第四十五話 食事
推しのいる夕食は腐女子として喜ばしく、その一方でブリュンヒルデとしては最悪なものだった。長方形の椅子にヴォルフラムとブリュンヒルデが隣同士に座り、ブリュンヒルデの向かい側にエミリオ、そしてその隣がエルンストだった。席順はブリュンヒルデがいない間に紳士的に部下から借りたカードゲームで決定し、ヴォルフラムが見事勝利を収めた。
勝利者であるヴォルフラムは嬉しさを滲ませながらブリュンヒルデに微笑みかけた。
「ブリュンヒルデ、無事でよかった。恐ろしい目に合わせて本当に済まなかったな」
「……イエ、オキヅカイナク」
カタコトなのはこれから始まる誤解のドミノ倒しに恐怖しているからだ。もし、ヴォルフラムとエミリオが隣同士だったなら、救いようのない腐女子魂がエンジン全開となって元気を取り戻したかもしれないが、現実はツボに刺さらない別配置となっている。
故障間際のロボットのような対応しかしないブリュンヒルデだが、そこはアバタもエクボ。ヴォルフラム達の目には『急に薔薇の乙女と言われて困ってしまった可憐な女性』にしか見えない。心細げに俯く姿は庇護欲をそそられるし、無礼だとは思いながらも抱きしめてしまいたくなる。
(ブリュンヒルデ、本来のお前はとても謙虚な女性だったのだな。突然のできごとにここまで戸惑うとは……。自己顕示欲の強い社交界の人間ならば、おごり高ぶりそうなものなのにお前はそんなところが一つもない)
ヴォルフラムはブリュンヒルデがさらに愛しくなった。同時に、苦い罪の記憶が思い出された。
「ブリュンヒルデ、今まで本当に済まなかった」
「へ?」
てっきり薔薇の刻印の話を持ち出されるのかと思っていたブリュンヒルデは思いもよらぬ謝罪の言葉にすっとんきょうな声をあげた。
「お前のこれまでの悪行はすべて仕組まれていたものだと……今更ながらに知ったんだ。俺は婚約者でありながらお前を信じず、冷たい態度を取り続けた。本当に済まなかった」
ブリュンヒルデに深々と頭を下げてヴォルフラムは謝罪する。どんな罵倒も受け入れるつもりだった。そして彼女の心が癒えるならどんなことでもするつもりだった。
対するブリュンヒルデは目を瞬いて下げられた銀の頭を見ていた。
(ど、どういうこと? 俺様クーデレのヴォルフラムがブリュンヒルデごときに頭を下げるなんて……?)
ブリュンヒルデは困惑した。
「で、殿下。頭をお上げくださいな。わたくしは何も殿下に対して恨みに思うことはありません。それに、わたくしが起こした悪事は変えようのない事実ですし」
前世を思い出す前のブリュンヒルデは最悪最低の女だった。小心者の彼女はしでかしたことの異常さにおののき、エミヴォル大作戦の傍ら、色々と聞き取り調査をして被害者をあらいだし、クビにした侍女たちは家族まで厚く援助した。ビンタをして恥をかかせた下級貴族令嬢は土下座で謝罪&生家にあらゆる援助を約束した。被害者が欲に塗れた人間の餌食にされては困るので内密で行ったため、そのことを知る人間は当人だけにとどまる。
「だが! それは仕組まれていたことだ!! 君は悪くないっ!!」
ヴォルフラムが言い放つ。
ブリュンヒルデはどうしたものかと思った。
「仕組まれていようが嵌められていようが、実際に行動したのはわたくしですわ。自分の起こした不始末を知らぬ存ぜぬでいるなんてできませんもの。ですから殿下、謝罪は不要ですわ。むしろわたくしの要請を聞き届けて下さり感謝しております」
困りながらも微笑んでブリュンヒルデは言った。ヴォルフラムはブリュンヒルデのその言葉に清らかさを感じ、じーんと感動してしまった。好感度がマイナスだった分、ブリュンヒルデがちょっといいことを言っただけで感動が量産されてしまうのだ。さらに言えば惚れた弱みもある。自己犠牲をいとわない気高い精神、驕らない謙虚な姿勢、高嶺に咲く一輪の百合のように美しく清らかなブリュンヒルデにヴォルフラムは惚れぬいてしまった。
「……ブリュンヒルデ。わかった。これ以上謝罪の言葉は口にしないでおく。食事前、下らないことで煩わせて済まなかった」
「構いませんわ。美味しそうな食事ですこと。まさか野営地でこんな豪華なものが頂けるとは思っていませんでした」
テーブルに並ぶのは冷菜とスープ、肉料理にパン。そしてグラスに入った飲み物だった。屋敷で食べるよりは質素だが、見渡す限り平原のこの場所で食べるのは贅沢と言える。
「保存技術が上がりましたからね。お気を悪くしたら申し訳ありませんが、缶詰のものです。肉料理は腕の自信のあるものが山鳥を射ましたのでそれを焼き上げました」
エルンストがにこやかに説明する。カードゲームで負けたため、ヴォルフラムが話し終わるまでしぶしぶ待っていたのだ。
「まあ、それは素敵ですわ! お味がますます楽しみになってきました」
ブリュンヒルデはぱぁっと喜び、明るい笑顔を浮かべた。大輪のバラが咲くような笑顔は、元々の美しさも相まって輝くばかりに美しい。ヴォルフラム達は頬に熱いものを感じながら、それを必死に押し殺してたわいない会話を楽しんだ。
ブリュンヒルデは薔薇の乙女に言及されることはなさそうだとほっと安堵し、手のひらの刻印が死角になるように必死に隠した。幸い黒色の魔法陣は影があると目立たない。
食事は和やかに進み、美味しいデザートの時間になった。
甘い果実を口に入れる寸前、「伝令ー! 伝令ー!!」と大きな声が響いてきた。
ただごとではない声にブリュンヒルデは一気に不安が押し寄せてきた。
(グリセルが防衛線を突破した? もしくは他の凶悪な魔獣が覚醒した?!)
カタカタと震えるブリュンヒルデの手をヴォルフラムが優しく握る。
「大丈夫だ。必ず守るから」
そう言った後、ヴォルフラムは伝令兵をここに呼び入れた。敏いブリュンヒルデに隠し事をするよりも、むしろオープンにして不安を払しょくした方がいいと判断したためだ。
血相を変えて飛び込んできた伝令兵はブリュンヒルデの姿を見ると驚くとともに、狼狽えた。
「も、申し訳ありません。ホルンベルガー嬢は外していただけませんか」
「彼女は薔薇の乙女だ。問題ないからはやく話せ」
ヴォルフラムは伝令兵を急かした。
伝令兵はしばし悩んでいたが、意を決したように顔つきが険しくなった。そして顔を上げて帝都からの言葉を伝えた。
「ホルンべルガー嬢に薔薇の乙女偽証、および薔薇の乙女への加害の嫌疑がかかっております。そのため、この場所から離れることなく、調査官の到着を待てと……」
消え入りそうな声で彼はそれを吐き出した。