第五十二話 賭け
『ホルンベルガー嬢こそ真の薔薇の乙女である。クララ嬢とヘルモルト卿は乙女を守護する騎士である』
レーブライン侯爵は帝都に軍鳩、そして早馬を飛ばした。クララを保護するデンベラの街にも報せ、ブリュンヒルデがいかに気高くて清らかで優しくて美しいか懇切丁寧に書き綴り、本人が見たら卒倒するレベルでベタ褒めした。
そして彼女が悪女によって陥れられた悲劇の女性であると訴えたのである。
半信半疑のデンベラの区長、オットーはこれが改ざんされたものではないかと疑ったが、使者はレーブライン侯爵が街に訪れた時に居た騎士であったことと、彼自身がホルンベルガー公爵令嬢の悲劇っぷりを身振り手振りで語ったので信じることにした。
「……おっしゃることは分かりました。しかしですな、我が町はクララ嬢を薔薇の乙女と信じて疑っておりません。急にホルンベルガー嬢を薔薇の乙女と認めるのはその……」
「ご心配には及びません。クララ嬢とヘルモルト卿は彼女を守る薔薇の騎士、乙女に会えば必ずやクララ嬢が目覚めます。その奇跡でもって民は薔薇の乙女が誰であるかを知るでしょう」
使者……アーロンはうっとりとした顔で言う。
まるで敬虔な信徒のような顔にオットーはいささか引きつつ、彼に何を話してもムダかもしれないと思った。
しかし気になることはまだある。
「もしや、ホルンベルガー嬢がこちらに向かっているので?」
「さよう。ホルンベルガー嬢が頑なに自分は薔薇の乙女ではない、クララ嬢が薔薇の乙女だと主張されるので、薔薇の騎士と接することで自覚が芽生えるのではないかとベネシュ卿が考えた次第です」
オットーはその言葉に目を丸くした。
まさかホルンベルガー嬢が『薔薇の乙女ではない』と主張しているとは知らなかったからだ。
(ホルンベルガー嬢の自称だと思っていたが違ったのか……これは、もしかすると本当かもしれない)
オットーの考えはぐるっと反転し、使者に協力的になった。
渋る部下を説き伏せ、ブリュンヒルデを『薔薇の乙女』として迎えるよう指示した。混乱する民衆のことも考え、レーブライン侯爵の言葉を立札にして広く知れ渡るようにした。
しかし、文字情報だけですんなりと市民が納得するはずもなかった。声に出して言う大人はいなかったが、子供は素直だった。
「ホルンベルガー嬢ってわるいひとなんでしょう? どうして薔薇の乙女さまなの?」
「しっ。レーブライン侯爵様が、薔薇の乙女とお認めになったからだよ。そんなこと言うもんじゃないよ。公爵令嬢に聞かれたら酷い目にあわされてしまうよ」
大人たちは慌てて子供の口を閉じるが、子供たちはさらに疑念で一杯になった。
一方、ブリュンヒルデは言うと多勢に無勢だった。
誰一人、ブリュンヒルデの言葉を聞きやしない上にむしろブリュンヒルデを説得しようとする。平行線でにっちもさっちもいかなくなった結果、『クララが薔薇の乙女と覚醒したら、ブリュンヒルデの言葉を信じる』ということになった。
エルンストたちにとっては、薔薇の乙女はブリュンヒルデ、薔薇の騎士はクララという図式が成り立っているのであっさり引き受けた。
「ホルンベルガー嬢は薔薇の乙女と薔薇の騎士の違いをご存じでしょうね?」
エルンストが改めて尋ねる。
「ええ、もちろんですわ。薔薇の乙女は癒しの術を使えます。そして一定以上の力のある魔獣を使役することが可能です。薔薇の騎士はそれができません。魔獣を殺すことしかできないのです」
「文献にある通りです。さすがですね」
エルンストはにっこりと笑う。彼は本心から好きな女性を褒めたたえているのだが、ゲームの腹黒設定が脳裏をよぎるブリュンヒルデはそれが死刑宣告のように思えしまう。
(な、何を考えているのかわかんないわ……。罠!? 罠なの!?)
体が強張るブリュンヒルデをエミリオが心配する。
「エルンスト、やりすぎですよ。ホルンベルガー嬢、彼の無礼を友人である私がお詫びします。不安で一杯でしょうが、私が付いていますのでご安心下さい」
優し気な顔でエミリオが微笑む。ゲームの良心と謳われる推しの笑顔にブリュンヒルデはようやく人心地ついた。
(非常事態だけど……非常事態だけど……萌え供給があるとやっぱり落ち着くわ……!!!! ノー推しカプ、ノーライフ!!)
修羅場を潜り抜けて成長した割に、ブリュンヒルデの根本は全く変わっていなかった。
以降、パニックに陥るたびにエミリオとヴォルフラムを視界に収め、推しカプに胸を高鳴らせて心の安寧を保って英気を養うのだが、はた目から見ると頬を赤らめ、ちょっと潤んだ目でヴォルフラムを見ているように見える。
(も、もしかしてブリュンヒルデも俺を?)とヴォルフラムは心を沸かせ、
(ホルンベルガー嬢はやはりヴォルフラム様が……)とエミリオを気落ちさせ、
(……まだ巻き返すチャンスは必ずある。振り向かせて見せる)とエルンストのやる気を燃え上がらせるのだった。
もちろん、三人とも脈はない。




