第五十七話 贈り物
エルンストの言葉通り、いの一番に薔薇の花をかき集めてきたのは、ケルシャから駆けつけたルドルフだった。玉のような汗をかき、息が上がっているものの、溌剌とした偉丈夫がバラの花束を抱えて入って来たので、門兵は、好きな女に求婚するのかと一瞬誤解した。
ルドルフが身分と目的を名乗ったので誤解は解けたのだが、残された門兵はお互いを見合って少し笑う。
「ありゃあ、命令のために持ってきましたって顔じゃあないな」
「ああ、好きな女に捧げるためのモンだ。……あの近衛騎士殿は薔薇の乙女様をお慕いしているのかもな」
彼らの言う薔薇の乙女はもちろんクララのことだ。ゲルトの一件があっても、ケルシャ焼き討ちや護衛騎士の身代わり事件のインパクトは大きく、未だブリュンヒルデに懐疑的な人間が多かった。
ルドルフに読心術の特殊能力があれば、獅子の咆哮のごとく野太い声で彼らを怒鳴りつけ、間違いを正していただろうが、ストーリーの破綻ゆえに凡人になり下がった彼にそんな能力などなく、一路、慕わしいブリュンヒルデの下へと走った。
ルドルフが到着したのは、エルンストが鳩を飛ばしてから半日後のことで、ブリュンヒルデたちは病院側の厚意に甘えて大きな病室を控室として借りていた。
大きなバラの花束を抱えて飛び込んできたルドルフは、ブリュンヒルデしか目に入っていなかった。エルンストの礼の言葉、ヴォルフラムのねぎらいの言葉、エミリオの誉め言葉をすべてスルーして、一目散にブリュンヒルデに薔薇の花をささげた。
マントを翻し、跪いて花束を掲げる彼とブリュンヒルデの姿は絵画のようだった。時期は少々早いが、それこそ伝説の薔薇の乙女と薔薇の騎士のようでもあったのだ。
「ホルンベルガー嬢、あなたのために薔薇を摘んでまいりました」
ルドルフはいつも言葉が足りない。だが、今回ばかりは彼の本心だった。『ホルンベルガー嬢がクララ嬢のために大量の薔薇の花を求めている』と聞いたとき、ルドルフはクララではなく、ブリュンヒルデのために頑張った。
この薔薇の花一つ一つがルドルフの愛なのだ。
「まあ、ありがとうございます。ピアステッド卿。すぐにクララの病室に持って行ってくださいな。わたくしは花瓶の用意をいたします」
ブリュンヒルデはなんの感慨にも浸らず、薔薇を受け取りもせずにドレスの裾をつまんでクララの下へと駆けていった。ゲルトはその後を子供特有のすばしっこさで追いかける。
受け取ってもらえると考えていたルドルフは呆気にとられ、跪いたまま呆然としていたが、しだいにしょんぼりと肩を落とした。
さすがに可哀そうになってエルンストが声をかける。
「ルドルフ。ホルンベルガー嬢が笑顔になれたのもお前のおかげさ。そうしょんぼりするなよ」
ぽんと肩を叩くと捨てられた仔犬のようなルドルフの目がこちらを見る。エルンストはこの目に弱かった。最後にこの目を見たのは、ルドルフの剣士仲間が、『お前がいると自分の才能のなさに泣きたくなる』と言って剣の道をやめた時だ。
ルドルフは自分が朴念仁で堅物で人の心がわからないから、周りを傷付けると考えている。寡黙なのもそのためだ。
ちなみに、その剣士仲間はエルンストの手によってヤキを入れられた後、そこそこの才能を見出されて下っ端文官としてコキ使われている。
エルンストにとってルドルフたちは自分の中の良心で、それだけに悲しい顔をされると胸が痛いのだ。
「さあ、ルドルフ。立ってクララ嬢の病室に行こう。クララ嬢が目覚めれば、お前の手柄なんだから、ホルンベルガー嬢は飛び上がって喜んでくれるさ」
「ああ。ありがとう。エルンスト……俺の独りよがりだったときちんと理解しているよ。クララ嬢が目覚めると良いな」
ブリュンヒルデに薔薇の花をささげた時、彼は彼女が薔薇を受け取ってくれることを期待した。彼女のために摘んだ薔薇だから、受け取って欲しかった。しかし、それは独善でしかないのだとルドルフは自嘲した。
ヴォルフラムとエミリオはかける言葉を見失い、クルツはブリュンヒルデの鈍感具合に苦笑した。鈍感仲間のマヤは不思議そうな顔をしつつ、「ブリュンヒルデ様のお手伝いをしてくるわ」と部屋から出た。
一方、ブリュンヒルデについていったゲルトは嬉しそうなブリュンヒルデに問いかけた。
「なあ、なんであの兄ちゃんの花束を受け取らなかったんだよ!」
ゲルトが彼の立場ならとても悲しくて辛い。なぜだかそう感じた。そしてその苛立ちをブリュンヒルデにぶつけた。
「ええ!? でもあの薔薇の花はクララのものよ? わたくしが受け取るのは変でしょうに」
ブリュンヒルデが目を丸くして言う。
ゲルトはその返答を受けて同じように目が丸くなった。
「いや、でもあれは……お前のためにあの兄ちゃんが摘んできたって……」
「もちろんクララのために薔薇の花を集めて下さいとお願いしたけれど、捧げられるのはわたくしじゃなくて薔薇の乙女のクララでしょう? さすがに、自分あてじゃない薔薇の花を受け取るほど図々しくはないわよ」
ブリュンヒルデは朗らかに笑った。
もし、全然別のシーンで渡された薔薇なら素直に受け取っていたが、クララが必要としているのに受け取る理由がこれっぽちもない。
ゲルトは少し考えてから言った。
「なあ、もし俺がお前に花を送ったらどうする?」
「わたくし宛の花なら喜んでいただくわ。ああ、でも食虫植物とか変なのは嫌よ」
「バ、バカっ!! 誰がそんなもん送るかよっ!! ちゃんとしたキレイなの……お、送ってやるよっ!!」
「わあ、嬉しい。ちゃんとリボンもつけてね」
軽口ついでにブリュンヒルデが注文を付ける。ブリュンヒルデは深い意味をもたしたわけではなかったのだが、ゲルトはその言葉がとても深く残った。
ゲルトは無言になったが、花瓶を洗うのに忙しいブリュンヒルデは特に気にも留めなかった。後から来たマヤは息子が手伝いどころかボーと突っ立っているだけなのに腹を立て、ゲンコツをお見舞いした後ブリュンヒルデを手伝った。