第四十話 薔薇の乙女
『薔薇の乙女』の伝説は国のものなら誰でも知っている。幼い少女の憧れであり、演劇や小説、吟遊詩人によって乙女の偉業は伝えられてきた。しかし、誰もそれを信じる者はおらず、ただお祭りの偶像として愛していたに過ぎない。
リアリストなエルンストは『薔薇の乙女』を経済活性化の手段としか捉えていなかった。だが、皇宮図書館で魔獣の文献を漁る中、常に『薔薇の乙女』が薄くなったインクで書かれていた。そして『美しい緑の目を持つ少女が、魔獣の脅威から人々を守る』という一文を見つけた時、エルンストは真っ先にブリュンヒルデを思い出した。はっとするような美しい緑の目、そして誰よりも早く魔獣の脅威に気が付き、未曽有の災害を防いだ事実は、エルンストを一つの解に導いてしまった。
「薔薇の乙女は美しい緑の目を持つ女性です。そして魔獣の気配を感じることができる能力を持つそうです。ホルンベルガー嬢、あなたが薔薇の乙女で間違いありません」
うっとりする顔でエルンストはブリュンヒルデを見つめる。
軍隊との合流地点、平野に張られた天幕でブリュンヒルデは腰を掛けたままエルンストから恐ろしい誤解を受けていた。
「ベ、ベネシュ卿。ですからわたくしは薔薇の乙女ではありません。魔獣に関しても状況証拠から推論しただけにすぎませんし、気配を感じることはできません」
ブリュンヒルデは必死に弁明した。ここで誤解されてしまえば確実に詰む。それに、原作ゲームでブリュンヒルデが自分こそが薔薇の乙女だと主張し、騒ぎを起こした挙句投獄されるストーリーがある。
(まさに今現在進行形じゃん!! ヒェエエエエ!!!!)
ブリュンヒルデの表情はみるみるうちに青くなる。
(たしかブリュンヒルデがクララに薬を盛って動けなくしたのよね。そして彼女がいないうちに自分が薔薇の乙女として魔獣を降伏させようとしたんだったわ。結局は街一つ壊滅してブリュンヒルデの嘘が露呈したけど)
今の状況とほとんど一致している。唯一違うのは薬をもっていないところだろうか。
「ベネシュ卿。本当にわたくしは薔薇の乙女ではありません。もし、薔薇の乙女であるならば街を危険にさらしたりはしていません。力のない人間だったからこそ、あの手段しか取れなかったのです!! こうしている今もグリアセル……魔獣は街を蹂躙しています。一刻も早く本物の薔薇の乙女に覚醒してもらい、倒すしかありません!!」
ブリュンヒルデはエルンストに訴えた。どうか誤解を解きたい。その一心でブリュンヒルデは縋るような気持ちでエルンストを見つめた。
しかし、彼は折れない。
「もしかしてクララ嬢のことですか? ですが、彼女は魔獣の気配を察することはできませんでしたよ。倉庫で倒れたのは悪臭に当てられただけだと医者が言っていました」
「クララ嬢も緑の目ですわ。ベネシュ卿、これまであなたはわたくしの言葉を信じて下さいました。それならば、わたくしが『薔薇の乙女ではない』とういうことも信じて下さい」
ブリュンヒルデが負けじと言い返すと、エルンストはやれやれといった風に肩を諫めた。どうやら粘り勝ちできたらしい。
「……わかりました。これ以上、美しいあなたと論争を繰り広げたくはありませんからね。一度折れるとしましょう」
困ったように笑いながら、エルンストは話を変えた。
「じきに皇太子殿下やエミリオ……ハルティング卿やビアステッド卿がここに来ます。それまで少し休んでいてください。」
「は、はい。……あ、ゲンドルの街はどのような状態ですか? グリアセルが襲ってきたりは……」
「各門の前で『海の火』を蒔きました。火に弱いと聞いていますので、おそらく足止めはできるでしょう」
エルンストの言葉にブリュンヒルデは驚愕した。『海の火』は現実世界……地球のロストテクノロジーだ。水の上でも燃え盛る炎は『ギリシャ火薬』と呼ばれ、恐るべき焼夷兵器として使用された。製法は秘匿されたために現代ではそれがどういうものか明らかになっていない。
だが、雨にも負けず火が燃え盛っているというのなら、グリアセルがゲンドルの街から出ることはないだろう。
少しだけだが安心できた。
(あとはクララ、彼女が覚醒さえすれば……)
ブリュンヒルデはぎゅっと袖を握りしめ、可憐な少女を思い浮かべる。
エルンストたちはブリュンヒルデの休憩の邪魔にならないようにとすぐに退室してくれた。10畳ほどの広さの天幕は花柄の絨毯が敷き詰められ、いくつかの簡素の調度品がある。上を見なければここが天幕とはあまり感じない。
サイドテーブルにポットとカップが置かれ、小さなお菓子も準備されていた。しかし、そのお菓子は以前、ブリュンヒルデが修羅場用に考えたナッツ入りクッキーだった。飲み物は……なぜかコーラだった。
「なんでクッキーとコーラ?」
コーラの技術提供をした覚えがないブリュンヒルデは首をかしげる。これはブリュンヒルデとお近づきになりたいがため、エルンストがブリュンヒルデの好物を聞き込みした結果なのだが、ブリュンヒルデは以前のように使用人から色んな方面に広まった程度にしか考えなかった。
現物と程遠いとはいえ食べ慣れたモノを口にすると体の緊張が少しずつ解れた。
「クララがどうすれば覚醒するか……考えなきゃ」
ブリュンヒルデは一息ついた後、作戦を練るべく机に向かった。幸いにもペンと紙が置いてある。ブリュンヒルデのためと言うよりは、この天幕自体が高官用のお泊りセットみたいなものなのだろう。
「さあ、がんばるぞ!!」
自分に喝を入れるために腕まくりをした。そこで違和感に気づく。左肩に何やらピンク色のミミズ腫れのようなものがあることに。
ブリュンヒルデは姿見の前に移動してよくよく見てみるとそのピンクのミミズ腫れは綺麗な曲線を描き、可憐な薔薇のシルエットを表現していた。




