します。ですから塩に不自由しないんですよ」
いわゆるB級品という奴だ。
二キロ先ならそう遠くない。
ブリュンヒルデは念のため、塩を確保しようと考えた。さすがに人間に必要不可欠な塩を買い占めることはできやしない。野菜の脱水に必要な塩分濃度が2%である。グリアセルは野菜よりも浸透圧が低いと考えられるため、グリアセルがだいたい1トンと仮定すると200kgが必要量となる。
「ピアステッド卿、少しお願いがあるのですが」
「ホルンベルガー嬢の頼みでしたら何なりと!」
目をキラキラと輝かせてルドルフが言う。お前こんなキャラだったか?と少し首を傾げつつ、ブリュンヒルデは塩の確保を頼んだ。
てっきり、可愛らしいおねだりかと期待したルドルフは塩を要望するブリュンヒルデに驚く。
「調味料が足りませんでしたか」
調理中のブリュンヒルデを見て彼は言った。
「いえいえ。対グリアセルの兵器ですわ。万が一、ヘルモルト卿の雷が通用しなかったときのための予備案ですわね」
もし、塩を皮膚が通したとしても電解質の役割を果たして通電しやすくなる。つまり、ヘルモルトの雷が通用するようになるのだ。
ルドルフはブリュンヒルデの返答に目を丸くする。塩は食べるもので戦闘に使うものと考えたことはなかった。
「塩がですか」
「塩がです。土壌を汚染して数年規模で影響を与えるので本当に最終手段です」
正直言うとあまり使いたくない手ではある。なにしろ雨水に流されて周辺で作物が育たなくなるデメリットがある。
だが、ブリュンヒルデの『破滅の力』とどっちがマシかというと塩だろう。
悩みながら言うブリュンヒルデにルドルフは微笑んだ。
「責任はすべて私が取ります。すぐに塩をお持ちしましょう」
「ありがとうございます。ああ、そうですわ。行儀が悪いですけど、揚げたてを召し上がって下さいな」
ブリュンヒルデはフライしたてのチップスをトングで掴み、ルドルフの口元に持っていった。ブリュンヒルデとしては、お願いを聞いてくれたお礼のつもりである。口元に持っていったのは、素手で掴むと油で手が汚れるからという配慮だ。
しかし、女性から口元に食べ物を持ってきてもらうということを初めて経験したルドルフは顔を真っ赤にした。しかも、相手は憧れのブリュンヒルデだ。
体はすっかり強張ってしまってルドルフはどうしていいかわからなくなった。
「あら、じゃがいもはお嫌い?」
「い、いえ。大好きです!!」
「ならきっとお気に召しますわ。はーい、あーん」
ブリュンヒルデの掛け声につられ、ルドルフは口を開いた。サクっとした食感にじゃがいもの甘み、塩のアクセント、そして油と旨味が加わって何とも言えない美味しさがあった。
「こ、こんな美味しいものは初めて食べました」
「まあ、それは良かったですわ。たくさん作りますから、お戻りになったら召し上がって下さいね」
ブリュンヒルデが微笑むと彼はコクコクと頷いてから、塩の調達に向かった。
ルドルフが居なくなった後、ブリュンヒルデは自分でも味見する。サクサク食感と油のジャンキーさがとても美味しい。公爵家のシェフには悪いが、ブリュンヒルデはジャンキーなポテチが好きなのだ。
出来上がったポテチは皆から喜ばれ、天邪鬼のゲルトでさえ大絶賛だった。
ブリュンヒルデはポテチうまいと思いながらパリパリ貪った。




