第五十四話 元気のモト
平民が貴族の名誉を傷つけるのは大罪だ。その場で切って捨てられても文句は言えない。そしてそれが大公爵の娘、悪名名高いホルンベルガー公爵令嬢だったなら、語るもおぞましい罰を与えるだろうと誰もが思った。
ゲルト一家を乗せて病院へ向かう豪華な馬車を見送った人々は、互いに顔を見合わせた。
「あれがホルンベルガー公爵令嬢なのか? 噂とずいぶん違うじゃないか」
「とんでもない悪女って聞いていたけど、女神のように美しい人だったな」
「それに、ゲルト坊やを捕えるどころか、怒鳴りもしなかったわ」
人々は驚き、そして奇妙な嬉しさをのせて口々に言った。
「い、いやわからんぞ。病院に向かうと見せかけて本当は刑場に引き連れていくのかもしれん!!」
厳めしい顔で初老の男が言い放つ。美しいバラにはとげがある。あの女もその類だと思った。
「しかしなあ、ホグ爺さん。皇太子殿下が証人になって下さったんだぞ。ホルンベルガー嬢が狡猾だとしても、殿下の目を欺けるとは思えない。ゲルト達の無事は確実だろう」
やや直情的なヴォルフラムだが、これまでの功績ゆえに民からの信頼はとても篤い。頑固なホグ爺さんもしぶしぶ持論を曲げた。
一方、ゲルトは初めて乗る豪華な馬車にはしゃいでいた。所詮子供である。ふかふかのクッション、いつもより高い目線で見る街の景色、父親似の茶色い髪が風に揺れながら、ゲルトは鳶色の目をキラキラさせて窓から身を乗り出した。
落っこちそうになるのをブリュンヒルデが支え、ようやくゲルトは自分の使命を思い出した。
「さ、さわるんじゃねえ!! 言っとくけど、俺はお前を信用していない!! お前を監視するために側にいるんだ!! いいな」
「はいはい。わかっていますとも」
ブリュンヒルデはにこやかに答える。ここにヴォルフラムたちがいれば睨みつけられるだろうが、家族を引き離すのはよくないとブリュンヒルデが言ったため、この馬車はゲルト一家とブリュンヒルデのみ乗っている。
ちなみに、ブリュンヒルデの心中はゲルトのことなど微塵も考えていない。
(今頃、ヴォルフラムとエミリオは隣同士で乗ってるのよね……。女がいない男だけの密閉空間、妄想がはかどるわ~)
ニタァと笑いそうになるのを我慢したブリュンヒルデの顔は慈母の微笑に見える。
ゲルトの父クルツと母マヤはブリュンヒルデの大らかさに強張った体が解れつつあった。
馬車は病院の前に到着し、護衛騎士のエスコートを受けてブリュンヒルデは馬車から降りる。病院前は緊張した面持ちの関係者がずらりと並び、院長のパークスが薄くなった頭を深々と下げて挨拶した。
「こ、このたびは当院にお越しくださいまして光栄の極みでございます。な、何分、地方の病院でして、貴人のもてなしかたを知りません。公爵令嬢さまのご気分を害してしまうかもしれませんが、なにとぞ寛大なお気持ちでお許しを……」
失態一つで首が飛ぶと信じ込んでいるパークスは大柄な体をブルブルと震えさせた。
「まあ、突然押し掛けたのはわたくしの方ですもの、むしろご迷惑をおかけしてごめんなさい。受け入れて下さって感謝します」
ブリュンヒルデはそう言って微笑みかけ、くるりと後ろを向いた。
「あまり大勢で押しかけてしまうと迷惑ですわ。ゲルトくん、クルツさん、マヤさん、そしてベネシュ卿、ついて来ていただける?」
ブリュンヒルデの言葉に全員が目を丸くした。
「な、なぜその人選なんだ?!」
ヴォルフラムが真っ先に吠えた。
「ヘルモルト卿がいるから護衛騎士は不要ですし、ゲルトくんはわたくしの監視、そして付き添いでご両親、ベネシュ卿はわたくしに必要な方ですから」
正直に言うと、エルンストを引き連れていくと必然的にヴォルフラムトエミリオが残る。むしろ一番大事と言っても過言ではない。惜しいことはそれをこの目で見れないことだが、妄想のネタとなり生きる糧となる。
きっぱりと言い切るブリュンヒルデにヴォルフラムはそれ以上何も言う気にもなれず、かげりを帯びた顔で引き下がった。エミリオも同様。エルンストのみ溌剌とした顔でブリュンヒルデの真横に歩み寄った。
「光栄です。ホルンベルガー嬢」
ブリュンヒルデに『必要』と言われ、自惚れ屋のエルンストは手を差し出してエスコートの体勢を取った。
「病院内は歩きやすいように作られてますから大丈夫ですよ」
ホモセンサーしか搭載していないブリュンヒルデにエルンストの心が届くはずもなく、彼女はきっぱりと断って走り出しそうなゲルトの手を掴んで歩き出した。
呆然とするエルンストにヴォルフラムとエミリオは少しだけ吹き出しそうになった。
(あの様子から見ると、エルンストの頭脳が必要と言う事か)
(焦りました……でも、まだまだ僕にもチャンスはありそうです)




