第四十九話 偽物と本物
レーブライン侯爵の一行がヴォルフラムの天幕につくと、彼は礼節をもってヴォルフラムに挨拶し、突然の訪問を詫びた。
部下から毒婦に惑わされているという前情報をもちながらも、彼にとってヴォルフラムは忠誠を尽くすべき相手、暗愚だろうと礼儀を尽くすことにわだかまりはなかったのだ。
「殿下に置かれましては、ホルンベルガー嬢を気遣っておられる様子。取り調べは密室ではなく、殿下の立会いの下で行いたく存じます」
「それは願ってもない。取調室は食堂用の天幕で行おう。あそこなら広さも十分にあるし、椅子やテーブルは使い易いように変えられるからな。お前のところからも好きな人数を呼んで構わないぞ」
ヴォルフラムは言った。両脇に控えるエルンストはにこやかに、エミリオは真面目な顔でレーブラインを見た。
「ご許可を頂きありがとうございます」
レーブラインはそう言い、ヴォルフラムの補佐官に案内されて食堂へと向かった。部下に命じて奥に上座を用意してその両脇に長椅子を置いた。真向いには椅子が一つ。そこがブリュンヒルデの座る場所だ。
取調と言いながら、レーブラインはここを糾弾の場にし、ヴォルフラムの目を覚まさせる最良の手だと考えた。
「殿下はまだ若い。女性の外見に惑わされて肩入れしてしまうのは仕方がない。だが、それを正すのは我々の臣下の役目だ」
「わかっております。閣下の尋問であの毒婦も必ずや尻尾を出すでしょう。そうすれば元の殿下に戻られるかと」
補佐官は確信した顔で自信ありげに言った。
準備が終わり、レーブラインヴォルフラム達を呼んだ。上座はヴォルフラム、右の長椅子にエミリオたち側近を座らせ、左側を己の部下で埋めた。
レーブラインは左側の長椅子の、ヴォルフラムに近い端に座った。
「殿下、ホルンベルガー嬢を呼んで来ていただけますか」
レーブラインが言うとヴォルフラムは頷いた。パチンを指を鳴らし、補佐官にブリュンヒルデを案内するように命じた。
しばらくして楚々としたドレスに身を包んだブリュンヒルデが緊張した面持ちでやって来た。彼女が食堂に足を踏み入れた時、レーブラインは目を見張った。彼の部下たちは思わず声を漏らした。
少しやつれた青い顔、心細さに揺れる緑の瞳、微かに震える体は一回りも華奢に見え、巷で流れる毒婦のイメージと真逆の存在だった。
ブリュンヒルデは上位貴族の娘だが、社交界にほとんど顔を出さなかったため、レーブラインもその容姿をしっかりと見たことはなかった。あまりの美しさに妖精か、はたまた女神かとつい思ってしまった。
(いかんいかん。私としたことが上辺の顔に騙されるとは……! ここは気をしっかり持って毅然とした態度で挑まなければ!)
レーブラインは緩んだ顔をキっと引き締め、ブリュンヒルデを睨みつけた。
鷹のように鋭い彼の眼力は、心を見透かすような恐ろしさを秘めている。大抵の犯罪者はそれにおののき、己の犯罪を白状するのだ。
だが、レーブラインは目の前の少女が罪人とどうしても思えなかった。
長年の経験でレーブラインは一目見ればその人間の人となりが分かる。悪人には悪人の相があるのだが、ブリュンヒルデにはそれがない。
困惑するレーブラインだが、少し考えた後で一つの答えが浮かんだ。できる限り優しい声でレーブラインはブリュンヒルデに尋ねた。
「お嬢さん、ホルンベルガー嬢はどこかね」
ヴォルフラム達にとっては驚くほど間抜けな質問だったがレーブラインは本気だった。そして幕僚たちはああなるほどと納得した顔で頷く。
目を見開くブリュンヒルデにレーブラインは自分の予想が当たったと確信する。
幼い子をあやすようにゆっくりと柔らかい声で彼は言う。
「怖がらなくてもいい。私は皇帝陛下から直々に今回の件を任されている。いかにホルンベルガー公爵家が強大であっても、大罪を握りつぶすことはできない。どうか、私を信じて本当のことを話してくれ」
優しい眼差しはどこまでも慈愛に満ち溢れている。
だが、ブリュンヒルデはますます困り果てった。
「あ、あの。わたくしがホルンベルガー公爵家の娘、ブリュンヒルデですが……」
パニックと緊張からブリュンヒルデの声は震えた。
それを怯えだと誤解したレーブラインは仕方のない子だといわんばかりに首を振る。
「君が影武者だということは分かっている。本物のホルンベルガー嬢は君に罪を着せて逃げ出したのではないかね?」
極悪卑劣な悪女の事、身代わりを立てて逃げ出すなどお手の者だろう。レーブラインはそこまで思い至らなかった自分を責め、そして手助けしたであろうヴォルフラムに失望した。
どんな顔をしてこの場を傍聴しているのかと腹立たしい気持もあってレーブラインはヴォルフラムの方を振り返った。
そこには目を丸くした間抜けなヴォルフラムの顔があった。
側近のエミリオも同じような顔で驚きを前面に押し出している。唯一、エルンストだけは口を手で覆い、体を震わせていた。
「……ベネシュ卿。何か言いたいことがおありか」
レーブラインはこの場で異質な行動をしている彼を咎めた。
エルンストは笑い声を漏らしながら、レーブラインに答えた。
「……ック。失礼。あまりにも想定外だったもので……。まさかホルンベルガー嬢に向かって偽物などと……アハハハハハッ!!!!」
エルンストは堪らないとばかりに笑い出した。
レーブラインがブリュンヒルデを悪人と見ないのは想定していたが、まさか影武者と言い出すとは思わなかった。エルンストの勝算は、ブリュンヒルデの人となりを見てもらい、こちら側の味方につける事だった。
長年、司法に身をおいている彼ならば、一目見ただけでブリュンヒルデに非がないことを見抜けると考えてたからなのだが、まさか見当違いの方向で話を進めるとは思っていなかった。
エルンストは大笑いしたいのを必死にこらえ、込み上げる衝動と戦った。
笑われたレーブラインはきょとんとしていたが、エルンストの言葉の真意を掴むと驚きで目を大きく開いた。
「……殿下、この方がホルンベルガー嬢で間違いありませんか」
「そ、そうだが」
ヴォルフラムはこくんと頷く。
エルンストは体を曲げて笑いをこらえている。
「ホルンベルガー嬢、何か証明するものは?」
レーブラインが尋ねると、ブリュンヒルデは父から貰った指輪を掲げた。
「こ、これを。ホルンベルガーの力を行使するための印章です。父から頂きました」
家門が掘られた指輪はそうやすやすと他人に預けられるものではない。ましてや、ホルンベルガー公爵家の家門は一国の玉璽にも匹敵する。すなわち、彼女こそ真実、ホルンベルガー公爵令嬢だということなのだ。
レーブラインはようやく自分どれほど間抜けなことをしていたかを知った。