第六十二話 その証明
能力の開放を終えたブリュンヒルデたちはいったんデンベラの街に戻った。
丁度、薔薇を探しに行っていたヴォルフラム達も戻ってきており、能力の開放の件をすべて伝えた。
「……黒薔薇の騎士と黄薔薇の騎士ですか」
エルンストは目を丸くした。
なにしろ、彼こそがブリュンヒルデを薔薇の乙女に担ぎ上げた張本人、わざとではなく真実思い込んでいたからこそ、突然のことに驚愕した。
内心、鼻を明かした気分のブリュンヒルデはオーホホホと叫びたいのを我慢しつつ、にっこりとエルンストに微笑む。
「これでわたくしへの誤解が解けましたかしら?」
「……そうですね。今の私に反論材料はありません」
「良かったですわ。陛下への報告もお願いしますわね」
「申し訳ありませんが、それは出来かねます。賭けの内容は覚えておいでで?」
その言葉にブリュンヒルデはぐっと言葉に詰まった。
あの時の条件は『クララが薔薇の乙女として覚醒したら』である。つまり、覚醒できなかったらブリュンヒルデは『薔薇の乙女』になるしかない。クララが薔薇の乙女なのは間違いないが、イレギュラーなことが多すぎて覚醒できるかどうか、今の状況では難しい所だ。
(やられたっ!!!!! ふざけんなこの腹黒野郎!!!!!)
ブリュンヒルデは拳をプルプルと握った。
ブリュンヒルデのその様子を見てエルンストは少々眉を下げた。
彼としてもブリュンヒルデを怒らせたいわけではなかった。
「……あなたの訴えを退けて独断専行してしまったことは謝罪します。そもそも、私が早合点しなければあなたが薔薇の乙女として周知されることもなかったですし」
意外とあっさり自分の失態を認めたエルンストにブリュンヒルデは驚く。
「ま、まあ。自覚されているのですね?」
「とても苦い気持ですが、薔薇の騎士として覚醒したあなたを見たら認めないわけにはいきません。ですが、まだあなたを薔薇の乙女として信じたい気持ちがあるのです」
エルンストは困ったように微笑む。
いつもの余裕のある顔ではなく、年相応の顔だった。
「たしかに、国全体にわたくしが薔薇の乙女だと広めてますものね。訂正するとなると貴族の面子的に難しいものもあるのでしょう」
自業自得だこの野郎とブリュンヒルデは頭の中で悪態をつく。偽物と露見すれば檻付きの馬車で市中を引き回しになるところだったのだ。
しかし、エルンストの答えは意外だった。
「私の面子は別に問題はありません。ただ、薔薇の乙女であればあなたを危険な場所から守ることができます。ですが、騎士であればそうはいきません。一番危険なところで戦わなければならないのです」
エルンストは苦しそうにぎりりと唇を噛んだ。血が滲む唇で彼は再び言葉を紡ぐ。
「私はあなたを危険な場所に行かせたくありません。あなたを守りたい、ただそれだけです」
まっすぐなシトリンの眼差しがブリュンヒルデに注がれる。ブリュンヒルデはその美しい瞳に思わず飲み込まれそうだった。
(お、おちつけ! おちつけ私!!! これは罠!! ハニートラップ!! たぶん!!)
なんとか正気を保ち、ブリュンヒルデはエルンストに問う。
「ベネシュ卿。オットー町長から鍛錬場の惨劇は聞いておりますでしょう? わたくしは誰よりも強い能力を持っています。ですから、守られる必要などありません。わたくしは、この力を薔薇の乙女であるクララを守るために使います。」
ブリュンヒルデが毅然と言い返すと、エルンストは少しだけ悲しそうに笑った。
「……わかりました。あなたの意思を尊重いたします。そしてホルンベルガー嬢が黒薔薇の騎士として覚醒したと陛下に報告いたします」
エルンストの言葉にブリュンヒルデは耳を疑った。
大人しく聞いていたヴォルフラムやエミリオも同じだった。いつものように、話術巧みにブリュンヒルデの意見を封殺して自分の望み通りに持っていくのだと彼ら自身も考えていた。
ブリュンヒルデからエルンストが冷遇されても、ヴォルフラムとエミリオが同情心を寄せなかった理由がそれだ。奴なら逆境を自分の良いように持っていくだろうと思ったのだ。
しかし、違った。
「よ、よろしいので? ベネシュ卿はもとより、皇太子殿下も赤っ恥を書くことになりましてよ」
驚きすぎてブリュンヒルデはおかしな口調になる。まさかエルンストがあっさり引くとは思えなかった。
「正直、口八丁であなたを丸め込むことはできますが、そんなみっともない姿をあなたの前で晒すより、赤っ恥の方が数万倍いい。あなたは常に誠意をもって事に当たられていました。ですから、私も誠意をもって対応します。……皇太子殿下には道連れで赤っ恥をさらしていただきましょう。よろしいですよね」
「ああ、もちろんだ。お前の言葉を蔑ろにして本当に済まなかった」
ヴォルフラムが潔く謝る。直情的なところもあるが、ヴォルフラムの根は素直なのだ。彼の謝罪はすんなりとブリュンヒルデは受け入れることができた。
しかし、エルンストの言葉は意外過ぎて旨く呑み込めない。
(あ、ありえんっ!! あの腹黒エルンストがあっさり引くなんてありえんっ!! 頭でも打ったの!?)
エルンストは頭を打ったわけではなく、恋煩いをしているだけなのだが、原作を良く知るブリュンヒルデはエルンストの心からの言葉を信じられずにいた。やはり日頃の行いがモノを言うのである。
「……信じて頂けないようですね」
「それはもう……何かとんでもない罠でも仕掛けられているのかと」
「何も企んでいない証明はできないのですが……こればかりは私の行動を見て信じて頂くしかありませんね」
エルンストは苦笑した後、補佐官に命じて筆記用具を持ってこさせた。サラサラと筆を走らせた後、エルンストは指を齧った鮮血をインク代わりに、家門の指輪を紙に押し当てる。
そこには少々堅苦しい言葉で、ブリュンヒルデが薔薇の乙女ではないこと、黒薔薇の騎士として覚醒したことが記されていた。
「帝都に鳩を送ります。噂の払しょくには時間がかかるでしょうが、あなたが黒薔薇の騎士であることは陛下の名において周知されるでしょう」
エルンストは文章をブリュンヒルデに見せた。
ここまでされてなお疑うのはブリュンヒルデの神経が磨り減る。他にもやらなければいけないことが山積している今、そこにリソースを裂くのは得策ではない。
「わ、わかりました。ベネシュ卿を信じます」
ブリュンヒルデがそう答えるとエルンストは、はしゃぐ子供のように屈託のない笑顔を見せた。




