第五話 腐女子の知らぬ間に一件落着
ユリアが作戦成功を確信しているころ、ペルタはメイド頭とユリアの部屋にいた。ユリアが暴れまくる音を聞きつけたメイド、ミラに呼ばれたからだった。
部屋はもぬけの殻だが、床に投げつけられた茶器、引き裂かれた枕、飛び散った羽毛で悲惨なことになっていた。
「凄い音がしたあとユリアさんが出て行ったんですけど、部屋を見るとこんなことになっていて……」
ミラは泣きそうな顔で言う。
「これはひどいわね。それに、この茶器……お嬢様が病のユリアを気遣って用意したものなのに、事故ならともかく故意で割るなんてどうかしているわ」
ユリアへの信頼がゼロになったペルタから辛辣な言葉が出る。
メイド長、カミラは周囲を見渡してため息を吐く。
「まるで癇癪を起したお嬢様の部屋みたいだわ。……そういえば、お嬢様、今日、静かに過ごされているわね」
カミラの言葉にペルタとミラは頷く。
「それどころか、とてもお優しいですわ。いつもはユリアと一緒なので言葉を直接交わすことはないのですが、改めてお話しすると、とても素敵な方という印象です」
ペルタがどこかうっとりするような顔で言う。豪華な金髪に新緑の瞳、まるで女神のようだった。
カミラはふと考えこむ。
元々、ユリアはまともにメイドの仕事をしていなかった。ブリュンヒルデのお守があるからメイド長もユリアを大目に見ていたのだ。
(もしかして、お嬢様の悪行の原因はユリアではないかしら? 社交界で問題を起こした時も必ずユリアが傍にいたし、彼女と離れたお嬢様はとても穏やかになっている……。これは旦那様に申し上げるべきね)
カミラがそう結論付けた時、カルムの命令で皆を呼び集めていた執事シモンがカミラたちを呼んだ。
こうしてカミラたちは広間に集められた。
ユリアはディートリッヒの後ろに控え、成り行きを見守っている。
理由もわからず連れてこられた使用人たちはおびえた様子でディートリッヒを見るが、彼の顔は落ち着いていた。
「この屋敷でブリュンヒルデの悪評を振りまくものがいる。お前たちも、ブリュンヒルデが酷い行いをしたと聞いた者もいるのではないか?」
ディートリッヒの言葉に使用人たちは俯く。
それは肯定の意味である。
ユリアはひっそりと笑う。
(ペルタ、もうすぐあんたは断罪されるのよ)
彼女はディートリッヒの背中を見上げ、そしてペルタを見つめた。何かを考えるように険しくなる彼女の顔にユリアは吹き出しそうになる。
そんな悪女を背にしてディートリッヒは言葉を続けた。
「沈黙は肯定と取る。……ブリュンヒルデに事実、暴力を振る舞われたものはいるか?」
彼の言葉に数人のメイドたちが震えはじめる。彼女たちはかつてのブリュンヒルデに直接の暴力を受けた者たちだ。ディートリッヒは些細なサインを見逃さなかった。
「なるほど、悪評は事実無根のデタラメでもなさそうだ」
ディートリッヒは苦笑する。
しかし、そこでカミラが異論を唱えた。
「旦那様、わたくしからよろしいでしょうか」
「いいとも、メイド長の君の話をぜひ聞きたい」
「ありがとうございます」
カミラはそう言って話し始めた。
「お嬢様のお噂は私も耳にしております。それにつきましては、メイドを統括する私の責任、誠に申し訳ありません」
ディートリッヒは何も答えない。ただじっとカミラを見た。
「ですが、その噂は新たに塗り替えられました。このペルタがお嬢様の優しさをわたくしどもに教えてくれたのです。そうでしょう、ペルタ」
「はい」
ペルタははっきりと答えた。
ユリアは目を丸くし、思わず口を出す。
「な、どういうことよ!!」
ユリアの悲鳴にディートリッヒは振り返った。彼女は慌てて口元を抑える。
「だ、旦那様。嘘ですわ。ペルタはそんなことを言いません」
ユリアは弱弱しい声で言う。
「それは私が判断する。カミラ、ペルタが言っていた話を聞かせてくれ」
ディートリッヒはカミラに続けさせた。彼女は淀みなくペルタが嬉しそうに言った言葉をその通り伝えた。
「お嬢様は病気のユリアを気遣い、甘くておいしい飲み物を作らせました。そして役目を免除するように仰せになりました。さらに、酷いようなら医者を呼ぶようにと仰ったのです。とてもお優しい方だったと、誰かが言うような、傲慢で暴力的なお方ではなかったと言うのです」
カミラの言葉に他の使用人の間でどよめきが起こる。疑いを持つ者、ただ驚く者、様々だったが、今日、ブリュンヒルデと接したことのある使用人は深く頷いた。
カミラの言葉にユリアは怒りで体を震わせた。
「デタラメです!! ペルタはお嬢様の悪口を流していたわ!! 旦那様、この人たちは私に嫉妬してこんなことを言うのです!! 処罰して下さい!!」
彼女のヒステリックな叫びを背で受けたディートリッヒは、振り返らずに尋ねた。
「ユリア。ブリュンヒルデが飲み物をお前に与えたのは本当か?」
「え……ええと」
ユリアは言葉に詰まった。
肯定すればブリュンヒルデの好感度が上がってしまう。
(……飲み物のことは私とペルタしか知らない。ブリュンヒルデを孤立化させればどうとでもなるわ。)
ユリアはそう考えた。
「わ、私は知りません。きっとペルタが私を陥れるために言ったにきまっていますわ!!」
ユリアはあくまでペルタが悪いと主張した。
ディートリッヒは振り返らないまま答えた。
「そうか。残念だユリア。私は君を買っていたのだが、君は公爵家を自分の巣か何かのように思っていたらしい。甘やかしてしまった私の咎でもあるが、それでも主人をたばかる君の人間性に失望したよ」
「旦那様、何をおっしゃるんです!? 私はずっとお嬢様の横暴に耐えてきたんですよ!? 皆がお嬢様を恐れる中、私だけがお嬢様の味方でした! その私を疑うんですか!?」
ユリアはへたり込むとディートリッヒの裾を掴んで訴えた。涙を流し、自分を信じてと訴える彼女をディートリッヒは侮蔑の眼差しで見た。
「ユリア。君は私の後ろにいたから、表情を隠すことを忘れていたようだ。執事が磨き上げた純銀の皿はとてもよく君の悪意に染まった顔を映してくれたよ」
ディートリッヒの冷たい視線にユリアは「ヒィ」っと喉を鳴らし、だらんと腕を垂らした。
「まあ、それ以前に、メイドの問題を直接私に持ってきたときに疑念を抱いたんだがね」
ディートリッヒはため息をついた。
ユリアを可愛がっていたのは、友人の娘だったからでもある。没落した彼は早々にこの世を去ってしまったから、父親代わりとしてユリアを見守っていたつもりだった。一人っ子のブリュンヒルデが寂しくないように、姉妹のように育ってくれればとも思っていた。
「私の甘さがとんだ毒蛇を引き入れてしまったようだ。お前たちもすまなかった。ユリアの様子を見るに、他にも騒動の種を作ったのではないかね?」
ディートリッヒが言うとカミラが率直に答えた。
「ええ、そのようです。実はユリアの部屋が酷い有様で、茶器は割れ、枕は引き裂かれ……以前のお嬢様が暴れた時の状態でした。さらに言えば、お嬢様が癇癪を起されるのはユリアが傍にいた時だけです。憶測ですが、ユリアはお嬢様に何かをしていたのではないでしょうか?」
カミラが険しい顔で言う。全くの勘違いだが、ユリアの暴挙と荒れ果てた部屋、そして丸くなったブリュンヒルデのせいでカミラは完全に信じ込んでいた。
さらに、ペルタも援護する。
「旦那様。私もそう思います。恐れ多いことですが、ユリアは私どもにお嬢様の横暴さを訴え、私共の行動を制限しました。お嬢様が暴れるとき、また癇癪を起すとき、いつもユリアが傍にいます。逆に、ユリアがいない今日、お嬢様はとても穏やかでお優しかったです」
ペルタの言葉にディートリッヒは今日会った娘の顔を思い浮かべる。控えめでおっとりしていて、とてもじゃないが暴力的なそぶりは一切なかった。それどころか、新しいことにチャレンジしたいと意気込みまで見せたのだ。
「話は分かった。君たちの話は十分に信用できる……ユリア。何か言うことはあるかね?」
ディートリッヒの冷たい目がユリアを突き刺す。
「だ、旦那様……わ、私はホルンベルガーの傍系ですわ。血のつながりが……ありますわ。まさか、旦那さまは、私を処罰するなんてそんな酷いことおっしゃらないでしょう?」
彼女は歪にほほ笑みながら、ディートリッヒに媚びるように見上げる。
「お前の策が実っていれば、ペルタが追い出されていたはずだ。自分のことを棚に上げるなど、ほとほと愛想が尽きた。お前の父親に免じて鞭打ちだけは免除してやるが、二度とホルンベルガーに関わるな!」
ディートリッヒはそう言い切った。ユリアはディートリッヒに縋ったが執事たちに広間から追い出された。
紹介状もない彼女がまともな職に就くことはほとんどないだろう。怪しげな商売に就くか、救貧院で情けを乞うか。しかし、上昇志向の強いユリアにとっては生き地獄だろう。
ペルタは一歩間違えれば自分がその立場だったことに恐怖を感じつつ、だからこそ、ユリアを許せなかった。
もう二度と会う事がなければいい。そう彼女は願った。
なお、被害者の一人であるブリュンヒルデはそんな騒動が起こったことも知らず、腐った妄想を巡らせながら書きにくいペンと格闘し、早くペンを開発してくれと願うのであった。