第四十八話 腐った天秤
真っ青になりながら思い悩むブリュンヒルデを心優しい少年たちは気遣った。
「心配するなブリュンヒルデ。帝都で何があったのかわからんが、俺が必ず守る! それにお前はホルンベルガー公爵家の一人娘、奴らもそうやすやすと手を出せないさ」
ヴォルフラム綺麗な顔に勝気そうな微笑みを浮かべてブリュンヒルデを元気づけた。
「そうですとも。微力ながら私も尽力いたします。あなたのおかげで民が助かったことは紛れようのない事実ですから」
エミリオが穏やかな表情に愛しさを込めて言った。
「出る杭を打つ人間はどんな場所でも湧いてきます。つまり、それほど貴女が重要人物だということに他なりません。我々が必ずあなたの嫌疑を晴らしますので大船に乗った気でいて下さい」
エルンストは茶目っ気たっぷりにウィンクした。色気のある目は貴婦人を蕩けさせる絶大な力を秘めていたが、貴腐人どころか、腐れ根性の腐女子であるブリュンヒルデに届くことはない。
彼女の頭の中は悲惨な末路か、尊いスチルの二択だった。
もちろん、ブリュンヒルデの末路にホルンベルガー公爵家が道連れになっていたのなら、家族愛が彼女を引き留めていただろうが、ホルンベルガー公爵家が培った功績によって御咎めを受けることなく、さらにテオドアがスムーズに後継者になる手助けにもなった。
つまりあとはブリュンヒルデの覚悟一つである。
ここで暫く眠っていたブリュンヒルデの腐女子思考が一気に火を噴いた。
(こ、婚約破棄をされた今、エミヴォルがくっつく未来はほぼ皆無に等しい!! というかヴォルフラムの婚約者にどっかの令嬢がなる可能性が高い!!!!エミヴォル以外のヴォルフラムのカプを見るくらいなら断罪された方がマシィィィ!!!!!!)
しかし、懸念点は母マルガレーテだ。
ブリュンヒルデの無事を祈り、信じて送り出してくれた優しい母を思うとブリュンヒルデは己の欲のために突っ走られない。
いくら五体満足だろうと檻に入れられて帰還すれば母は卒倒するだろう。信じて送り出してくれた母の顔を思い出してブリュンヒルデは心が揺らぐ。
(こ、これまで迷惑をかけっぱなしだったし……エミヴォルは捨てがたいけど、お母さまが悲しむと思うと良心が痛む……。くぅ……こうなったら最後まであがくしかないわね。成功すればお母さまが喜ぶし、失敗してもエミヴォルが見られるし!!)
カプ固定過激派ゆえに、好感度が自分に向けられると微塵も考えない彼女は、ブリュンヒルデが断罪されればゲーム通りのエミヴォルが拝めると信じて疑っていなかった。すでにゲームは破綻しているのだが、微妙に強制力のようなものが働いてストーリー通りに動いていることがブリュンヒルデの妄想を悪化させた。
ブリュンヒルデの思惑を知らないヴォルフラムたちは情報を集めようと軍鳩を要所に飛ばした。
「しかし、一体どこからブリュンヒルデが偽物などと言う戯言が生まれたんだろうな」
ヴォルフラムは首をかしげる。
「不思議です。ホルンベルガー嬢の偉業は、人づてに帝都まで届いているハズですし、ケルシャ産の作物から魔獣の卵を見つけたものは多く居ます。その者たちは魔獣の危機を知らせてくれたホルンベルガー嬢に感謝していましたし」
「考えられるのはホルンベルガー嬢を失脚させたい何者かの暗躍でしょうね。しかも、皇帝陛下が反論できない証拠も持っている大物……」
エルンストはレーブライン侯爵の顔を思い浮かべた。常にブリュンヒルデを敵視している彼ならば動機は十分にある。
(だが、人を陥れる行為を最も嫌う彼がこんな手を使うとは考えにくいんだよな。それならばレーブライン侯爵を味方につける事は容易い。しかし一体、どうしてこうなったのか……問題があればすぐに連絡を寄こせと各隊に伝えているが動きはないしな)
エルンストは思考を巡らせる。
(もしくは重要な情報がどこかで握りつぶされているか……)
握りつぶされたのではなく、野生の鷹がその日の糧にしただけなのだが、重要な情報は基本的に予備の軍鳩を飛ばすため、まさか最重要案件が軽い扱いを受けているとはエルンストは知る由もなかった。
時間は無情にも過ぎ、エルンストが必要な情報を揃える間もなく、レーブライン侯爵の一行がジクセン平野に到着した。
侯爵の使者は厳めしい顔で天幕に到着の旨を伝え、ブリュンヒルデの引き渡しを請うた。だが、ヴォルフラムはそれを断固として断った。
「ブリュンヒルデが本物であると皇太子の俺が証明する。まるで罪人のように彼女を扱う貴様らにブリュンヒルデを渡せるものか!」
そう怒鳴りつけたヴォルフラムを使者は落胆した。
(次期皇帝でありながら毒婦に骨抜きされるとは情けない。若さゆえだろうが、ここまで人を見る目がないとはな……)
失望の色を無表情の表皮の下に隠し、使者は再度言った。
「調査の許可は皇帝陛下から頂いております。……引き渡しが無理と仰るのなら、仕方ありません。無理にでも同行していただきます」
ヴォルフラムは父への怒りと何の力もない自分の不甲斐なさにぎりりと唇を噛んだ。
睨むだけのヴォルフラムに使者はにこりと微笑み、今度は優しく言った。
「すぐに侯爵が参じます。ご安心を、引き渡しはホルンベルガー嬢の取り調べの結果次第ですので、殿下もご納得いくかと存じます」
色に惑った若者と言えど偽証が白日の下にさらされれば正気に戻るだろう。使者はそう願いながら言った。若者を正すのは大人の役目、彼は自分たちの正義を信じていた。
ヴォルフラムは使者を返した後、机を蹴とばして怒り狂った。
「なんなんだあいつは! まだ調書も取らないうちからブリュンヒルデを罪人扱いじゃないか!!」
「ええ、ほんとうに。公明正大なレーブライン侯爵家の騎士も地に落ちましたね」
いつもなら宥めるエミリオも、同じように憤慨した。
「このままだと何も手を打てないうちにブリュンヒルデを奪われてしまうっ!!」
悔しそうに顔を歪めるヴォルフラムにエルンストの落ち着いた声が諫める。
「怒りはもっともですが落ち着いてください殿下。勝算はありますからご心配なく」
にんまりと笑うエルンストは獲物を狙う猫のようだった。この顔をするとき、何か手があるというのを長年の付き合いで二人は知っていた。その余裕っぷりに頭が冷えた二人は、怒りがほどほどに収まった。
「お前が言うなら大丈夫なんだろうが、軍鳩は放ったばかりだぞ。ロクな情報も集められないのにどうするんだ?」
冷静さを取り戻したヴォルフラムが疑問をぶつける。
「反論材料が揃うまでの時間稼ぎは十分できますよ。まあ、見ててください」
自信たっぷりにエルンストは言った。




