第五十六話 薔薇の花
薔薇の乙女が覚醒するのはゲーム本編……すなわち、薔薇祭りが始まってからだ。
薔薇の花が咲き乱れる場所でクララは本来の能力に目覚める。
「クララが完全に覚醒するには薔薇の花が必要なのよ!! ヘルモルト、クララと行動していた時、薔薇の花を見つけたのではない?」
ブリュンヒルデがヘルモルトに問いかけると、彼は驚きのまま答えた。
「え、ええ。街で薔薇を抱えたご婦人とすれ違いましたが……」
「それ!! それよ!!! すれ違っただけの薔薇の香気じゃあ、完全に覚醒するための量が十分ではなかったのよ!!!」
ブリュンヒルデはようやく見つかった答えに目を輝かせた。
(覚醒失敗したからこそ、ブリュンヒルデが薔薇の乙女にすり替わるルートに入っちゃったんだわ。やはりゲームオーバーだったのね)
しかし、ブリュンヒルデの動きは制限されていない。
「ベネシュ卿! すぐにありったけの薔薇を集めて下さい!! この部屋を埋め尽くすくらいの!!」
ブリュンヒルデは叫んだ。
彼なら無数の人脈を使って早咲きの薔薇の数百本、かき集めることができるだろう。
エルンストは深く頷いて部屋から出た。
残ったヘルモルトたちはブリュンヒルデの喜びように驚きつつ、呆然としていた。ゲルトもそうだった。泣き顔を見続けたくないから、ちょっと憎まれ口を叩いてやっただけなのだが、ブリュンヒルデは雨上がりの青天のように輝いている。
「ゲルトくん。あなたのおかげよ。ありがとう!!」
ブリュンヒルデはゲルトの両手を掴み、ぎゅっと握った。花が咲き乱れる笑顔にゲルトは頬が熱くなる。
うっかり、見ほれた自分が許せなくてゲルトは思いっきり手を振り払った。バシンと甲高い音が響く。
「か、勝手に触るんじゃねえ!! それに、お前のためなんかじゃないからな!! 薔薇の乙女様のためだからなっ!!」
ゲルトが仔犬のように吠える。マヤはあわててゲルトをひっぱり、頭にゲンコツを入れた。
「薔薇の乙女様。申し訳ありません!」
謝るマヤにブリュンヒルデは首を振る。
「いえいえ。あと、わたくしは薔薇の乙女ではないので、ブリュンヒルデと呼んでくださいな」
にっこにっことブリュンヒルデは微笑みながら言う。
謎が解けた今、ゲルトの悪口雑言などもはやどうでもよかった。これで母に苦労をかけずに済むというあったかい気持ちで一杯だった。
(エミヴォルハイタッチ事件を見れないのは残念だけど、これから友達という括りで行動していれば、いくらでもBL展開を堪能できるわ!! きっと!!!)
ブリュンヒルデの腐った頭脳は、緊迫感から解放された反動でやりたい放題だった。
そんな、腐れ外道とも知らないマヤは、ギャンギャン吠える息子の口をふさぎながら思う。
(慈悲深い眼差し、謙虚な姿勢、そして気高い美しさ。皇太子殿下がおっしゃるようにこの方こそ薔薇の乙女様なのだわ。それをこのクソガキは……!!礼儀をとことんまで叩き込まなきゃ!)
ブリュンヒルデの評価が上がると同時に息子にさらなるスパルタ教育をするぞと意気込んだ。
一方、クルツはゲルトの行動を見て本人すら無自覚の小さな恋心を悟り、息子が傷つかないよう、無自覚のまま恋が終わることを祈った。
(マヤは気付いてないよな。相変わらず鈍い……)
クルツは息子を睨みつけている愛妻を見て思う。明るくて優しいマヤは常に人気者でたくさんの男から愛を向けられていた。しかし、明るい彼女に気後れする男は遠回しに誘うため、結果として真正面から切り込んだクルツに軍配が上がった。
ニブさは欠点ともなりえるが、クルツにとってはマヤのそれすらも愛おしい。
(うちの妻、最高……!!)
クルツは思わず顔をほころばせた。
ヘルモルトはブリュンヒルデが笑顔になったことでほっと一息ついていたが、クルツが変な微笑み方をするので若干引いた。ブリュンヒルデの笑顔も突き詰めれば同類なのだが、そこは圧倒的な美貌とヘルモルトの忠誠心がその黒い目を濁らせていた。
病室がカオスになっているころ、エルンストは外に出てヴォルフラム達に薔薇の花の調達を相談していた。
やみくもに鳩を飛ばすよりは、確実に手に入れる方法を選びたい。
「近くの植物園に問い合わせるのが確実かもしれません。温室もありますしね」
エミリオの言葉に二人は頷く。
「そうだな。皇宮植物園にも俺の方から連絡しておく。近場の方がすぐに届くだろうが、皇宮植物園の方が確実だ。あとは何かあるか?」
「ケルシャにいるルドルフに一報を入れます。気候も温暖で大穀倉地帯のあの周辺なら領主が温室を持っているでしょうし、皇宮植物園から届くまでのつなぎにはなるでしょう。それにあいつなら、単騎でも全速力で駆け付けますよ」
久しぶりに出す友人の名前に一同の顔が少しほころぶ。
方向が大方まとまり、指示書を持たせた鳩を空に放った。もちろん予備の鳩も飛ばして。




