第六十話 その能力
デンベラの鍛錬場は他の街の二倍ほどあった。街自体が大きいから当然かもしれないが、石垣に囲まれた鍛錬場は見渡せるほど広く、下手をすれば庭を含めた公爵邸すらすっぽり入りそうだった。
「人払いをすませましたので、ここには我々だけしかおりません。どうぞ、ご自由にお使いください!!」
ルドルフが言った。張りのある声が鍛錬場に良く響く。人っ子一人いないのに、その迫力ゆえに万騎を従える将軍のように思えた。
(ルドルフはいい将軍になれそう)
そう思いながら、ブリュンヒルデはにこやかにルドルフに礼を言った。
「ありがとうございます。気兼ねせずに力を試せますわ。あと、ゲルトくんをお願いしてもよろしいかしら。本当に、何が起こるか予想も尽きませんので、ピアステッド卿にゲルトくんを守って頂きたいのです」
ブリュンヒルデにとってお願いであるが、ルドルフにとってはもはや決定事項である。好きな女性に悪態をつくけしからん小僧であろうとも、ブリュンヒルデに頼まれればルドルフは嫌とは言えない。
「……わかりました」
彼はそう言ってゲルトの手を握った。
突然、大きな手のひらに掴まれてゲルトは体を跳ねさせる。
「な、なんだよっ!! 離せよっ!!」
「お前が危険に巻き込まれないように先手を打っただけだ。いくら暴れようとも離すつもりはない。大人しくしていろ」
「こんなことされなくても大人しくしてるよっ!! 離せってば!!」
手から逃れようとジタバタもがくゲルトだが、ルドルフは涼しい顔をしている。
「ゲルトくんはピアステッド卿に任せておけば安心ね。わたくしたちはさっそく力の解放を行いましょうか」
ブリュンヒルデがヘルモルトに言うと彼は頷いた。
「ご指導、お願いいたします」
「そんなにかしこまらないで。わたくしも文献で呼んだだけで初めてだから……その、何が起こるかわからないの」
アハハと少し乾いた笑いを浮かばせると、ヘルモルトは少し目を丸くした後微笑む。
「わかりました。必ずお守りします」
「い、いや、そういうことではなく……その、失敗しても笑わないでね」
「笑ったりしません。それに、薔薇の騎士の何たるかを知らない私には何が失敗なのかさっぱりわかりかねます」
ヘルモルトの言葉はとても優しい。ミレッカーも優しかったが、ヘルモルトの優しさはまっすぐな芯がある。オブラートに包まないむき出しの優しさだ。
ヘルモルトの言葉に励まされ、ブリュンヒルデは元気が出てきた。
「ありがとう。ヘルモルト。おかげで気分がすっきりしたわ。まず、わたくしからやるわね」
ブリュンヒルデは目をつむり、手のひらを天にかざした。
騎士の能力の開放、はじめの一歩は単純だ。魔方陣に宿る力を一気に放出すればいい。だが、どんな能力かわからない以上、できるだけ最小の力でお願いしたいブリュンヒルデは火の玉サイズを一生懸命イメージした。
『偉大なる御身よ、尊きその力を我が前に示せ』
ブリュンヒルデが唱え終わるや否や、手のひらの魔方陣から真っ黒な雷が放射状に噴出したとおもうと、巨大な光を放って鍛錬場を吹き飛ばした。爆音が鼓膜をつんざき、暴風が容赦なくブリュンヒルデたちを襲った。
風が止んだ後、鍛錬場は抉られたような巨大な穴が空いていた。頑丈だったはずの石垣はなく、『鍛錬場だったなにか』へと変貌している。
ブリュンヒルデはもとより、ヘルモルト、ルドルフ、ゲルトは呆気にとられた。人智を超えた力……奇跡というよりは災害に近い。
呆然とする一同だが、ブリュンヒルデの手のひらが急にうずき、恐る恐る手のひらを覗いた。
『すべてを破滅させる能力、黒薔薇の騎士』
と書かれていた。
ブリュンヒルデが絶叫したのは言うまでもない。
(破滅って何!!悪役令嬢らしいって言えば悪役令嬢らしいけどっ!! 物騒!!)
ブリュンヒルデは自分の能力の恐ろしさにおののいた。
ヒィィと青ざめるブリュンヒルデの気も知らず、ヘルモルトは祝辞を述べる。
「お、お嬢様……能力の開放おめでとうございます」
「ホ、ホルンベルガー嬢、お祝い申し上げます。。鍛錬場の選定が甘かったようです。申し訳ありません。すぐに新しい場所を探します」
ルドルフは律儀に謝った。ここまでの力とは思わなかった。
ゲルトは驚きすぎて声を発せずにいる。
「……い、いえ。わたくしもここまでとは思いませんでした。修繕費用はわたくし宛てで請求してくださいませ。区長には申し訳ないことをしました」
いくらになるんだろうなあ……と思いながらブリュンヒルデは大惨事になった鍛錬場を見つめてトホホと肩を落とした。