第五十一話 届かない言葉
「ですから違います。わたくしは薔薇の乙女ではなくて騎士です!!」
「はっはっは。いきなり救国の乙女と言われて混乱する気持ちもわかりますが、あなたは確かに民を救ったのですよ。しかし、心の整理をする時間が必要なのももっともですな」
レーブラインはブリュンヒルデの訴えを優しい目で交わした挙句、その場からブリュンヒルデを下がらせた。もちろんブリュンヒルデを薔薇の乙女と信じて疑わないヴォルフラム達が助け舟を出すはずもなく、優しい目でブリュンヒルデを見送る。
「ヴォルフラムさま。お願いですからわたくしの言葉を信じて下さい。薔薇の乙女はクララです!!」
「ブリュンヒルデ、お前が謙虚なのは知っている。そこは美徳だとは思うし、お前の望みは叶えてやりたいと思うが、魔獣が現れた今、薔薇の乙女は必要なんだ。我慢を強いてすまない……」
ヴォルフラムは辛そうに眉をひそめた。
好きな女性の我が儘くらい叶えてやりたいとは思うが、それは皇太子としてできない。エミリオやエルンストも同様だった。三人の力があればブリュンヒルデを隠ぺいし、クララを影武者として立てることもできるが、魔獣の脅威がそれを許さないのだ。
ヴォルフラムが言い終わるとエルンストが前に出た。
「ホルンベルガー嬢、薔薇の騎士が現れた今、彼らがあなたを守ります。まあ、正直なところ私にその称号が欲しかったのですが、薔薇の印がなくても私はあなたを守ります。どうかご心配なく」
エルンストがキザったらしく言った。妖艶な美貌はそんなエルンストを魅力的に見せるのだが、ブリュンヒルデに効くはずもない。
むしろ、すべて演技でブリュンヒルデを嵌めるために暗躍しているのではと疑念すら抱いた。
(……腹黒キャラのエルンストならやりかねん。ここは部屋に戻って何かしら対策を練らなければ)
ヒィっと怯えているとエミリオは申し訳なさそうな顔でブリュンヒルデに言った。
「あなたに苦労を押し付けてしまい、申し訳ありません。あなたが憂いなく過ごせるよう、最善を尽くします」
柔らかいエミリオの声はアルファ波のように心地よい。ささくれたった神経が凪いでブリュンヒルデは感動する。
(ゲームの良心さすがエミリオ!!!)
ブリュンヒルデの硬かった顔が解れて柔らかい笑顔になる。春の可憐な花を想起させるそれに一同は思わず見ほれた。
最後の最後で機嫌を良くしたブリュンヒルデは下士官に連れられてその場を後にした。
ブリュンヒルデがいなくなった後、彼らは情報の共有を始めた。
エルンストは皇宮図書館で知り得た情報、ヴォルフラムはゲンドルの街を蹂躙するグリアセルの詳細、そしてレーブラインはデンベラと帝都で知り得た話を知らせた。
何のわだかまりもなくなった彼らの対話はスムーズだった。
一通り話し終えると、レーブラインがエルンストに尋ねた。
「しかし、なぜあのように気高い女性がここまで非道な女性と悪しざまにいわれることになったのだろうか。貴殿なら知っているのではないか?」
エルンストは待っていましたとばかりに答えた。
「それはですね、ホルンベルガーに仕えていたとあるメイドの仕業なのです。ユリアと呼ばれる女が、ホルンベルガー嬢を屋敷内ですら孤立させ、彼女が皆から嫌われるように仕組んだのですよ。下級貴族に対する非道な行いもユリアの仕業だったそうです。彼女が怒る状況をわざと作っていたようです」
「なんと! しかしホルンベルガー嬢は怒りを覚えても、手を出すまではしなさそうだが……」
「ホルンベルガー嬢が怒気をあらわにするのは、家族が絡んだ時だそうです。彼女は身内に対する暴言をけして許さない。ユリアはそれを利用したのです」
本編前のブリュンヒルデはユリアの策略により愛に飢えていた。父母から愛されていない現実を認めたくなくて、ユリアが『あのご令嬢が、ブリュンヒルデ様は両親から疎まれてると言っていましたよ』と言われれば、感情のままに爆発したのだ。
エルンストは噂と実物のブリュンヒルデのギャップに驚いたとき、即座に調査させてユリアの悪行を初めて知った。激怒したエルンストはユリアを許せず、直々に手を下そうとすら思った。しかし、ブリュンヒルデを悪女に仕立てた彼女の存在を消すのは悪手だと思い、煮立つ腹をどうにか抑え込んで一番効果的なタイミングが来るまで待った。
それが今である。
「ユリアの恐ろしい所は、ホルンベルガー嬢に誰も味方がいないと思い込ませたことです。それゆえ、ホルンベルガー嬢は彼女を頼るしかなかった。やったことは消せませんが、ユリアがいなくなったあと、彼女は被害者に詫びて回っています。お疑いならぜひ調べて下さい」
エルンストが言い終わるや否や、レーブライン侯爵はダンっと椅子の手すりを殴った。
彼の顔は真っ赤に染まり、わなわなと震えて怒りで今にも破裂しそうだった。
「なんということだ!! そんな悪女がこの世にはびこっていたとは!! その女も断じて許せんが、作られた悪評を信じ、ホルンベルガー嬢を追い詰めていた私自身が一番許せん……!!!」
レーブラインは絞り出すように低い声を響かせた。
彼の幕僚たちも同じように憤慨し、また自分たちの浅慮に怒った。
エルンストはさらに畳みかける。
「レーブライン侯爵。どうか落ち着いてください。ユリアに騙されたのはあなただけではありません。私もまた、ユリアに騙されてホルンベルガー嬢を疑った一人です。そして恐ろしいことに、まだユリアの策略に嵌められたものが数多く居ます。私たちのような若輩者がいくら無実を訴えても、人々に響きません。どうかあなたのお力でどうかホルンベルガー嬢の名誉を取り戻して下さい。」
エルンストの真摯な訴えにレーブラインは深く頷いた。
「もちろんだ。こんな非道なことを放っておくわけにはいかん!! 皇太子殿下、慌ただしくて申し訳ありませんが、これにて御前を失礼いたします!! 私は至急、帝都に戻り、ユリアとやらを不敬罪でとらえます!!」
「よろしく頼む。俺は婚約者でありながらブリュンヒルデを信じてやれなかった。それを今でも悔いている。だからどうか彼女を悪意から助けてやってほしい」
ヴォルフラムの言葉を受けてレーブラインは力強く返事をした。
彼は幕僚を連れて嵐のように去っていった。
「レーブライン侯爵の怒りっぷりはまるで獅子の咆哮ですね。味方につければ百人力と思っていましたが、千人力かもしれません」
エルンストが作戦成功を喜んだ。
「エルンストがなかなかユリアを処罰しないから何故かと思っていたが、こういうときに利用するためだったんだな」
ヴォルフラムが感心したように言うとエルンストが笑う。
「怒りに任せての処罰はいつでもできますからね。どうせやるなら最大限のメリットがあるタイミングでやりたかったんですよ」
一番つらかったのは怒りを抑え込むことだったが、おかげで特大の花火が打ちあがった。レーブラインという火薬はユリアを完膚なきまでに叩きのめしてくれるだろう。
「本当に素晴らしい采配でした。怒りに任せて動かなくて良かったと思いましたよ。ありがとう、エルンスト」
エミリオが感謝をあらわにするとエルンストは少し照れる。
嫌悪すべき自分の腹黒さが仲間の役に立つと思うと少しだけ誇らしかった。




