第六十四話 あったかいスープ
バウツェン平野はほんとうに何もない。
イベント時は大勢の人間でにぎわうのだろうが、今は青々とした緑が果てしなく続く草原である。
「準備はできておりますのでいつでもどうぞ」
ルドルフは鎧を身に着けた重装備で待機していた。もちろんブリュンヒルデも兜を付け、鎖帷子を着用している。
重くてたまらないが、爆風で石礫が飛んできたときのことを考えると致し方ない。
(マッチの火のサイズ……マッチの火のサイズ)
ブリュンヒルデは頭で念じながら手のひらをかざし、一気に力を放出した。
爆風と閃光、そして轟音が響きわたる。
土埃がようやく止んで目を開くと、平地にぽっかり穴が空いていた。
鍛錬場と同等程度の爆発が起こったのだ。
「なんで!!!!????」
ブリュンヒルデは思わず叫んだ。
マッチの火をイメージした以上、鍛錬場の時のサイズの100分の一程度にはなるはずだ。ところが爆発の規模は全く変わらない。
(なんでだ!! ヘルモルトは自由自在に雷を操れたし、作中でも攻略キャラは好きなように能力を使って魔獣を退治してたのにっ!!!)
ブリュンヒルデは頭を抱えた。
なぜ他のキャラはできて自分にはできないのか。もしかして自分が悪役令嬢だからか。
(……すべてを破滅させる能力だからサイズの調整ができないってこと? というか、むしろこのサイズが最小で、それ以上小さくなりませんとか?)
実に嫌な考えだが、後者のような気がする。
なにしろすべてを破滅させる能力にしては、小さすぎる規模だ。
「……ピアステッド卿。申し訳ありません。わたくし、これ以上規模を小さくできないようです」
沈鬱な顔と声で言うブリュンヒルデと裏腹にルドルフの表情は明るい。
「そうですか! ではデンベラの街に戻ってゆっくりと休養なさってください。なあに、ヘルモルト卿がきっとグリアセルを倒して薔薇を持ってきますよ。信じて待ちましょう!」
ブリュンヒルデを危険地帯に生かさなくても良くなった喜びが表情と顔に現れていた。真夏の青天のように気持ちのいい顔である。
ブリュンヒルデは逆にジメジメとして茸でも生えて来そうな落ち込みっぷりだ。
(せっかく能力に目覚めても何の意味もなさなかったな……。むしろ器物破損しかしてないや……)
悪役令嬢に相応しいといえばそれまでだが、自分の力でクララを助けられるかもとちょっとは期待していた。
結局は骨折り損のくたびれもうけだったわけで、ブリュンヒルデはひたすら落ち込む。
(あとはヘルモルトに頼むとしよう。無自覚両片思いだけど、相思相愛の二人だもの、きっとヘルモルトがクララを助けてくれる)
ブリュンヒルデは黒髪の騎士に後は頼むと心の中で念じた。
朗らかなルドルフに連れられてブリュンヒルデはデンベラの街に戻り、心配していたマヤが用意してくれた温かな家庭料理をゲルトと一緒に食べた。
野菜の優しい味が体に染み渡り、なんだか泣けてきた。
「俺の分やるから元気出せ」
泣きそうなブリュンヒルデにゲルトが声をかけ、自分の皿をブリュンヒルデに突き出す。驚くブリュンヒルデにゲルトがぷいっとそっぽを向いた。
「しみったれた顔をするんじゃねえよ。メシを一杯食って寝ろ! そしたら元気になれるんだから!」
短い人生経験の中でゲルトが得た教訓である。クルツに怒られてしょげた時、ガキ大将に喧嘩で負けた時、いっぱい食べて寝たら一晩ですっきりした。
ゲルトはブリュンヒルデに笑っていて欲しかった。辛い顔を見ると胸が締め付けられてどこもケガをしていないのに痛くなるのだ。
「ありがとう。ゲルトくん」
ブリュンヒルデは彼の気遣いがなんだか嬉しくてようやく笑う。
「ブリュンヒルデさま。新しいものを用意しますわね。ゲルト! こういうときは新しいのを渡すんだよっ! あんたの食いかけなんか失礼だろっ!!」
マヤはゲルトを怒鳴りつける。
そのやり取りがとても優しい日常風景でブリュンヒルデはなんだか元気が出た。
「マヤさん。ゲルトくんのおかげで元気が出ました」
「そ、そうですか? それなら良かったですけれど……」
言いながらマヤは新しいものをブリュンヒルデによそい、息子の皿を戻す。さすがに公爵令嬢に息子の食いかけを渡すわけにはいかないのだ。
湯気が出るシチューを受け取ったブリュンヒルデはもう一度微笑む。
「美味しいご飯のおかげで暗い気持も吹っ飛びます! ありがとうございます」
その笑顔にマヤは同性ながら見ほれた。
まっすぐな目で褒められてマヤもとても嬉しくなる。
「……良かったですわ。こんなもので良ければいつでも作りますから」
「わあ! じゃあ、いっぱい食べられますね!」
ヴォルフラム達と一緒に食べる食事は礼儀作法に気を使いながらなので食があまり進まない。しかし、今は気を遣う相手もおらず、パンとシチューだけの気取らないものだけだった。
緊張が解れたブリュンヒルデは食欲を取り戻し、育ち盛り特有の食欲を発揮してもりもり平らげてマヤを喜ばせた。
その後、能力のことを聞きたがったゲルトにバウツェン平野でのことを話し、薔薇の花の奪還に自分が参加できないことを告げた。
ゲルトはそれを聞いた後、呆れたようにため息を吐いた。
「なんだお前、薔薇の乙女様を自分が助けられないからしょげてたのかよ」
「……端的に言うとそうです」
「お前なあ、薔薇の騎士に目覚めただけでもすごいことなんだぜ。たまたま今回は出番がなかっただけなんだから落ち込むなよ。でないと、薔薇の騎士にすらなれなかった兄ちゃんたちが可哀そうだろ?」
なあ。とゲルトはルドルフに相槌を求める。
大貴族相手に素晴らしく失礼なことを言っているが、ルドルフは素直に頷いた。彼はとてもまじめで誠実だった。しかし、すぐさまクルツがゲルトにゲンコツし、ペコペコとルドルフに謝った。
「いや、彼の言うことは尤もだ。私は騎士になれなかったことを残念に思っている。ホルンベルガー嬢、どうか落ち込まないで下さい。力は問題ではありません。あなたのこれまでの行動が国の危機を救ったのは事実ですから」
ルドルフはブリュンヒルデに笑いかけた。
「ありがとうございます。……ヘルモルト卿を信じて待つことにします。彼は必ずクララのために薔薇を持ってくると」
ブリュンヒルデは笑った。
そして、愛の力でなんとかなるかもしれないと本気で思った。
(なんだかんだ言って恋愛シミュレーションゲームだもの。ヘルモルトとクララが愛の力で結びついているなら、きっと大丈夫! 原作でも好感度の高い攻略キャラが大活躍するしね!)
ブリュンヒルデは皆と歓談しながら吉報を待った。
一方、ゲンドルの街に向かったヘルモルト達はようやく門についた。囲っていた海の火をいったん止め、重騎兵が先に入る。そしてヘルモルトたちが続き、魔獣に蹂躙され続ける街の中心へと進む。
ヘルモルトは手に雷でできた弓矢を携え、いつでも打てるように構えた。




