第五十話 解けない誤解
出鼻をくじかれたレーブラインは調子を崩されてしまい、なんとも気まずかった。
ヴォルフラムとエミリオは真面目な顔で成り行きを見守っているが、エルンストはまだ笑いの渦から脱出できていなかった。
「ご、ゴホン。ホルンベルガー嬢。先ほどは失礼した」
「あ、いえ。大丈夫です」
ブリュンヒルデとしてはとくに害はない。ただ、どうして信じてもらえなかったんだろうと不思議で仕方なく、頭の中は疑問で一杯だった。
(よくわからない質問だったけど、一体なんだったのかしら……。はっ、よそ事を考えている暇はないわ。私はホルンベルガーの娘。泥を塗らないように精いっぱい頑張ろう! 失敗したらエミヴォルのスチル回収してやる!!!)
家門の指輪の存在を改めて感じたブリュンヒルデの心はさらに固まった。
意気込むブリュンヒルデと正反対にレーブラインの気力は冴えない。
「……まず、お聞きしたいのは、えー、あなたが……その薔薇の乙女だと名乗っている理由をお聞かせ願いたい」
いつもの切れ味が発揮されないまま、レーブラインはとぎれとぎれに言った。
「あ、あの。誤解です。わたくしは薔薇の乙女ではありません!!」
ブリュンヒルデは大きな声で叫んだ。
レーブラインは目を丸くする。
「し、しかし、帝都にあなたが薔薇の乙女であると書状が届いているのだが、それはどういう?」
「わたくしにはわかりかねます。わたくしは今まで一度も、薔薇の乙女を名乗ったことはありません」
ブリュンヒルデは眉を下げ、困惑した顔で言った。
彼女の言葉にレーブラインはもとより、左側の長椅子に座った者たちは目を丸くした。
「そ、それは……いやしかし、それならば、一体なぜあなたが薔薇の乙女という噂が飛び交っているのか」
「わたくしは何度も違うと申し上げましたが、誰も信じてくれないのです」
ブリュンヒルデは悲しげに言った。
レーブラインはわけがわからなくなって頭の中が混乱し、いったい自分は何のためにここにいるのだろうかと自問自答すらした。
静かになったその場で、堪らないとばかりにエルンストが噴出した。
「アハハハ。……おっと失礼。どうやらレーブライン侯爵はしっかりとした証拠をお持ちではないようですね。彼女を薔薇の乙女と断定したのは我々三名です。彼女は常に違うと謙遜していましたが、彼女の肩にはしっかりと薔薇の刻印が浮き出ていました」
くすくすとおかしそうにエルンストは言う。
エルンストの余裕は何もレーブラインの性格だけに寄らない。
というのも、ブリュンヒルデが必ず『薔薇の乙女ではない』と発言すると確信していたからだ。そして彼女が嘘を吐く人間でないことは、人生経験の長いレーブラインならすぐにわかるだろう。
彼が悪人でブリュンヒルデを陥れるために来たのなら難しい状況だったが、エルンストはレーブラインの人柄を信じていた。
そして思った通り、レーブラインは鳩が豆鉄砲を食らったように目を瞬いて硬直しているし、左側の幕僚も似たり寄ったりだ。
「そ、それでは、クララ嬢はご存じですな。彼女と彼女の騎士に薔薇の刻印が浮かびました。これについて何か思うところは?」
レーブラインは狼狽えながら尋ねた。
「クララは薔薇の乙女ですもの、彼女に刻印が浮き出るのは当然ですわ!!」
ブリュンヒルデは誇らしそうに笑って答える。そこには平民を嘲るような厭らしさはなく、むしろ友達を祝福する、清らかな友情が垣間見えた。
ブリュンヒルデが元気になるにつれてレーブラインの勢いはなくなっていった。むしろ、自分は何をしているんだろうと存在価値について悩み始めた。
それでもお役目ゆえに聞かねばならない。
レーブラインは気乗りしないながらもさらに尋ねた。
「あ、あなたにも刻印があるとのことですが、これについて思うところは?」
「わたくしはクララを守るための薔薇の騎士として目覚めたようです」
嬉しそうにはにかみながら笑う少女にレーブラインの毒気はすっかり抜け落ちた。少女同士の清らかな友情は爽やかで清々しい。
虎穴に入ったら子猫の戯れを見たようなそんなほっこりした感覚……悪を蹴散らすと意気込んできた当初との温度差でレーブラインは眩暈がした。
「……お話は分かりました。ええと、つまりこれは……無礼を承知で申し上げますがヴォルフラム殿下の誤解で起きた騒動なのですな」
レーブラインはため息交じりに言う。
ヴォルフラム達がブリュンヒルデの言葉を信じてさえいれば、こんな大騒動に発展しなかった。己の愚かさも腹立たしいが、それよりも彼女の言葉を無視したヴォルフラムに怒りを禁じえない。
レーブラインはちらりとヴォルフラムを見る。
主君の過ちを正すのは臣下の務め、ブリュンヒルデにしっかり謝れという気持ちで見る。
だが、ヴォルフラムは臆すことなく堂々と言った。
「レーブライン侯爵よ。こちらの言い分もしっかりと聞いて欲しい。彼女の訴えを退けたことは認めるが、すべての証拠がブリュンヒルデを薔薇の乙女だと指している。それを無視しすることは皇太子としてできなかった」
「殿下、そこまでおっしゃるのなら、私を納得させられる証拠を見せて下さい。そしてなぜホルンベルガー嬢の言葉を無視されるのかも」
ヴォルフラムの言葉にレーブラインは続きを促した。ヴォルフラムがブリュンヒルデの訴えを聞き入れてさえすれば、彼女に無駄に怖い思いをさせることはなかったのにとレーブラインは思う。
早合点などせず、周りの言葉に耳を傾けてこそ皇帝の器、ここはしっかりと意見しなければならないとレーブラインは厳しい目をヴォルフラムに向けた。
ヴォルフラムはレーブラインから鋭い目を向けられても動じなかった。
「証拠はブリュンヒルデの肩にある刻印、そして彼女の濃い緑の目だ。文献によれば薔薇の乙女は緑の瞳の少女だ。そして魔獣の気配を察知する能力があるとされる。ケルシャの危機を察知し、さらにゲンドルの街を魔獣から助けるべく行動した彼女こそ薔薇の乙女である証拠だ。」
そう指摘されてレーブラインは確かにと納得した。クララはあくまで刻印が浮き出てきただけで、魔獣に対する初動はすべてブリュンヒルデの采配によるものだ。
「それは……そうですな」
「ブリュンヒルデの訴えを無視してしまったのは申し訳ないと思うが、すべての事象が彼女を薔薇の乙女だと結論付けている。謙虚な彼女はまだまだ受け入れられないのだろう」
ヴォルフラムは自信ありげに答えるが、ブリュンヒルデは首をブンブン振って否定した。
「違います違います! わたくしはただの薔薇の騎士です!! 魔獣のことを知っていたのも文献を読んだからで察知することはできません!」
半ば涙目で語るブリュンヒルデにレーブラインは少し可哀そうになり、ちょっとだけ助け舟を出した。といっても彼の中で九割九分、ブリュンヒルデが薔薇の乙女と確信しているのだが、自分が質問することでブリュンヒルデの不安感が拭い去れればいいと考えた。
「殿下。ホルンベルガー嬢はいまだ納得されていない様子。それゆえお聞きします。クララ嬢、そして彼女の護衛騎士ヘルモルトにも刻印がありますが、それはどう説明されるのか」
反論の形を取ってはいたが、それは実に軽いものだった。ブリュンヒルデが納得いくように説明を頼む……そんなニュアンスだった。
それを受けたのはエルンストだった。
「レーブライン侯爵。ヘルモルト卿はホルンベルガー嬢の護衛騎士ですよ。彼は体調を崩したクララ嬢を保護するためにホルンベルガー嬢の命令で側にいただけです。クララ嬢も彼も薔薇の騎士として覚醒したのなら辻褄が合います」
エルンストがすかさず言う。ヘルモルトとクララ、ブリュンヒルデの関係も彼は把握していた。
続いてエミリオも援護する。
「いまでこそ魔獣の話ができますが、少し前までは伝説の存在でした。ですが、ホルンベルガー嬢が魔獣の危機に気づいて民を救ったからこそ、我々は魔獣に対する策を練ることができたのです。それこそ、救国の英雄、薔薇の乙女ではないでしょうか」
幼馴染三人の連係プレイが決まった。
レーブラインはこれでブリュンヒルデも納得しただろうと笑顔になる。
「ええ、ええ。そうですな。もはや反論の余地はありません。それではホルンベルガー嬢は薔薇の乙女だったと陛下に申し上げます。そして世にはびこる悪い噂も払拭いたしましょう」
レーブラインの言葉にヴォルフラム達はようやく表情をほころばせた。
ブリュンヒルデは必死に違う違うと訴えているのだが、ストーリーが完全に出来上がっている彼らは、謙遜しているだけにしか見えず、むしろ好感度をさらに上げるだけだった。




