第四十二話 薔薇の騎士
ヴォルフラムとエミリオはようやくジクセン平野に到着した。遅くなったのは避難民の取りこぼしがないか確認していたのと、グリアセルが街から出られないように海の火の防壁を強化していたためだった。
エルンストはヴォルフラムとエミリオを出迎え、ブリュンヒルデが薔薇の乙女として覚醒したことを伝えた。
「それは喜ばしいな! 魔獣を倒しきれなかったことを苦々しく思っていたが、ブリュンヒルデが薔薇の乙女として覚醒したことは国の希望だ。彼女がいればもう安泰だな!」
ヴォルフラムはエルンストの話を大いに喜んだ。疲れが吹き飛んだように表情が明るい。
「ええ。さようです。それと帝都へ連絡はしておきましたので、ホルンベルガー嬢の悪評は吹き飛ぶことでしょう」
エルンストが言うとヴォルフラムはほっとした表情になる。ブリュンヒルデの悪評についてヴォルフラムも心を痛めていた。本人はまったく気にしていないどころか、ミレッカーが助かるなら投獄も辞さない気でいたようだから、彼女の汚名が晴れてようやく心の憂いが取れた気分だった。
エミリオも穏やかな表情の中に喜色を滲ませる。自分の浅慮で意識を手放したか弱いブリュンヒルデを思うと常に胸が苦しかった。彼女に降りかかった災禍が少しずつでも取り払われるのは喜ばしいことだった。
エミリオはもっとブリュンヒルデの役に立ちたいと思った。
「エルンスト。あなたの報告に薔薇の乙女を守護する『薔薇の騎士』が存在すると記されていました。薔薇の騎士さえいれば、薔薇の乙女が先陣を切らずとも魔獣を一掃できるとか」
エミリオの言葉を受けてエルンストは頷いた。
「そう。俺としてはとっとと薔薇の騎士に目覚めてもらって、ホルンベルガー嬢は精神的支柱として安全な所に居てもらいたいと考えている。殿下も同じですよね?」
少しエルンストの地が出る。ヴォルフラムには敬語だったが、そこには親しい者同士の軽さがあった。
「ああ、俺もブリュンヒルデを危険な目に合わせたくない。エルンスト、薔薇の騎士の覚醒条件とかはわかるか?」
「ええ、もちろん」
エルンストの言葉にエミリオとヴォルフラムはごくんと唾を飲んだ。
しかし、エルンストはなかなか次の言葉を発しなかった。
本心で言えば、恋敵になりそうな人間に教えたくはなかった。だが、いまさらそんなことを言っていられる状況ではないので、エルンストはため息を吐いた後でしぶしぶ話し始めた。
「あくまで文献を総合した結果の話ですけどね、薔薇の騎士は薔薇の乙女と結びつきが強いことが必須条件なんですよ。恋でも愛でも友情でも、お互いを信頼した証として出現するとか」
冷めた顔でエルンストが話す。
エミリオもヴォルフラムも涼しい顔をしているが、その実『恋』と『愛』に心が揺らいでいた。
ブリュンヒルデがヴォルフラムを気絶してしまうほど愛しているのを知っているエミリオはブリュンヒルデがヴォルフラムと愛し合うのを想像して胸が苦しくなり、ヴォルフラムは邪険にした挙句、婚約破棄した自分の愚かさと共に涙を流しながらミレッカーを思うブリュンヒルデを思い出して暗澹とした気分になった。
二人の表情が思った以上に沈んだのを見てエルンストはぎょっとした。
小さい時から切磋琢磨してきた彼らは、常に自信家で負けず嫌いでもあった。そのため、挑発的なエルンストの言葉にむしろいち早く薔薇の騎士の座を射止めようとすると考えていただけに、困惑してしまった。
「……二人とも、薔薇の騎士になるという気概はないんですか」
むしろエルンストから助け舟を出してやると二人は気まずそうな顔をした。ヴォルフラムは苦いものを吐き出すように口を開いた。
「お前も知っての通り、俺はブリュンヒルデにひどい扱いをしてきた。詳しく調べてみれば、彼女はメイドに陥れられていたと後でわかったが、それでも俺は婚約者でありながら彼女を信じてやれなかったんだ」
悔しそうに端正な眉が歪み、ぎりりと歯を噛みしめた。
「僕も同じです。ホルンベルガー嬢の気持ちを試す真似をして彼女を傷つけました。彼女のためなら命を惜しみませんが、彼女を疑い続けた僕が薔薇の騎士として選ばれるか、自信がありません」
エミリオは悔しさを拳に込め、震えるほど握りしめた。
「……諦めると?」
エルンストが言うと二人はぴくっと身体を跳ねさせた。ヴォルフラムはゆっくりとエルンストを見た。空の色の瞳は強い意志が込められていた。
「……諦めきれん。いや、ブリュンヒルデが俺を嫌うなら潔く諦めるが、彼女を守りたいこの気持ちは本物なんだ! だから、彼女が嫌がらなければ彼女の騎士になれるよう努力していきたい」
「僕も同じ気持ちです。ホルンベルガー嬢の気持ちが最優先ですが、あの方が許して下さるなら、彼女の騎士になりたいと思います」
エミリオが続いて言った。穏やかな口調だったが、いつになく力がこもっていた。エルンストは自然と笑みが浮かんだ。
「それは良かった。変に遠慮されでもしたら俺も気兼ねしてしまいますからね。言っておきますが、俺も本気です。負ける気はしませんし、手を抜くつもりもないので、正々堂々ホルンベルガー嬢を射止めに行きます」
大切な友人だからこそ、出し抜くことはしたくない。
エルンストが不敵にほほ笑むとようやく彼らの表情が和らいだ。
「ああ、望むところだ」
「僕もです」
友人たちは互いに笑いあった。和やかな雰囲気が流れた後、エミリオがエルンストに尋ねた。
「そういえば、ルドルフはどうなんです? ケルシャの調査に行っていますが、彼もホルンベルガー嬢を憎からず思っているでしょう?」
エルンストは苦笑した。
「奴ももちろん恋焦がれているが、自覚するにはまだまだ無理だな。俺が言ってもむしろ逆効果で絶対認めないだろうし……」
ハァと堅物で朴念仁の幼馴染の顔を思い浮かべてエルンストはため息を吐いた。
(本当に世話が焼ける……まさか初恋を自覚させなければいけないとは)
ルドルフはエルンストに振り回されていると常々言うが、実際、振り回しているのはルドルフの方じゃないかとエルンストは思った。
「ルドルフの性格は俺も知っている。だがまあ、手紙で薔薇の騎士の存在くらいは知らせてやろう。奴の性格上、必ず立候補するだろうし、ブリュンヒルデのために動いているうちに自覚するさ……たぶん」
ヴォルフラムの語尾が少し弱気になった。
「まあ、そうですね……」
ロクな擁護意見も浮かばず、 エミリオも苦笑せざるを得なかった。




